2023年3月21日火曜日

春分

天気は下り坂…
降るかもしれないなぁと思いながら出かけました。
歩いているときは降らなかったのですが
風が冷たくて今にも降り出しそうだなと思っていました。
午後から買い物に出かけると道路が濡れていました。
今日は「春分」で「雀始巣(すずめはじめてすくう)
スズメの巣作りには出会えませんでしたが、カラスが巣材を集めているようでした。
カラスの繁殖」(札幌カラス研究会)
 春分(しゅんぶん)<中日(ちゅうにち)>仲春 時候

 春分、秋分、夏至、冬至(とうじ)などの季語の時期は、すべて太陽と地球の位置関係で決まる。
春分は、3月21日ごろで、清明(せいめい)までの期間も春分と言う。
太陽黄経0度を春分点という。
啓蟄(けいちつ)から数えて15日目ごろである。
地球の赤道を延長した天の赤道と、太陽の通り道である黄道が交差したところが黄経0度である。
春分は、太陽が黄経0度(春分点)に到達した瞬間のことと定義され、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる。
春分から夏至まで、昼の時間がだんだん長く、夜が短くなる。
(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)
 春分と同様に、秋分では昼夜の長さが等しくなると説明されるが、実際は昼の方が夜よりも長い。
日本付近では、平均すると昼が夜よりも約14分長い。
これにはいくつかの理由がある。
まず、大気による屈折(くっせつ)で太陽の位置が実際より上に見えるので、その分、日出が早く、日没が遅くなる。
国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の屈折角度を35分8秒と見積もって、計算される日出と日没の時間の差を約2分20秒としている。
 次に、太陽の視直径が関係する。
太陽の上端が地平線と一致した時刻を、日出あるいは日没と定義しているために、太陽の半径の分だけ日出が早く、日没が遅くなる。
これによる日出と日没の時間の差は約1分5秒である。
また、1日の間に太陽の黄経が変わるため、秋分日のいつがその瞬間になっているかによって、昼夜の長さが差が出る。
実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は、秋分の4日ほど後になる。
 北極点か南極点にいると、秋分の太陽は地平線と重なって動き、昇りも沈みのしない。
 日本では、春分と秋分の3日前から7日間を、それぞれ春の彼岸(ひがん)、秋の彼岸としており、春分、秋分は「彼岸の中日」と言う。
彼岸は、日本独自の行事である。
春分は官報で発表される。
祝日の春分の日は前年の2月1日に国立天文台が官報で発表する「春分日」を基準にして決められる。

 黒い牛歩く春分の日が真上 有馬朗人

 秋分やいそしむこころやうやくに 岩城久治
(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)
 おはぎ

 もち米とうるち米を混ぜて炊き、半搗(つ)きにし、丸めて周りに餡(あん)や黄な粉、胡麻(ごま)などをつけたもの。
一年中販売する店もあるが、お彼岸になると行事菓子として、スーパーやコンビニの店頭にも並ぶ。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)
 おはぎについて語るとき、話題になるのがぼた餅との違いだ。
秋には萩の花に見立てておはぎ、春には牡丹(ぼたん)の花に言寄(ことよ)せてぼた餅という説もあれば、うるち米が多いとおはぎ、もち米主体に作ればぼた餅などの使い分けもある。
地域や世代によって諸説様々だが、本来、両者は同じもの。
『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697)には「母多餅一名萩の花」とあり、当時は母多の字が使われ、「萩の花」ともいわれていたことがわかる。
しかしぼた餅には、顔が丸く大きい不器量な女性の意味もあり、宮中の女官が使う女房詞(にょうぼうことば)の「萩の花」に由来するおはぎの方が上品な響きがあったようだ。
 現在はおはぎが一般的な名称だが、昔はぼた餅以外にも様々な異名があった。
もち米をいつ搗いて作るか隣家ではわからないため(米を半搗きにして作るため)「夜舟」(着き知らず)、「北窓」(月入らず)、「隣知らず」とも呼ばれた。
また、「半殺し」(半搗きにするため)の異名もあり、宿の主人が夜、「半殺しにしよう」と話しているのを聞いた旅人が、勘違いして逃げ出すという笑い話も伝えられている。
こうした数々の異名は、おはぎがそれだけ各地で作られ親しまれた証しともいえるだろう。
江戸時代には、お彼岸以外にも、四十九日の忌明けや10月の亥の日にもおはぎ(亥の子のぼた餅とも呼ばれる)を作っていた。
市販のものでは文政(1818~30)年間に、麹町(こうじまち)三丁目(現在の東京都千代田区)で松坂屋おてつが売り出した小豆(あずき)餡、黄な粉、胡麻餡の三色牡丹餅が江戸名物として大人気だった。
 また、『きゝのまにまに』の安政元(1854)年の条には「家内親族奴僕等へわかちあたへ、あまさず是を食すれば炎暑に不中(あたらず)とか、市中一般巷説す。依て家々是を調し喰ふがゆゑに、搗米屋餅白米をきらし、粉屋豆の粉を切らせり。此故にたまたま牡丹餅あきなふ家へも、買人頻りにこぞり来りて甚(はなはだ)混雑せり」とあり、流言の影響から牡丹餅人気が沸騰したこともあったようだ。
 江戸時代後期には彼岸におはぎを配る(音物とする)風習が江戸で定着していたようで、滝沢馬琴(ばきん)の『馬琴日記』(1823~48記)には、彼岸には手製の牡丹餅を贈ったり、もらったりする記述があるほか、『守貞謾稿(もりさだまんこう)』(1853)に「今江戸にて彼岸等には市民相互に是を自製して、近隣音物とする成」と見える。
小豆は病を除(よ)けるという民間信仰があることも、おはぎが先祖供養や子孫繁栄の願いと結びついた理由の一つとも考えられよう。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)

いん・ぶつ【引物・音物】進物。贈り物。いんもつ。
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)
今朝の父の一枚です(^^)/
母が、楽しみにしていたシダレザクラをよく写しています。

第3章 里の桜
 枝垂れ


 ‘枝垂桜’は、すでに述べたように、もっとも早く定着した栽培品種と考えられる。
ただし、その他にも枝垂れるという特徴をもつ桜がある。
カスミザクラの‘霧降桜(きりふりざくら)’、オオヤマザクラの‘枝垂大山桜(しだれおおやまざくら)’、サトザクラの‘仙台枝垂(せんだいしだれ)’、エドヒガンの‘八重紅枝垂(やえべにしだれ)’などである。
 本来上に伸びる枝が枝垂れるというの変異は、サクラだけではなくイチョウやカツラ、クリ、ケヤキなど、様々な樹木に見られる現象である。
植物ホルモンのジベレリン不足が枝垂れる原因と考えられている。
樹木は本来、ジベレリンによって枝の上側に堅くなる木部(あて材)が形成されることで、枝が重力に逆らって上向きに伸びる。
ところが、なんらかの異常によってジベレリンが不足すると、このあて材が形成されず、枝が伸びはじめてまだ柔らかい時期に重力によって垂れ下がるのである。
…つづく…
(『 桜 』勝木俊雄 岩波新書 2015年)