2020年1月2日木曜日

初夢は見たけれど…

「どんな初夢を見ることができるかな?」と、思ったけど…
仕事に追われる夢だったような…(-_-;)
とっくに現役を引退しているのになぁ…
要領が悪く、職場の仲間には迷惑かけていたなぁ…
昨夜、録画していた「2000年を生きる 塩野七生と高校生の対話」(Eテレ)を
父と一緒に見ていて二人とも塩野七生さんの言葉に感動していました。
82歳だそうですが、かっこよかったなぁ!
相手が高校生であっても一人ひとりを人格をもった人として誠実に接しておられた。
あの時間に参加できた高校生は生きていく上での「免疫」力を高めただろうな!
高校生たちの真剣な眼差しがキラキラ光っていた。
塩野七生さんの本は、気になっていたけど、そのボリュームに腰が引けていた。
読まないで済ますのはもったいない…

指導的地位にありながら、かつて高校に出向いて一方的に自論をまくしたて、
政治は大人に任せていればいいと言って高校生の意見を聞こうとしなかった人がいる。

グレタ・トゥーンベリさんへ批判的なコメントをする人を見ていると器が小さいなぁと思う。
塩野七生さんの言葉をいつかテープ起こししたい…
Eテレ 「100分deナショナリズム」も面白かった。
四人の方が紹介していた四冊とも興味があり『君主論』は大学の授業で参考文献だった。
なのに頭に残っていない(^^ゞ
そしてヤマザキマリさんが『方舟さくら丸』をとりあげていた。
安倍公房が好きで、学生時代、何冊か読んだ。
でも、『方舟さくら丸』も読んだのに記憶がない(^-^;
塩野七生さんに続いて「100分deナショナリズム」には、今の日本を読み解くヒントが一杯だった。
再放送が1月5日14時30分から)
岩波書店の新聞広告「『読む』ことから始めよう」に共感しました。
その一部を転記すると

 いま、敗戦とは別の意味での、荒廃した風景が日本を覆っています。
表現の自由への攻撃、報道の規制、公文書の改竄、歴史事実の否定……。
いわば近代国家、民主主義の基盤の破壊です。
ネットにあふれる侮蔑の言葉や隣国への敵視・嫌悪の源には、衰退と停滞と閉塞があります。

 日本はまさに敗戦に匹敵する危機に直面している――
この惨状を、二十年も前に予告していたのが、経済学者・森嶋道夫の『なぜ日本は没落するか』(岩波現代文庫所収)でした。
精神の荒廃、産業の荒廃、金融の荒廃をもたらしたのは、論理的思考力と判断力を育まない教育のあり方にあると指摘していた森嶋は、続けて、次のように述べます。
「日本がいま必要としているのは記憶力に優れた知識量の多い、いわゆる博学の人ではなく、自分で問題をつくり、それを解きほぐすための論理を考え出す能力を持った人である」。
(以下略)

大阪などの知事や市長は学力テストの成績アップを学校現場に圧力をかけています。
しかし、彼等の目指す学力は塩野七生さんや森嶋道夫さんの言われる学力ではない。
四季の博物誌』は資料としては古いけど、気になることがあるとよく本を開く。
読んでいると、当時の社会事情まで思い起こさせてくれる。
新年」を転記したいと思いますφ(..)
転記しながら当時を思い出して懐かしかったです(^_-)
(現在では使われない言葉もありますが、原文通りとします)
新年
 大晦日も一夜明ければ正月である。
虚子は「去年今年貫く棒の如きもの」とズバリ言う。
去年(こぞ)ともなく今年(ことし)ともなく、憂きことも去年(こぞ)になりゆく今年である。
去年(こぞ)とやいはむ、今年とやいはむ。
時の流れのなかに正月が毎年やってくるのは人間の定めた約束ごとである。
英語でいう一月のジャニュアリー( january  )は古代ローマの神ヤヌス ( Janus )の祭り月で、双面神のこの神は事の初めと終わりとを司り、門や出入り口の守護神、つまり去年今年(こぞことし)のことなのである。
一年十二カ月の呼び名を西欧では神話などにちなみ文学的に名付けているが、日本は中国にならって一月、二月とドライな数字で表していることも不思議な対照ではある。
もっとも、むつき、きさらぎ、やよい、さつき、しはすなど、やまと言葉の月の異名は『紀』の神武紀に早くから出ている。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
 元日のことを森羅万象ことごとくに「初(はつ)」がつき、初日(はつひ)の出、初空、初富士、初詣で、初明かり、初茜、初晴れという。
初日の出といっても昨日と同じ古い馴染みの太陽と変わりはなく、若水といってもゆうべの水道のつづき、といってしまっては身も蓋もない。
若水は泉や井戸で汲むものだったが、今は井戸は埋め、まして井の底に鏡を沈めることもない。
栓をひねれば出る水道では若水の感じはない。
人間は惰性に流されるものなので、一年を区切って新年を定め、心を新たにするよすがとした。
それは人間がおのれの愚かさを知っていればこその賢い知恵ともいえよう。
正月という言葉を公式の文章に初めて使ったのは、『古事記』(西暦712年)に太安万侶の序「和銅五年正月二十八日」と記されてあるもの。
次いで『日本書紀』(720年)の「辛酉年の春正月」神武天皇即位の記述ではないかと思う。
 正月気分と正月風景は、都会では手あかによごれて年とともに薄らぎ、ふるさとの田舎ほど古い姿が残っている。
家には竹のすだれを垂れ、紋付き羽織袴でお宮参りをするが、神前で柏手(かしわで)を打つまでは人と口をきかぬしきたりもある。
鎮守の森が白一色の雪にしずもり、境内には篝火(かがりび)が燃える。
先年の国際植生学会にきた外国の学者たちは鎮守の森を西欧のキリスト教会やイスラム教のモスクにはない素晴らしい郷土自然として高く評価したが、鬱蒼たる鎮守の森は正月風景にふさわしい。
 門松はすがすがしい正月風物である。
青竹に松の緑を配し、直截簡明な美がある。
せっかく新鮮な門松もデパートや商店街の歳末大売り出しで早くから街に立ち並び、肝心の正月がきたときはうら枯れて汚れた姿になっている。
門松は年神を正月に迎えて門で祭る神の依代(よりしろ)なのだから、季節のものは折り目正しく大切に扱わなければならぬ。
団地アパートの2DKでは門松を立てようもなく、注連(しめ)飾りや簡単な輪飾りですます。
玄関や台所、水道そして子供の自転車、ママの鏡、パパのゴルフ道具などと。
皇居では門松も立てず注連も飾らぬしきたりで、二重橋や坂下門にもない。
これは賢所、神殿など宮中三殿に神は常住との考えらしい。
東宮御所はお子さまのために小さな門松をたてたが今はどうか。
「元日やことしもどうぞ女房どの」。
これは吉川英治の俳句だが、日本の家庭の正月風景の原形を示している。
核家族化や勤めの忙しさから日常の一家はスレ違いのことが多いが、せめて元日くらいは主婦を中心に女系家族の型通りに一家が顔を合わせる。
屠蘇を酌む家も今は少ないが、シャモジ権を握る女房どのの采配で雑煮とおせちを食べる。
おせち料理はせめて正月だけでも主婦の労力を省く、いたわりの工夫と思われる。
今の若いひとはおせちも洋風や中国料理を好み、正月の食べ物も変わっていく。
 若者たちにとって正月は暮れから続くバカンスでありホリデーであり、旅行やスキーや冬山へと、室内の正月から野外の正月へと変わりつつある。
服装と風俗もそうで、日本髪ときもの姿の初詣で姿はすたらぬものの、赤、青、黄などの原色鮮やかなヤッケ姿でスキーをかつぎ列車に乗り込むのが、きわだった現代正月風俗なのでもある。
そうかと思うと正月二日には数万の老若男女の庶民が皇居参賀に出かける。
昔は禁苑だった二重橋を渡り、長和殿ガラス張りのベランダに立たれる両殿下に東庭からあいさつを送るのは、新しいような古めかしいような正月風景である。
 小倉百人一首のかるた会はちかごろ復古機運にあるようだ。
明治・大正時代には優雅な遊びだった。
あのころ男女の交際はまだ儒教的束縛があり、かるた会だけが公然と社会的に認められた「集団見合い」の場であった。
和歌の文学的ふんいきの中で若い男女が膝つき合わせての情緒的パーティーだったが、今は半ばスポーツ的な室内ゲームとして復活している。
ガガイモ 種髪)

 カレンダーは写真と印刷の進歩から華麗な壁飾りとなったが、「暦(こよみ)のない暦」のようになった。
日付と曜日はわかるが、大安、仏滅、三隣亡、友引など九星迷信のないのはよいとしても、節分、立春も啓蟄、夏至、秋分もないのが多い。
むかしの無細工な柱ごよみや日めくりには月の満ち欠けも、日の出、日の入りも、潮の干満も何もかも書いてあって、農耕にも商売にも慶弔にも便利で重宝したものだ。
日めくりは米国人ベンジャミン・フランクリンの「貧しきリチャードの暦」(プア・リチャーズ・アルマナック)にならったもので、1枚1枚の日めくりに刷り込んだ格言金言は米国民の民族性形成に役立ったとさえいわれ、アメリカと欧州では長いあいだ聖書に次ぐベストセラーであった。

カレンダーの語は元来は古代ローマで物見の者が西の地平線に新月の現れるのを見て「出ターッ」と叫んで伝令したことのラテン語からきた由で、月の第一日の朔(さく、ついたち)を定めて農耕や商取引の基準とした。
その暦をきめるのは帝王や法王のつとめで、日本でも伊勢神宮が司った。
むかし文盲の人に絵で見せた農村の盲暦(めくらごよみ)、梅ごよみなど、辛夷(こぶし)が咲けば、郭公が鳴けば、雪どけで山の形が駒となればと農耕の時期を絵ごよみで教えた。
コヨミのない飾り物のカレンダーでは人間生活を営む役には立たないのである。
 それにしても新年、正月はなぜこんな寒い冬の時期に世界中が定めたのだろうか。
夏でもなく秋でもなく、収穫が終わって春の種蒔きまでの農閑期の冬である。
世界の文明の源流は北半球のだいたい北緯30~40度の間で発生した。
ナイル川のエジプト文明、チグリス・ユーフラテス両河メソポタミアのシュメール・アッカド文明、バビロニア文明、中国の黄河文明、ギリシャ・ローマ文明もみなこの緯度帯(インドのインダス、ガンジス文明だけ少し南にはずれている)の中に誕生した。
そしてそれらの地域の天文、気象がほぼ同じ緯度帯であるため正月を定めた暦も東西ともほぼ一致したのであろうか。
天文と気象で日本の四季を区別する二十四節気は黄河の上流、陝西省西安(昔の長安)あたりのものだとかで、ほぼ同緯度の奈良、京都、東京など日本列島の風土感、季節感とあまり大きなズレはなく、農村の生活では二十四節気は今も生きつづけている。 (荒垣秀雄)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
今朝の父の一枚です。
ジョウビタキ♀に出会っていました(^^)v