2020年1月23日木曜日

雨が降っていたので…

朝、雨が降っていたので散歩を諦めました。
天気予報を見ると午後から少し小降りになりそうだった。
で、午後から出かけましたが、まだ降りそうな空模様だったので、50㎜レンズで出かけました。
そんな時に限って、最近会えていなかったエナガやコゲラたちに出会った(^-^;
Eテレ「先人たちの底力 知恵泉」で昨日から二週連続で平清盛が取り上げられます。
一回目は「超格差社会を生き抜くには 平清盛~清盛流出世術~

来週は「豊かになるとは 平清盛~清盛流イノベーション~
一回目の番組を見ていると街頭でアンケートを取ると
理想的な上司として平清盛は一票も入らなかったようです(^_-)-☆
でも、大原 富枝さんと竹内理三さんの対談(2019年2月23日の記事
村井 章介さんの『中世日本の内と外』(2019年3月22日の記事)にあるように
平清盛の評価は今まで、勝者の側によって貶められていると思います。
私なら1位になった織田信長の部下になっていたら、いっぺんに抹殺されてしまう(^^;
若松英輔さんのTwitter(2020.01.19)

柳宗悦は読むたびに新しい。
この五年間、月のうち一週間は、柳の言葉に向き合い、彼の生涯を描くのに費やした。
それでもなお、新しい本を読んでいるような発見がある。
柳は「物」に潜んでいるコトバを読む。
井筒俊彦のいう非言語の意味のうごめきを「読み」解く。
柳にとって世界は一冊の書物だった。


前から、柳宗悦(やなぎむねよし)の文章を転記したいと思っていました。
朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』より「朝鮮人を想ふ」を紹介します。
少し、長いので何回かに分けて転記しますφ(..)
なお、本は絶版のようです。漢字は字体を変えています。
最後に書かれている柳宗悦による注記をまず紹介します。
大正8年5月20-4日読売新聞所載。
同年3月1日京城を中心として朝鮮の各所に起つた所謂騒乱事件に対して、誰も不幸な朝鮮の人〻を公に弁護する人がいないのを見て、急ぎ書いたのである。
これは私が朝鮮に就いて書いた最初のものであつた。
これは私が朝鮮に就いて書いた最初のものであつた。
誰かの好意にようって大部分は英訳されて The Japan Advertiser( Aug.13, 1919)
に掲載された。
翌年その朝鮮訳が京城東亜日報(4月12日より)に掲載された。
(『朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』日本民芸協会編 春秋社 1972年)

韓国3・1独立運動から100年 女性運動家 評価の動き」(東京新聞)
朝鮮人を想ふ

   一
 自分は朝鮮に就いて十分な予備知識を持つてゐるわけではない。
僅かに所有する根拠があれば、それは凡そ一ヶ月の間朝鮮の各地を巡歴した事と、旅立つ前、二、三の朝鮮史を繙いた事と、予てからその国の芸術に厚い欽慕(きんぼ)の情を持つてゐるこの三つの事実だけである。
 併し是等は僅かな根柢に過ぎぬかも知れぬが、今もだし難い情が私のこの一篇を書かせたのである。
私は以前から朝鮮に対する私の心を披瀝したひ希ひがあつたが、今度不幸な出来事が起つたため、遂にその期が来て私にこの筆を執らせたのである。
 私は今度の出来事に就いて少なからず心を引きさかれてゐる。
特に日本の識者が如何なる態度で、如何なる考を述べるかを注意深く見守つてゐた。
併しその結果朝鮮に就いて経験あり知識ある人々の思想が殆ど何等の賢さもなく深みもなく又温かみもないのを知つて、私は朝鮮人のために屢〻(しばしば)涙ぐんだ。
 私は前にもいつたやうに朝鮮に就いて何等の学識ある者ではないが、幸ひに私はその芸術に現れた朝鮮人の心の要求を味はう事によつて、充分な情愛を所有する一人であるのを感じてゐる。
私は屢〻想ふのであるが、或国の者が他国を理解する最も深い道は、科学や政治上の知識ではなく、宗教や芸術的な内面の理解であると思ふ。
言ひ換へれば経済や法律の知識が吾〻を他の国の心へ導くのではなくして、純な情愛に基く理解が最も深くその国を内より味はしめるのであると考へてゐる。
私は日本に於ての小泉八雲( Lafcadio Hearn )の場合の如きをその適例であると思つてゐる。
恐らく今までハーンほど日本を内面から味はひ得た人は無いであらう。
外国人の書いた日本に関する本が何百あるか知らないが、ハーンの著作ほどその美しさと鋭さと温かさとに充ちたものはないであらう。
彼は或日本人よりも日本を一層よく理解してゐた芸術家であつた。
芸術は実に鋭い直観の理解であるが、科学や政治は却つて屢〻独断に充ち利己に傷ついた不純な理解であつた。
 特に他人の心に触れ逢はうとする微妙な契機に対して、知よりも情こそ深い理解の道であらう。
隣人との交りは只愛が結ぶのである。
軍政や圧迫が人と人とを結ぶと誰が思ひ得るであらう。
知でもなく刃でもなく只一つの情にこそ不思議な力がある。
平和を愛する者はたえず微笑むであらう。
怒号が何時何処で平和を齎らした場合があらうか。
 朝鮮に住み朝鮮を語る人〻の間にはまだハーンのやうな姿は一人もいないのである。
その古墳を発き古芸術を集める人はあるかも知れぬが、それによつて朝鮮に対する愛の仕事を果した人は一人もないやうである。
彼等は如何なる美を捕へ得たであらうか。
涙が嘗て彼らに湧いた事があるであらうか。
日本は多額の金と軍隊と政治家とをその国に送つたであらうが、いつ心の愛を贈った場合があらうか。
如何なる日本の芸術家が彼等の間にあつたか。
況んや如何なる日本の宗教家が朝鮮の霊を救はうとしたであらうか。
私は想ふのである。
凡ての朝鮮人は金よりも政治よりも軍隊よりも、只一片の人情に、より多く飢ゑてゐるのである。
(『朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』日本民芸協会編 春秋社 1972年)