2020年1月20日月曜日

晴れていたけど…

来たときは青空で暖かったのですが、
しばらくすると雲が太陽を隠し、風も吹いてきて寒さを感じました。
それでも例年に比べると暖かい…
昨夜のサイエンスZERO「2週連続 探検!火山島“西之島”PARTⅡ」
カツオドリが海に浮かぶプラスチックゴミなどを巣の材料にしていたのだけど
環境問題は深刻だなと思いました。
また今までの土壌の出来方と違う現象が起きていること
日本で繁殖地が少ないアオツラカツオドリ
これまでの西之島では20羽程だったのが64羽も確認できたことから
噴火という環境の変化が有利に働く生き物もいる。
川上和人さんが噴火は、人間に災害をもたらすけれど
鳥たちにとって必ずしもそうじゃないと話をされていました。
会場にいる子どもたちの目がキラキラしているのが素敵でした。
再放送は25日(土)にEテレで午前11時から放送されます。
1月18日の記事で芥川龍之介の「産屋」と
近世女性生活絵典』より「4章 出産――子なきは去る」を紹介しましたが
ケガレ』の「南西諸島における出産と月経をめぐる信仰」を読むと
出産や月経に対する考えの違いをみることができます。
この本には父の故郷、徳之島の葬式のことが書かれているのですが
それを読んだ父が、子どもの頃に経験したと話していました。
引用文の返り点は(一)(レ)のように表記しています。
南西諸島における出産と月経をめぐる信仰
 南西諸島においては、出産とは、魔につけ入られやすい危険な状況であるという考え方が強い。
池間島ではお産のあった家を「シラヤー」「ファナスヤ」「アカツヤ」などという。
シラヤーのシラは、出産のあと十日間産屋(シラヤー)で燃やす木のことである。
アカツヤのアカツは赤血の意味である。
そしてアカツヤの家族やその家に見舞いに行った人は漁やカツオ工場には働きに出ない。
(『ケガレ』波平恵美子 講談社学術文庫 2009年)
 また、家を建てて3年以内の人はアカツヤへは入らない。
もし、どうしても入らなければならない場合は、自宅へ帰らずによその家に泊る。
アカツヤの入口には五寸(15センチ)位の木を十字に組んでかけている。
これを「アディ」または「アジ」という。
「アジ」は魔除けのための木であるといわれる。
このほか、十日間は親類の老女達が毎晩アカツヤへやって来て産婦の側に寝るが、これは「マズムス(悪い霊魂)」が入って来ないためだといい、そこで踊ったり歌ったりする。
 喜界ガ島でも、出産直後は魔につけ入られやすいという信仰がある。
子供が生まれるとすぐに、母親が用いていた枕を庭に投げ出して悪魔を追い払うのだという。
また赤児を寝かせた枕元の上方の屋根裏に棒切れか柴かをつきさすが、これを「イヤギィーをさす」という。
イヤギィーをさすのは、一つには赤児が立派に育つようにと祈る意味と、悪魔に先を越されない呪(まじない)いでもあるらしい。
南西諸島では一般に、ケガレ観は汚なさ、不浄、カミへおの不敬という要素よりも、危険、不安定、魔的なものにつけ入られやすい状態という要素が強いように思われる。
沖縄や奄美において、産屋に「アジ」「アディ」「イヤギィー」などと呼ばれる木を置き、それを魔除けとする習俗は、祝詞の中に見られる「辟木(さきき)」を想起させる。
岡田重精は次のように指摘している。
『延喜式』祝詞の「大殿祭(おほとのほかひ)」の注記に、

  今世産屋以(二)辟木・束稲(一)、置(二)於戸辺(一)、乃以(レ)米散(二)屋中(一)之類成。
 (今の世産屋に辟木・束稲を戸の辺に置き、また米を屋中に散らすの類なり)

とあることから、辟木は木霊を、束稲が稲霊を象徴し、いずれも産屋を鎮め護る機能を担っているのであろう。
その産屋の形は記紀に見られるような「無戸」の産屋ではなく、戸が設けられていて、そこには稲霊や辟木が置かれ、邪悪の霊が侵入しないように防ぎ、産屋を護るための儀礼的処置であったのだろう。
 また、瞥見(べっけん)の禁忌を思い合わせると、やはり外界から遮断されるべき意味を持ち、さらに忌みの標示としての機能をも帯びるのであろう。
屋内に米を撒くことについては、『釈日本紀』に「散米者、解(二)謝其罪(一)(レ)米分散之義也」とあることから米が罪の祓除機能を持つことを考え合わせると、産屋に米を撒くのは鎮め祓いのためであろう、と述べている。
 産屋で火を燃し続けることについては後の第四節「火とケガレ」において述べるが、火というものが「魔」に対抗しうる力を持つもの、危険な状態を元へ戻し、人間世界のバランスを保つ力となりうるもの、さらには人間の文化の象徴であるという認識の一つの現われではないかと考えられる。
 ところで、南西諸島では「魔」とは具体的に何を指すのであろうか。
池間島で、老女達が魔につけ入られないために産婦の側で歌ったり踊ったりする習俗は、かつて死体の側で飲食し歌舞したという南西諸島のモガリの儀礼に似ている。
これは第一節の「死のケガレと飢餓」の項においても述べたように、死者を慰めることのほかに、死体に魔がつかないようにとの呪的儀礼ではなかったのか。
毎夜彼女達が来て魔につけ入られないように産婦の側で寝ることも、毎夜、遺族が来て死体の側で歌舞飲食したことも同一の観念から出た習俗ではないのか。
(「毎夜」に脇点「、、」)
 南西諸島での「魔」が具体的に意味するものは、目には見えないが妖怪や悪魔のよな存在で、死に代表されるような不幸をもたらすもの、ないしはその不幸が起ることの予兆をもたらすものであると考えられる次のような事例がある。
(以下略)
(『ケガレ』波平恵美子 講談社学術文庫 2009年)
今朝の父の一枚です。
ツグミが群れでピラカンサの実を食べていました。
そばにはメジロもいました。