2019年7月2日火曜日

梅雨の季節は…

昨日は、雨がひどかったので眼科を受診していました。
6月26日に昭和26年の発表開始以来、
最も遅い梅雨入りとなったと思ったらよく降る(-_-;)
天気予報を見ていると次第に雨がやみそうなので出かけました。
梅雨出水 つゆでみず
梅雨の時期河川が増水して氾濫すること。
「夏出水」とも。
梅雨の後期は豪雨が多く、
河川が雨水をさばき切れずに「梅雨出水」となる。
単に「出水」とも表現される。
秋の台風シーズンの水害を思い浮かべるかもしれないが、夏の季語。
歳時記によっては、「出水」を秋の季語としているものもある。

  梅雨出水樋門(ひもん)に亀を拾ひけり  中川一炉
(『雨のことば辞典
  倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
竹藪の周辺を見るとキヌガサタケを見つけた(^^)v
雨が止むのを待っているのかな?
スッポンタケの可能性もあるけど…
一つだけでなく…
キヌガサタケ(食) スッポンタケ科 キヌガサタケ属
▼初夏(梅雨期)から秋、
タケ林や広葉樹林あるいは庭地などに発生する。
キヌガサタケには熱帯から豪州に数多くの仲間があり、
婉然(えんぜん)たる美しさはキノコの華、
あるいは女王とまでうたわれている。
レース編みのようなマントに特色があり、
美しいピンク色のもの、あるいは淡紫色と、
白一色を見なれたものには息をのむ華麗さがある。
筆者は九州日南市の山奥、
シイの原始林で黄色のマントをもつウスキキヌガサタケの
大群生に出会ったことがある。
このときの感激は20余年たった今でも記憶に新しい。
キヌガサタケにはマントの短い変種マクキヌガサタケがあり、
黄色種とともに食用となる。
キヌガサタケの食法は卵塊から抜きとり頭部の臭い胞子液を洗いとり、
乾燥したものを煮食するが、
このように乾燥処理されたものを中国では
竹蓀(ツースン)といって中華料理で珍重する。
▼卵は球形、白色または淡紫褐色を帯びる。
径3.5~4センチ、キノコは高さ10~20センチ。
傘状の頭部に暗緑色の胞子液を生じ、
傘の下端から純白色、網状の美しいマントを広げる。
マントの裾幅は径10センチ以上となり、
高(長)さも10センチ以上となる。
料理 甘辛の煮つけ、あんかけ、スープ、酢のもの、
 酢じょうゆ、湯豆腐、粕あえ。
保存 乾燥、粕漬け、からし漬け。
(『原色 きのこ』清水大典他 家の光協会 昭和54年)

高級キノコ“キヌガサタケ”人工栽培に成功」(日テレ 2018.08.23)

6月30日の記事で「将門塚の怪」を紹介しましたが
積善院準提堂(しゃくぜんじゅんていどう)には
崇徳院(すとくいん)地蔵(別名 人食い地蔵)があります。
2014年8月31日の記事

6月14日の記事で紹介した崇徳院の歌ですが…
宮柊二( みや しゅうじ)さんの解説を転記したいと思いますφ(..)
瀬を早み岩にせかるる滝川(たきがは) 
  われても末(すゑ)にはあはむとぞ思ふ  崇徳院

 傾斜の急な瀬に乗る流れのはげしさに滝なす川が、
岩にせかれて二つの流れと分かれるごとく、
わたしとあの人とふたり、熱い思いで別れたが、
後には必ずふたたび逢おうと思うのだ。
(『現代語訳日本の古典11 小倉百人一首』
  宮 柊二 学研 1979年)
『詞花集(しかしゅう)』巻七、恋上に前書(まえがき)「題しらず」として出ている。
契沖(けいちゅう)は、
この歌は次の歌から発想したといっているが、その通りだろう。
瀬を早み絶えず流るる水よりも絶えせぬものは恋にぞありける
(『後撰集(ごせんしゅう)』巻14、よみ人[びと]しらず)、
高根(たかね)より出(い)でくる水の岩にふれわれてぞ思ふ妹(いも)にあはぬ夜は
(『万葉集』巻11、よみ人しらず)をあげ、
また「下の帯の道はかたがた別るとも行きめぐりてもあはんとぞ思ふ
(『古今集』巻8、紀友則[きのとものり])が参考になると言う。
 崇徳院の歌は、院が保元(ほうげん)の乱を起こした
気性を反映するように激しい。
「瀬を早み」といい「岩にせかるる」といい、
性急な激情がほとばしり出ているし、
「われても末にあはむとぞ思ふ」にも
意志的行動的な一徹な性格が見て取れる。
院の御製(ぎょせい)は『金葉集(きんようしゅう)』に多く見えるが、
どの歌にも激しいところが見える。
   尋ねつる花のあたりになりにけり
   匂(にほ)ふにしるし春の山風  巻一・春歌
   花は根に鳥は古巣に帰るなり 
   春のとまりをしる人ぞなき  巻三・夏歌
   早瀬川(はやせがは)みをさかのぼる鵜飼舟(うかひぶね)
   まづ此(こ)の世にもいかが苦しき  巻三・夏歌
  夜をこめて谷の戸ぼそに風寒み
   かねてぞしるき嶺(みね)の初雪  巻六・冬歌
  松が根の枕(まくら)も何かあだならむ
   たまの床(とこ)とて常のとこかは  巻八・羈旅歌(きりょか)
どの歌にも性急で屈折した激越な調べが見える。
たとえば「松が根の」の歌では、
玉を敷きつめた床とていずれは朽(く)ち果てる。
松の根を枕にして、どうしてつらいことがあろう。
むしろ自然にまかす枕ゆえ心安らかなはずだ。
(『現代語訳日本の古典11 小倉百人一首』
  宮 柊二 学研 1979年)
巻第十一 2716
高山ゆ出で来(く)る水の岩に触れ破(わ)れてそ思ふ
(いも)に逢はぬ夜(よ)

高山から流れ出て来る水が岩にふれ砕けるように砕けて思う。
妻に逢わない夜は。
(『万葉集(三)』中西進 講談社文庫 1981年)
八巻405
  道に逢へりける人の車にもの言ひつきて、
  別れける所にてよめる    友則
下の帯の道はかたがた別るとも行きめぐりても逢はむとぞ思ふ

  道で逢った人の車にものを言いかけて、
  別れた所で詠んだ歌   紀 友則
下着の紐が左右に別れてもまた結び合わされるように、
あなたと私がこれから行く道はそれぞれ別になりますけれども、
いずれまためぐり逢おうと思います。
◎「下の帯」は、下着の紐で、「めぐる」はその縁語。
(『古今和歌集』小町谷照彦 旺文社文庫 1982年)
へくそかずら
漢字で書くと「屁糞葛」。
なんとも聞き苦しい名前をつけられてかわいそうな
アカネ科の蔓生(まんせい)多年草。
だが茎・葉・実に悪臭があり、
はびこるしぶとさに手を焼くところから正式な植物名である。
藪(やぶ)や草地に自生し夏から秋、
花びらの外縁が白で中は赤紫の筒状・ラッパ形の花をつける。
お灸(きゅう)の跡を連想させるので「灸花(やいとばな)」ともいう。
異臭からか、花言葉は「人嫌い」。
夏の季語。

  野の仏へくそかづらを着飾りて  石田あき子
(『花のことば辞典 四季を愉しむ
  倉嶋厚監修、宇田川眞人編著 講談社学術文庫 2019年)