2023年3月1日水曜日

3月1日

3月1日の朝、気温が上がりテングチョウに出会いました。
テングチョウは、成虫で越冬するので暖かくなるといち早く出会うことができます。

大阪商人の文化感じる「船場のおひなまつり」〟(関西NHK 2月28日)
 いきいきと三月生る雲の奥  飯田龍太

 春の光はまばゆいが、地上の気温はなかなか上がらない。
季節感は光と気温で一カ月以上もずれがある。
寒さのどん底は二月だろう。
けれど<雲の奥>では春の光が胎動しはじめる。
そして三月が生まれるという実感を伴う。
うれしい光の春である。
 光は規則正しく変化してゆくが、寒さはあともどりすることもあって、恨めしく空を見上げるときもある。
白い雲は薄く一面に掃(は)いたように棚引いて、実に美しい。
たたずんでじっと眺めていたか。
春の空が刻々変化している実感を、見事に言い当てた一句である。
<三月生る>とドラマ仕立ての表現が、すべてに生気を与えるかのようだ。
自然をよく見ることは、見る人をもまた生き返らせる。
  1920~ 山梨県生まれ。飯田蛇笏の四男。「雲母」継承主宰。
  句集『百戸の谿』『山の木』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』 村上護 新潮文庫 平成17年)

飯田龍太(いいだりゅうた)」(NHKアーカイブス)
雲は雲でも…

1954(昭和29)年3月1日 米のビキニ水爆実験で第5福竜丸被災。
 3月16日『読売』、第5福竜丸水爆被爆をスクープ。築地魚河岸の同船の水揚げ鮪から強度の放射能検出。
(『新版 日本史年表』歴史学研究会 岩波書店 1984年)

第五福竜丸 ビキニで被ばく」(NHKアーカイブス 1954年)

都立第五福竜丸展示館
Ⅲ 戦後
 4 ヒロシマ・ナガサキ
 ノー・モア・ヒロシマ


 占領下の日本では原爆投下批判は許されなかった。
ヒロシマの被害を逸早(いちはや)く「ノー・モア・ヒロシマ」と世界に報じたイギリス人ジャーナリストのバーチェットは、GHQによって、原爆病の記事を否定された。
そして、ヒロシマはジャーナリストの立入禁止区域にされた。
 広島で被爆した正田篠枝(しょうだしのえ)が1946(昭和21)年3月、『さんげ』という歌集を出版した。
「噫(ああ)! 原爆投下 ピカッドン一瞬の寂(せき)目をあけば修羅場(しゅらば)と化して凄惨のうめき」が冒頭(ぼうとう)にのっている。
当時はGHQの検閲が厳しく、「見つかりましたら、必ず死刑になるといわれました。死刑になってもよい」という決心で秘密出版にしたそうである。
(『Story日本の歴史 近・現代史編』日本史教育研究会編 山川出版社 2000年)
 1950(昭和25)年3月、フランスの科学者ジョリオ=キューリー博士が「核兵器の絶対禁止、最初の核兵器の使用者を戦争罪人とする」というストックホルム・アピールを発表し、核兵器反対の署名はこの年の内に世界で5億人に達した。
そういう中で丸木位里(いり)・赤松(丸木)俊(とし)夫妻の「原爆の図」が東京ではじめて展示された。
しかしまだ原爆反対は一部の声であった。
 核兵器が保有されている以上、核戦争の危険は存在する。
1950(昭和25)年7月朝鮮戦争が始まると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍が韓国軍を朝鮮半島南端まで追いつめ、国連軍の反撃で北朝鮮軍が半島北端まで押し返されると、中国人民義勇軍が参戦、また押しもどした。
朝鮮半島を押したり引いたりするのでアコーディオン戦争とよばれた。
国連軍の厳しい状況を知ったアメリカのトルーマン大統領は「原爆使用もあり得る」と言明した。
 1954(昭和29)年3月焼津(やいづ)の漁船第五福竜丸が南太平洋ビキニ環礁(かんしょう)で行われたアメリカ水爆実験の死の灰を浴びた。
岡崎勝男(おかざきかつお)外相は、「アメリカの核実験阻止は日本としてすべきではない。」と衆議院で答弁したが、東京の杉並区の主婦が原水爆禁止の署名運動を始め、この年2千万人が署名した。
翌年第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。
 核戦争の危機は1962(昭和37)年にもあった。
ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとした。
そのミサイルは、アメリカ合衆国のかなりの部分を攻撃できるものであった。
ケネディ大統領は、ソ連の核攻撃に、全面的な報復をもってのぞむとテレビで放送した。
アメリカでも、ソ連でも、核戦争を覚悟した人々は、食料を買い占め、核シェルターに避難しようとした。
ベトナム戦争の時にも、小型核兵器の使用がアメリカで主張された。
(『Story日本の歴史 近・現代史編』日本史教育研究会編 山川出版社 2000年)

広島で第1回原水禁世界大会」(NHKアーカイブス 1955年)
  戦争と平和 ある観察
 4 戦争準備と平和の準備


…前略…

 実際、人間が端的に求めるものは「平和」よりも「安全保障感 security feeling 」である。
人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。
人間はしばしば脅威に過激である。
しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。
完全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。
(『戦争と平和 ある観察[増補新装版]』中井久夫 人文書院 2022年)
 「安全保障感」希求は平和維持のほうを選ぶと思われるであろうか。
そうとは限らない。
まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。
まことに「安全の脅威」ほど平和を掘り崩すキャンペーンに使われやすいものはない。
自国が生存するための「生存圏」「生命線」を国境外に設定するのは帝国主義国の常套手段であった。
明治中期の日本もすでにこれを設定していた。
そして、この生命線なるものを脅かすものに対する非難、それに対抗する軍備の増強となる。
1939年のポーランドがナチス・ドイツの脅威になっていたなど信じる者があるとも思えない。
しかし、市民は「お前は単純だ」といわれて沈黙してしまう。
ドイツの「権益」をおかそうとするポーランドの報復感情が強調される。
 しばしば「やられる前にやれ」という単純な論理が訴える力を持ち、先制攻撃を促す。
虫刺されの箇所が大きく感じられて全身の注意を集めるように、局所的な不本意状態が国家のありうべからざる重大事態であるかのように思えてくる。
指導層もジャーナリズムも、その感覚を煽る。
…後略…
(『戦争と平和 ある観察[増補新装版]』中井久夫 人文書院 2022年)
今朝の父の一枚です(^^)/
シロハラセンダンの実を食べています。
メジロたちには、大きすぎますね(*´▽`*)


 鳥たちの求愛行動  上田恵介
  鳥にもあった同性愛?
 オスと(&)オスペア


 オランダの大学で飼育されていたユリカモメは、形成された57の繁殖ユニットのうち、6つがオス同士のペアだった。
彼らは巣づくりをし、人工卵を入れると交代で抱卵まで行なった。
さらに研究者が受精卵を入れてみたところ、ヒナを孵(かえ)したばかりか、きちんとエサもやり、無事に巣立たせたという。
 野生環境下では、オス同士で子孫を残すことはできない。
しかし、ユリカモメではメスが他の巣へ出かけて行って托卵する行動が知られている。
自然界で本当にあるかどうかはわからないが、オス同士のペアがつくった巣へメスが産卵し、子育てをオスたちに任せてしまうことも可能だ。
そうすればタマシギの例のように、メスが少ないエネルギーで、自分の遺伝子を多く残すことができるだろう。
 同性同士のペアが生じるのは、いったん選んだ配偶相手に対する強い刷り込み現象であると考えられる。
「一度つがいになったら一生添い遂げること」それが進化史的に有利だったから、これらの鳥は場合によっては同性ペアをつくってしまうのである。
(『日本野鳥の会のとっておきの野鳥の授業』日本野鳥の会編、上田 恵介監修、山と渓谷社 2021年)