2020年1月28日火曜日

強風で…

今朝は、曇り空で午後から雨が降りそうだったので
ちょっとでも歩こうと出かけました。
強風注意報が出ていて風が強かったです。
雲の流れが速かった…しばらくすると雲が切れて
強風のおかげか青空が綺麗でした。
雲に太陽の光があたり彩雲も見ることができました。
サイエンスZERO「挑戦者たち! 新型ワクチン開発で世界を救え
(Eテレで2月1日土曜日、午前11時00分~再放送)
一緒に見ていた父が戦後、復員兵がマラリアを持ち帰ってきて
父もマラリアに感染したそうです。
黄色い薬を我慢して飲んだと話していました。

マラリアの特効薬『キニーネ』見つかる 戦前の状態のまま」(八重山新聞)
新型肺炎 中国の患者4515人 死者は106人に」(NHK)
などを見聞きすると不安になりますが、
首相はチャーター機で現地日本人を帰国させると発表した時に
何故、中国へ医療団を派遣するなどの支援を提案しなかったのかな?
医療団を派遣することで新型コロナウイルスの情報を得ることできると思う。
福島原発から避難した人々への心ないSNSへの書き込みのように
中国から帰国した人への偏見や中傷する発言が出てくるのではと危惧しています。

大分市 友好都市の武漢にマスク3万枚を送る」(NHK)
感染の拡大を少しでも防ぐには大分市のような行動が必要だと思う。
日本が地震や台風で災害を受けた時に、多くの国々から支援を受けたのです!

これから、東京オリンピック・パラリンピックで世界中から人々が訪問してきます。
感染症の広がりは、移動手段が現代のような飛行機などのなかった時代からありました。
マラリアも昔から人々を苦しめていました。
感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』より「日本の『おこり』」を転記しますφ(..)
日本の「おこり」
 日本の古い文献には、しばしば「おこり」と称される感染症が登場し、これがマラリアと考えられている。
『源氏物語』の主人公の光源氏もかかり、平清盛(1118~81)もマラリアで死んだとする説がある。
『平家物語』には、高熱にうなされる清盛の臨終がこう書き記されている。
「身の内のあつき事、火を焼(た)くが如(ごと)し。(中略)内へ入る者は、あつさ堪(た)へ難し」。
近代以前には西日本の低湿地や水田地帯で断続的な流行が続いた。
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年)
 明治から昭和初期にも、琵琶湖から日本海沿岸、沖縄、北海道など全国的にマラリアの流行があり、多数の感染者を出した。
太平洋戦争中の沖縄では悲惨な事態になった。
戦闘が激しくなったため、八重山(やえやま)諸島では住民がマラリアの流行地域に強制的に疎開させられ、かやぶきの急造の小屋で共同生活を余儀なくされたために、1万7000人が感染して約3000人が死亡した。
 戦後直後、海外からの復員者が持ち帰ったマラリアが流行して、ピークになった1946年には2万8200人が発症した。
その後、DDTなどの殺虫剤の普及で減少し、1959年に滋賀県彦根市で発生したのを最後に根絶された。
ただ現在でも、海外で感染して帰国後に発症する人が年間数十人程度いる。
(後略)
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年)

この本は、現在、洋泉社では絶版になっていますが角川ソフィア文庫で復刊されています。
朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』より「朝鮮人を想ふ」の続きを転記しますφ(..)

  五

 一ヶ月の旅行の後、支那に入るために私は再び一人旅を続けた。
汽車が開城を立つて新義州に向ふ或夕方、私が客の少い車で読書してゐた時、突然ボーイが自分の傍に来て次のやうな奇異な質問をした。
『甚だ失礼ですが「そんな事を言つたてて無理だ」といふのは英語で何と言つたらいいのですか』。
何故そんな事を聞くのかと尋ねた時、ボーイは彼の経験を話し出した。
この朝鮮にゐる外国人ほどわけの分らない傲慢な下等な奴は居ないといふのである。
汽車に乗つて余りひどい振舞や勝手な事を要求されるので「そんな事を言つたつて無理だ」といふ言葉を覚えておきたいのですと言つた。
彼はそれ等の外国人が主に宣教師やその仲間だといふ事をつけ加へた。
私はこの挿話がどれだけ政治上の事にも関係するかを知らない。
併し宗教徒の身であり乍ら、不正行為をする者が、宣教師の間にあるといふ事を否むわけには行かぬ。
彼等が政治的陰謀を屢〻或行為をとる場合最も好都合な弁解であつた。
私はいつも宣教師の罪悪史はその善業史よりも頁数が多いと考へてゐる。
私は今度の不幸にどれだけかかる背景があつたかを知らない。
併し私はそれが或範囲まで否定できない事実であらうと思ふ。
特に朝鮮に於ける宣教師の質は非常に粗悪である。
只之によつて不幸の原因を朝鮮人並びに宣教のみに帰する事によつて、吾〻自身の罪を蔽ふのは卑しい態度であると思ふ。
よし彼等に明かな罪があつても、寧ろかかる罪を醸したのは吾〻に起因すると知らねばならぬ。
日本人が彼等に愛を与へずして日本に対する愛を彼等から強要するのは無理であらう。
かかる愛は基督教がひとり彼等に与へたのである。
宣教師が彼等の愛を集めたのは自然の形と言はねばならぬ。
多くの宗教家は不純であるかも知れぬ。
併し彼等の或者が日本の政治者よりも、より温かく朝鮮を愛したのは事実である。
(『朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』日本民芸協会編 春秋社 1972年)
   六

 吾〻とその隣人との間に永遠の平和を求め求めようとなれば、吾〻の心を愛に浄め同情に温めるよりほかに道はない。
併し日本は不幸にも刃を加へ罵り与へた。
之が果して相互の理解を生み、協力を果し、結合を全くするであらうか。
否、朝鮮の全民が骨身に感じる所は限りない怨恨である、反抗である、憎悪である。
分離である。
独立が彼等の理想となるのは必然の結果であらう。
彼等が日本を愛し得ないこそ自然であつて、敬ひ得るこそ例外である。
 人は愛の前に従順であるが、抑圧に対しては頑強である。
日本は何れの道によつて隣人に近づかうとするのであらう。
平和がその希望であるなら、何の穉愚を重ねて抑圧の道を択ぶのであらう。
 金銭や政治に於て心は心に触れる事は出来ぬ。
只愛のみがこの悦びを与へるのである。
植民地の平和は政策が産むのではない。
愛が相互の理解を産むのである。
この力を越える軍力も政権もあらぬ。
私は想ふ、国と国とを交び人と人とを近づけるのは科学ではなく芸術である。
政治ではなく宗教である。
智ではなく情である。
只ひとり宗教的若しくは芸術的理解のみが人の心を内より味はふ、味はれたものに無限の愛を起すのである。
 日本は朝鮮を治めようとして軍人を送り政治家を送つた。
併し友情や平和の真意を知つてゐるのは宗教家であり芸術家である。
私は習慣が国際の問題をひとり政治家にのみ委ねるのを奇異な幼穉な態度であると思ふ。
私は古いソクラテスやプラトーンの如き又は孔子、老子の如き人〻が真に一国の治平、万国の平和を語り得る人〻であると確く信じてゐる。
 朝鮮の人〻よ、私は御身等に就いて何の知識もなく経験もない一人である。
又今まで御身等の間に一人の知人すら持つてゐないのである。
併し私は御身等の故国の芸術を愛し、人情を愛し、その歴史が嘗めた淋しい経験に尽きない同情を持つ一人である。
又御身等がその芸術によつて長い間何を求め何を訴へたかを心に聞いてゐる。
私は私の心にそれを想ふ毎に淋しさを感じ、湧きくる愛を御身等に贈らずにはゐられない。
 朝鮮の人〻よ、よし私の国の識者の凡てが御身等を罵り又御身等を苦しめる事があつても、彼等の中にこの一文を草した者のゐる事を知つてほしい。
否、私のみならず、私の愛する凡ての私の知友は同じ愛情を御身等に感じてゐる事を知つてほしい。
かくて吾〻の国が正しい人道を踏んでゐないというふ明かな反省が吾〻の間にある事を知つてほしい。
私はこの短い一文によつて、少しでも御身等に対する私の情を披歴し得るなら浅からぬ悦びである。 (1919.5.11)
(『朝鮮とその芸術 新装・柳宗悦選集4』日本民芸協会編 春秋社 1972年)

・「穉」は「稚」の本字
この柳宗悦の「朝鮮人を想ふ」について批判をされている方もいます。
中野久夫氏の文章を抜粋しますφ(..)

(「朝鮮人と自己同一性の混乱」)
(前略)
 はっきりいうと、大正のインテリの弱点は、朝鮮人から朝鮮語を奪い、天皇制を押しつけ、名目だけの日本国民に仕立て上げて、精神分析でいうところの自己同一性の混乱を惹き起こすことのいかに誤りであるかを認識できなかったことである。
(中略)
そして、天皇がじかにおさめる日本内地へ渡ってみると、そこで朝鮮人の生活がいっそう厳しいものであった。
 土地調査は大正9(1920)年ごろまで行われたというが、金氏は三・一独立運動の年、すなわち大正8(1919)年に生まれ、大正14(1925)年に父母が生活に追われて日本に渡り、数年後に金氏自身も祖母一人を残して渡ったのだという。
私は、柳の「朝鮮人を思ふ」を、大正期のインテリがいかに感傷的気分と浅い歴史感覚で朝鮮を捉えていたかを知る手がかりとして取り上げた。
(後略)
(『大正の日本人』中野久夫、先崎昭雄、河田宏 ぺりかん社 昭和56年)

金氏=金達寿(キムダルス) 
金達寿 正しい懸け橋になることが僕の使命」(NHK)
Kazeの考えは甘いかもしれませんが、「三・一独立運動」(1919年3月1日)が起きたときに柳宗悦は、よく書いたなと思います。
今でも書店に行くと韓国や中国を批判、中傷する本が平積みになっていて、当時の日本の論調と変らないと思います。
自国の政治などを正そうとせずに、他国を批判して国民の目を逸らそうとしているとしか思えません。
これから東京オリンピック・パラリンピックで外国からの訪問者を迎える。
また、大阪では2025年に万博を開催するのです。
韓国や中国だけでなく世界の国々への理解とリスペクトがなければならないと思います。

3・1運動100周年、主人公は女性独立運動家」(Globe+ 朝日新聞)