2019年7月14日日曜日

蒸し暑い朝…

公園の駐車場でいつも隣同士に車を止めている方と
今朝は、涼しいですねと話していたのですが
公園内で再び出会うと、
「歩くと蒸し暑いですね」と話していました(^-^;
8時頃は90%を超えていました)
蓮畑で若い二人の女性に笑顔で
「おはようございます」と挨拶されてビックリしましたし
朝からとても爽やかな気持ちになりました(^-^)
日曜日なので仕事の休みに公園に遊びにこられたのかな?
二人とも外国籍(フィリッピン?)の方みたいでした。
挨拶だけでしたがはっきりした発音でした。
私がよその国に行って現地の人に
自分から挨拶できるかなと思うと自信がありません。

帰宅して録画していた番組を見ました。
NHK総合 目撃!にっぽん
ニッポンで生きていく~東京・八王子 夜間学級の若者たち~
30年ほど前、夜間学級で1年間お手伝いをしたことがありますが
その頃は、高齢者の方が多かったです。
再放送があればぜひ多くの人に見てほしいな!
昨日の番組NHK映像ファイル
あの人に会いたい「兼高かおる(旅行ジャーナリスト)」
子どもの時に兼高かおるさんの番組を見るのが楽しみでした。
兼高さんは父がインドの方、母が日本人のダブルなんですね。
そんなご両親のもとで育ったので好奇心旺盛で
世界中を旅し続けたのかなと思いながら見ていました。
(再放送がEテレで7月19日(金) 午後1:50~)
7月8日の記事で道徳の教科書に
新津春子さんが採り上げられていることを紹介しました。
新津さんは父が残留孤児の日本人、母が中国人です。
来日した時は、日本語に苦労したと番組の中で話しておられました。
新津さんについて別の道徳教科書でも採り上げられています。
  清掃(せいそう)はやさしさ

 私は二十年間、羽田空港(東京国際空港)の清掃員として働いてきました。
その前も含めると約28年間、「清掃」という仕事に関わっています。
(『中学道徳2 とびだそう未来へ
  教育出版株式会社 平成30年検定済)
 オフィスビルでも、商業施設でも、
清掃はなくてはならないものです。
 ふだんは気づかないかもしれませんが、
皆さんが働いたり、遊びに行ったりする場所には、
ゴミを捨て、床や窓を磨き、洗面所やトイレを
きれいにしている人たちが必ずいます。
地味で日の当たらない仕事ですが、
快適な毎日に欠かせないのが清掃という仕事です。
 清掃と掃除。
似ている言葉です。
そのため、同じような意味で使っているかたも多いのではないでしょうか。
しかし、私は清掃と掃除は全く違うものと考えています。
 私にとって、掃除は「家事」ですが、清掃は「仕事」です。
掃除は自分や家族が満足すればOKなのに対して、
清掃は「品質」が要求されます。
さまざまな道具や機械、洗剤などを使い分け、隅々に気をくばり、
清潔な環境を維持するのが清掃員の仕事です。
 おもてなしの心でお客様の視点に立って作業すること。
これが「清掃」です。
私は、「清掃員」である以上、
プロの仕事をしなければならないと思っています。
 ある日、会社の上司である鈴木課長から
「全国ビルクリーニング技能競技会」に
出場してみないかと打診されました。
全国ビルクリーニング技能競技会とは、
二年に一度、全国ビルメンテナンス協会が開催するイベントです。
全国に数万人いるビルクリーニング技能士を代表して、
9地区から選出された18名が技能を競(きそ)う大会です。
 競技会に出場するからには絶対優勝したい。
優勝して、ビルクリーニングの資格を
取得することを後押ししてくれた課長に恩返ししたい。
  今思えば、不思議なのですが、
当時の私は生意気にも優勝することしか、考えていませんでした。
 いったん決心すると、がむしゃらに進むところがある私です。
仕事が終わったあと、特訓を続ける毎日が始まりました。
  結果は、銀賞でした。
 私、優勝できなかったんだ……。
 なぜ? どうして? どこがダメだったの?
 毎日あんなに練習したのに。ちゃんとできたと思ったのに……。
 銀賞という結果に打ちのめされ、
立ち上がれないほど落ちこんだ私は、
表彰式はどうでもよくなり、そのまま帰りたくなりました。
  一夜明けて、ショックから少し立ち直った私は、
鈴木課長のもとに行き、どこが悪かったのかきいてみました。
 課長は、少し迷っているようでしたが、しばらく間があったと、
「君には、やさしさが足りないじゃないかな。」
とボソッと言われました。
 え? どういうこと?
 予想もしなかった指摘を聞いて、私は混乱しました。
よくよく聞いてみると、技術的な面ではなく、
清掃に対する「気持ち」がない。
作業に問題はなくても、やさしい気持ちがなければ、
よい清掃にはならないという意味のことを言われました。
 清掃に必要な「やさしさ」って何?
 私は「やさしさ」という言葉がなぜ出てきたのか、
全くわかりませんでした。
  「気持ち」や「やさしさ」を指摘されて、
私は初めて清掃に対する取り組み方を振り返ってみました。
 どこが悪いのか知りたい。
もっとよくなるにはどうしたらいいの?
「顔はスマイルだよ。スマイル、スマイル。」
「清掃道具を力まかせにボンと置くのじゃダメ。やさしく大事に。」
「気持ちをこめて仕事をすることが必要です。」
 練習しているうちに課長が言わんとする点が少しずつわかってきました。
 つまり、私の清掃スタイルは、
「担当している場所さえきれになればいい」というものだったのです。
要は、清掃テクニックは身についているけれど、
周りへの心くばりが足りないということだったのです。
 私はハッとしました。
確かにそうだと感じるところがあったのです。
 いつも、少しでも早く効率的に作業を終わらせることばかり考えているので、
競技中はいうまでもなく、
ふだんの清掃でも表情は硬かったでしょう。
男性トイレを清掃するときなどは、
「失礼します。」と大きな声で言ってから、
さっさと中に入って作業をしていました。
通路にしろ、洗面所にしろ、まず自分の作業のことが頭にあり、
お客様に配慮はしていたつもりですが、
心の奥ではむしろ清掃の邪魔だと思っていたんじゃないだろうか。
 誰もいなければ、手順よくさっさと清掃でき、
早く次の現場に移動できるのに、
トイレや洗面所をお使いのかたがいれば、
作業はスムーズに進みません。
それだけタイムロスになってしまいます。
 また、どなたでも経験があると思いますが、
例えば、トイレに入って思いの外汚れているのを目にしたら、
ガッカリし、不愉快になるでしょう。
清掃員である私も全く同じでした。
「まあ、いったい誰がこんなに汚したの!」
「もっときれいに使ってくれれば、手間もかからないのに!」
と怒りを感じ、イライラカリカリしながら作業をしていたのです。
 その気持ちは、清掃用具に対しても同じでした。
使ったあとは手入れをして、所定の場所に戻していましたが、
モップはモップ、ポリッシャーはポリッシャーとしか考えていませんでした。
扱いも適当だったと思います。
  でも、道具がなければ、行き届いた清掃はできません。
そういう気づき、心くばりが感じられないということが
課長の指摘だったのです。
 私は自分の作業だけしか見えていなかったんだ……。
 初めてそれがわかり、ショックを受けました。
 道具に対しても感謝の心、
例えば「助けてくれてありがとう。」という気持ちで丁寧に扱えば、
それだけ動作もやさしく優雅になるはずです。
そもそも清掃員がキリキリした気持ちで作業をしていたら、
その場にいるお客様も落ち着かず、
なんだかせき立てられるような気持ちになるでしょう。
 競技会に限らず、私の清掃はテクニックや効率が優先だったのです。
 清掃技術は誰にも負けない、
負けたくないという気持ちでやってきました。
ずっとがんばってきて、ようやくこれだと思う道が見つかり、
手応えを感じ始めていただけに、思い上がっていたのかもしれません。
 では、いったいどうしょう。
まず考えたのは、「かたちから入る」ことでした。
 必死の形相で作業をしている姿は、
決して感じのいいものではありません。
まずは、かたちからスマイル、スマイルです。
 次に、道具の持ち方です。
特に、バキュームやポリッシャーのコードはくねくねと床をはうので、
いかにも清掃中という感じになってしまいます。
以前は、自分がつまずかないように、
あるいは作業の邪魔にならないようにコードをさばいていましたが、
お客様になるべく美しく見えるような扱い方を工夫しました。
 姿勢や歩き方にも気をくばるようになりました。
 清掃には終わりというものがありません。
きれいにしても、時間がたつとまた汚れます。
同じことの繰り返しに見えますが、
勉強もまた、どこまでも続いていくのです。
 次々に新しい素材が登場しますし、空港も変わっていきます。
対応するのは大変ですが、
課題がどんどん出てくるおもしろさを感じます。
 でも、言われたとおりの作業をしているだけでは、
「清掃のプロ」になれません。
 ちょっと上を目ざす気持ちをもつこと。
 職人としてプライドをもち、心をこめて清掃に向き合うこと。
 それが楽しさにつながり、
仕事をやっていくうちに技術が身についてくる。
その積み重ねが自信になり、
一人前の職人として生きていくことができるのだと思います。
生活のたけに始めた、清掃という仕事。
 他に選択肢がなかったから、やってきた仕事。
 それが今では、私の持ち味となり、
生きていくための大きなよりどころに変わっていました。

 文・新津春子(にいつはるこ)/『清掃はやさしさ』による 
(『中学道徳2 とびだそう未来へ
  教育出版株式会社 平成30年検定済)

新津さんの文章を転記しながら
広島のガタロさんのことを思い出していました。
ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ~

広島を描き尽くした2人の画家、四國五郎とガタロの師弟展開催」(美術手帖)
午後から叔父の見舞いに父と妹と三人で行きました。
東京から従弟が来るというので待ち合わせをしました。
従弟に聞くと60日ほどで転院させられているようです。
今の医療制度では、
入院を長くさせると病院が赤字になるようになっている。
叔父も盆前に再び転院をすることになっているそうです。
今の病院では月、8万円ほどの経費がかかるとのこと…
叔母も自力で移動できないので入所しています。
従弟は、仕事場が東京なので大阪との往復だけでも大変なのに…
行きは気がつかなかったけど見舞いの帰りに気がついたのが

  二軒茶屋・石橋(黒門橋)
 この付近は、旧奈良街へいの大阪側からの入口で、
街道の南北両側には、旅行者めあての茶店があり、
俗に〝二軒茶屋〟と呼ばれて繁昌した。
 石橋は、付近を流れていた猫間川に架けられていたもので、
正しくは黒門橋という。
慶安3年(1650)幕命により、
当時では珍しい石造の橋として架けられたと伝える。
  東成区役所