2019年7月3日水曜日

梅雨の一休み?

今朝は、曇り空で久しぶりに雨が降っていません。
でも、梅雨独特の蒸し暑さ(-_-;)
各地で豪雨の被害が出ているようです。
“全域避難指示” 出たらどうすれば? 専門家は
梅雨花 つゆばな
ザクロの別名。
中国では陰暦五月を榴月(りゅうげつ)と呼んでいた。
榴はザクロである。

 五月雨にぬれてや赤き花ざくろ  志太野坡(しだやば)
(『雨のことば辞典
  倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
昨日見つけたキヌガサタケは開いた後、
しぼんだ姿だったみたい
↑のキノコはカラカサタケのようにも見えますが
オオシロカラカサタケだと猛毒です。
毒キノコの食中毒に注意」(大阪市)
人物群像・日本の歴史 第4巻 貴族の栄華』(絶版)より
坂東の風雲児●平将門」(林睦朗)を
数回に分けて転記したいと思いますφ(..)
坂東王、平将門
 天慶(てんぎょう)2年(939)の年の暮れ、
常総(じょうそう)から両毛(りょうもう)を席巻した平将門(たいらのまさかど)は、
上野(こうずけ)国(群馬県)の国府(こくふ)
「新皇(しんのう)即位」の儀式を挙行した。
そこでのクライマックスは一巫女(みこ)が神がかりして
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の使いと称し、
天皇の位を平将門に授ける、と宣告した場面であった。
(『人物群像・日本の歴史 第4巻 貴族の栄華』学研 1977年)

 将門は神妙に巫女を再拝し、
数千の軍平は躍り喜んで伏しおがんだという。
こうして将門は「新皇」と称したのだが、
彼はただちに摂政藤原忠平(せっしょう ふじわらただひら)家に
弁明の書状を発するとともに、
坂東諸国の国司(こくし)たちを新任し、
王城を建設するプランを発表した。

 ついで将門は、左右大臣以下の文武百官を任じたり、
公印を定めたりしたと『将門記(しょうもんき)』は伝えているが、
この辺の『将門記』の文章は、
全くフィクションにみちた作為的なもので、
とうてい全部が事実であるとは信じられない。
しかし、全く虚偽の羅列とばかりとはいえないものがあることも事実で、
すくなくとも坂東の国司任命などは信じてよさそうである。
 これより先、将門は常陸(ひたち)国(茨城県)の
国府を襲撃して国司たちを幽閉しているが、
さらに国府を奪われた下野(しもつけ 栃木県)・上野両国国司は
追われて信濃(しなの)国(長野県)に逃げ、
ここから都に報告しているし、
また上総(かずさ 千葉県)の国司も都にのがれて
国印や倉の鍵を将門に奪われたと述べたことなどが
都の記録にみえている。
このようにこれらの国々が将門の手におちたことは疑えないし、
したがってそれら占領下の国々に輩下の者をあてたとしても、
これは不思議ではない。
また他の坂東の国司たちも都に逃げのぼったというが、
事実、都の記録に武蔵守百済貞連(むさしのかみくだらのさだつら)
帰任を記しているのは、
それを証明するものだろう。
 このように、さまざまなフィクションを差し引いても、
将門の勢力はすくなくとも常陸・下野・上野それに
上総(かずさ)・下総(しもうさ 茨城・千葉県)などを
加えた地域にひろがっていたことは、
ほぼ確実であり、あるいは武蔵(東京都・埼玉・神奈川県)や
相模(さがみ 神奈川県)をも含めた
足柄(あしがら)・碓氷(うすい)以東の
いわゆる坂東一帯に及んでいたかともみられる。
そしてそれら諸国を分治すべきものを指名し、
自らそれらの上にたついわば坂東の王の位置につこうとしたとみられる。
 しかし、それから三か月しかたたない翌年2月14日、
将門は下総岩井(いわい 茨城県岩井)の近傍北山(きたやま)で敗死し、
ここに独立国家の建設ははかない夢と化したことも事実である。
 こうして将門の坂東政権は流産に終ってしまったわけであるが、
しかし、全国を統一支配していた国家権力に反抗し、
その版図(はんと)の一部をもぎとって独立政権を打ちたてようとした、
その叛乱の意義は小さくない。
一応、巨大な反権力闘争というべきであろう。
(『人物群像・日本の歴史 第4巻 貴族の栄華』学研 1977年)
澄みきった青もはかなく
 朝露きらめく草むらに、青く澄んだ水の色。
つかの間の幸せな夢の中で、ツユクサが瞳を輝かせている。
(『したたかな植物たち―あの手この手の㊙大作戦【春夏篇】
  多田多恵子 ちくま文庫 2019年)

 道端や空き地に咲くツユクサ科の一年草。名は露草。
夏から秋の早朝、
露の雫をきらめかせた葉の間から青い花が咲き出たかと思うと、
朝露が消える頃にはもうしぼむ。
ありふれた雑草ながら、美しくも短い命の花は、
はかない露の精を思わせる。
  比類なく美しい青は、
色素のアントシアニンにマグネシウムが結びつくことによって生じてくる。
花びらの絞り汁は昔から染色に使われたが、光や水に弱いことから、
藍染めの技法が伝わるとしだいに廃れた。
 しかし一方で、水で洗うと跡形もなく流れて消える特性は、
友禅染の下絵を描くのに好都合だった。
早朝に花を摘み、
その絞り汁を和紙に染み込ませて乾燥させたものが「青花紙」で、
近江国(現在の滋賀県)の特産物として今日もなお生産されている。
この用途のために品種改良されたものがオオボウシバナ(大帽子花)で、
花びらがツユクサの3倍ほどもあり、鑑賞用に栽培されることもある。
とても美しいが、残念なことに命のはかなさはツユクサと変わらない。
(『したたかな植物たち―あの手この手の㊙大作戦【春夏篇】
  多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
今朝の父の一枚です。
サルビアの花に出会って喜んでいました。
母と歩いていた頃、風車の丘にサルビアが咲いていました。

午後から心臓リハビリでしたp(^^)q
病院について、診察券を出そうとしたら(◎_◎;)
財布をリュックからショルダーバッグに
入れ替えるのを忘れていた(-_-;)
受付で診察券を忘れたことを告げてリハビリ室に行きました。
30分間に歩いた距離は、2.15km。
消費カロリーは129kcalでしたp(^^)q
ちなみに病院代は、バッグに予備の財布を入れていたので
支払うことができました(^-^;