2020年1月11日土曜日

飛行機雲がまっすぐのびているのは…

今朝は、薄い雲(巻雲など)が広がっていました。
飛行機雲がまっすぐのびている
天気予報では、これから天気が崩れるみたい。
ハシボソガラスが相手の毛づくろいをしてあげていました。
されている方は気持ちよさそうでしたよ(*´▽`*)

 夫婦になって繁殖できるようになると、その結びつきは数年続くと言われています。
相手が死なない限り、一生一緒なのかもしれません。
そして、命尽きるまで子育てを繰り返します。
寿命がどれくらいかはわかっていません。
飼育条件下では数十年生きた記録がありますから、野生のものでも長生きすればそれくらいになるのではないかと思います。
(『身近な鳥の生活図鑑』三上修 ちくま新書 2015年)
1月11日 
  県召除目(あがためしのじもく)
 清少納言は『枕草子』の中で、県召除目のことを「すさまじきもの」と形容した。
 県(あがた)とは地方の国のことで、県召除目とは地方官の任命の儀式のことである。
この儀式が近づくと、朝廷に仕える人々は、よい地位につけてもらうため、自薦他薦で猛烈な運動をした。
そしていよいよ除目となれば、誰がどの国の受領(ずりょう<国司(こくし)>)に任命されるかが、人々の大きな関心を集めた。
受領の地位は、平安時代にはきわめて収入が多かったからである。
 除目の式日は三日間で、必ずしも11日からとは限らなかった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
22 すさまじきもの
 不調和で興ざめなもの…(略)
 除目(じもく)に官職を得ない人の家、これは興ざめだ。
今年(ことし)は必ず任官すると聞いて、以前仕えていた者たちで、あちこちよそに行ってしまっている者や、片田舎(かたいなか)に住む者たちなどが、みなこの家に集まって来て、さらにまた、出はいりする訪問客の牛車の轅(ながえ)も隙間(すきま)がないほどに見え、任官祈願の物詣(ものもう)でをする供にも、われもわれもと伺って奉仕し、物を食(く)い酒を飲み、大声で騒ぎ合っているのに、任官の詮議(せんぎ)が終る夜明け方まで、吉報をもたらして門をたたく音もしない。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
「おかしい」などと、耳をすまして聞くけれど、先払いの声がいくつもして、上達部(かんだちめ)などがみな宮中から出ていらっしゃる。
物を聞くことのために、前夜からお役所のそばで寒さにぶるぶる震(ふる)えながらひかえていた下男(げなん)などが、ひどく大儀(たいぎ)そうに歩いて来るのを、こちらにひかえている者たちは、「どうだったか」と問うことさえできない。
よそから来ている者なんかが、「殿(との)は何におなりになっていらっしゃるのか」などとたずねる。
応答としては「何々の国の前司(ぜんじ)ですよ」と、必ず応じる。
ほんとうに頼みにしたのだった者は、ひどく情けないと思っている。

翌朝になって、隙間もなくひかえていた者も、しだいに一人二人(ひとりふたり)ずつ、こっそりとすべり出てしまう。
古くから仕えている者で、そうそうあっさり離れて行ってしまえそうもない者は、来年の闕官(けっかん)予定の国々を、指を折ってかぞえたりして、ひょろひょろあたりをうろついている、その様子はとても気の毒で、興ざめに見える。
(…略…)
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
 除目に司(つかさ)得ぬ人の家……。
除目に期待をして、昔の召使いたちなどまで集まってきている。
ものを食べたり、酒を飲んだりして、一晩中さわいでいたが、除目の終わる明け方まで報告が入らない。
おかしいと思って耳をすまして聞いていると、評定を終えて宮中から退出するのだろう、前駆を追わせて公卿たちが通っていく。
情報を聞きに出かけていた下男が、寒さにぶるぶるふるえながら、憂鬱そうにして帰ってくる。
「殿は何におなりになりましたか」と問うと、「今までどおりの国も守(かみ)で」と、だれに聞かれてもそう答えるのである。
心から頼りにしていた身内の者など本当につらい。
集まっていた連中も、一人去り、二人去り……。
 受領(ずりょう)の家の娘である清少納言は、身辺にこうした経験を実際に味わったのであろう。
(『図説日本の古典6 蜻蛉日記・枕草子』
  著者代表 木村正中 集英社 昭和54年)
(注)県召除目(あがためしのじもく)は、通例正月十一日に始まって十三日に終る。
受領の補任(ぶにん)は第三夜に決定するが、任官の決定したものは宮中に召されて、左近衛の陣外で任官の召名(めしな)を承り、拝舞(はいむ)して退出することになっている。
したがって、第三夜の明け方まで門を叩く音もないとは、全く音沙汰なしで、官職を得なかったこととなる。
(『新潮日本古典集成 枕草子 上』萩谷朴校柱 新潮社 昭和52年)
じもく 除目
諸司諸国の官人を任命する儀式。
また除目の儀で決定された任官の結果を記した目録。除書ともいう。
「除」の文字には「旧官を除いて新官を授ける」という意味があり(『漢書』五二、田蚡伝)、除目・除書とも本来は任命の辞令あるいは任官目録を指した語であって、それが儀式を意味する言葉として定着するのは平安時代に入ってからと思われる。
また大臣は宣命によって任ぜられるように定められており、除目の際に任ぜられることはないのであるが、任大臣儀を含めた任命の儀式を広く除目と呼んだ例もみえる。
除目の儀式の実際の様子については『西宮記』などの儀式書や『小右記』などの日記類により、平安時代中期以降の姿を知ることができる。
春除目・京官(きょうかん)除目など諸司諸国の四等官を任ずる主要な除目では、それらの欠官を集約し、さまざまな関係文章や前例を考慮して適当な人物を選び、天皇(もしくは摂政・関白)の許しを得て決定する。
除目の儀式を執り行う役は執筆と呼ばれ、春除目・京官除目では原則として一上(いちのかみ<第一の大臣>)が勤めるように定められている重要な役であった。
(『有識故実大辞典』鈴木敬三編 吉川弘文館 平成7年)
各種の除目の中で最も規模が大きく重要なものが春除目(県召除目<あがためしのじもく>・外官<げかん>除目)であり、ただ除目と称せられることもある。
儀式書では正月の年中行事とされているが、2月にも多く行われ、3月の例も少なくない。
儀式は三夜にわたり、別称のごとく外官の任命が中心であるものの、京官の任命も行われ、叙位が伴うこともある。
京官除目(司召除目<つかさめしのじもく>・秋除目)は、春除目に次ぐ重要な除目であり、年中行事となっている。
初期は2月ごろに行われたらしいが次第に遅くなってゆき、秋除目とも称されるようになりながら、10ー12月に行われることも多かった。
二夜あるいは一夜で、京官のほかに外官の任命があることは春除目と同様であり、儀式次第は春除目に準ずるが、細部では異なる点もあった。
以上の主要な除目は、結果を大間書(おおまがき)に書き込むところから「大間の除目」とも称された。
このほかに欠官の補充のために随時行われる小規模な除目が小除目(臨時除目)であり、おおむね一夜であった。
大間の除目や小除目では、途中で国司の成績評価会議である受領功過定(ずりょうこうかさだめ)が行われることが多かった。
また、特定の官職を任ずる除目として、立坊(りつぼう)の際などに春宮坊の職員を任ずる坊官除目(ぼうかんじもく)、同じく立后(りっこう)などに伴う中宮職(皇后宮職・皇太后宮職・太皇太后宮職)の職員を任ずる宮司除目、任大臣儀に続き大臣の兼官の任ずる兼官除目、女官のみを任ずる女官除目、一分(諸国の史生、国医師・博士)を任ずる一分召除目、大嘗会の悠紀(ゆき)・主基(すき)の国司を任ずる大嘗会国司除目などがある。
このほか服喪などの理由により一時官を離れていた者が復帰する際に行われる復任除目(ふくにんじもく)があった。
除目は中世になると徐々にその実質的な意味を失ってゆくが、形式的には室町時代まで継続した。 (吉田早苗)
(『有識故実大辞典』鈴木敬三編 吉川弘文館 平成7年)
好きな女優さんというか尊敬しているメリル・ストリープさんが
ゴールデングローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞されました。
そこでのスピーチが素晴らしいです。
「権力者が地位を利用していじめをすると、全員が負ける」ストリープさん、トランプ氏を批判【全訳】〟(BuzzFeed News)
今日の夕刊に
エリート官僚、左遷の地の書 顔真卿の石碑みつかる」(朝日新聞)

 8世紀中ごろの中国は、唐の全盛期をもたらした玄宗(げんそう)皇帝が治世の後半になって楊貴妃を寵愛(ちょうあい)するなどして政治が乱れ、楊貴妃一族の楊国忠(ようこくちゅう)が宰相となって実権を握った。
そんな中、45歳の顔真卿は正論を貫いて宰相を批判し、753年に平原(へいげん)(現山東省)の太守(長官)に出された。
表向きは昇進人事だが、中央のラインから外される「左遷」だった。

顔真卿については王義之などと並ぶ書家であることは知っていましたが
権力者にもこびない剛直さから何度も左遷された」とは知りませんでした。
今月の100分de名著「貞観政要 呉兢」
『貞観政要』は名前だけ知っていて読みたいと思いながら腰が引けていました(^^ゞ
今回、出口治明さんの解説がとってもわかりやすく、
今、これを取り上げる番組制作者の気概に拍手を送りたいと思います。
今朝の父の一枚です(^^)v
父は、ただカモを写しているつもりだったようですが
図鑑を見せてあげるとヒドリガモだと分って喜んでいました。