2016年9月28日水曜日

暑いけれど秋の香り(o^^o)

をりとりてはらりとおもきすゝきかな  飯田蛇笏(いいだだこつ)

『山廬集』(昭7)所収。
昭和37年77歳で没した俳人。
虚子に師事し、大正期「ホトトギス」黄金時代を現出させた。
「雲母」を創刊、主宰し、俳壇の重鎮として終始した。
すすきの、やや黄金色をおびた穂が、まだすっかり開ききらず、
ほのかなうるおいをもって、折りとった手にはらりと揺れかかる。
「はらり」とあれば軽さを反射的に思うのが普通だが、それが「おもき」と続く時、
すすき一本の霊妙な重みに、にわかに目を開かれる思いがする。
(『新編折々のうた』大岡信/朝日新聞社 1983年)
ササグモ(ササグモ科)

あはれ来て野には咏へり曼珠沙華  三橋鷹女
(『現代日本文學全集91 現代俳句集』筑摩書房 昭和32年)
稻の香や月改まる病心地
(『漱石全集第二十三巻』新書判 岩波書店 1957年)
ヤブマメ(マメ科)
花言葉は「愛され上手」だそうです(^_-)
    木 犀

木犀の花のかほりに咽ぶ……
秋の日のうすらさみしい光を浴びつつ,
頻りに,死をねがふ
あたたかな午後の霊魂(たましひ)。


涙が胸の上にぽとりぽとりと,
いつのまにか,女は記憶にしのび込み,
その音を聞いてゐたつけが
もう,すやすやと眠つてゐる。


木犀の花が散つたら……
……冬……冬,冬……

(『山村暮鳥全詩集』彌生書房 昭和39年)


アオイトトンボ(アオイトトンボ科)
夏の句ですが,今朝も蒸し暑くて…

 陽炎(かげろふ)にくいくい猫の鼾(いびき)かな
(『新訂 一茶俳句集』)

 山家集 上 秋 294
おほかたの 露には何(なに)の なるならん 袂(たもと)に置くは 涙なりけり

野一面においた露はいったい何が露となったのであろうか。
自分の袂に置く露は,もの思いゆえのわが涙なのである。
(『山家集』)

カワセミ〔翡翠〕
 〝翡翠(ひすい)〟は古くから知られた宝石名である。
これを〝かわせみ〟と読ませているのは,この鳥の背面の色彩が,
翡翠色をしているからである。
〝川蟬〟の文字をあてることもある。
川に住む蟬に似た姿の鳥かと思ったら,どうも違うらしい。
カワセミの〝セミ〟は,この鳥の古い名である〝そび〟が転じたらしい。
それでは〝そび〟とは何か。
この鳥の別名である〝しょうびん〟の転じたものであるという。
 ヨーロッパ,アジア大陸に広く分布しており,
日本でも全国的に見られるが,北日本では夏鳥である。
池沼,河川,湖,小川,海岸などで小魚を餌にしている鳥だから,
冬に水面が凍ってしまうような地域ではすごせないからである。
 カワセミが日本中で急激に減ったのは昭和32,3年ごろである。
それまでは東京の明治神宮あたりでも必ず見ることができたのだが,
それ以後はまったくといっていいほど見られなくなった。
その原因を考えてみると,当時の日本は農薬が脚光をあびた頃で,
耕地ではやたらに使用されていた。
害虫を殺そうとした農薬が川や沼に流れ込み,魚を殺し,
魚を餌にしていたカワセミを殺すという結果になった。
そのころはまだGNP信仰の盛んな時代で,工場による水汚染,
人口増と都市下水道の不備からくる水の汚染など,水が汚されていた時代であった。
カワセミは清流でしかすめないので山に近い場所にしかいなかった。
そのカワセミがまた明治神宮の池でも見られるようになった。
しかし20年前はアユやウグイなどが多かった川も,
最近はフナやコイなど泥水でも生き残れる魚が多くなっている。
カワセミはもどりつつあるが,本当にきれいな川がもどってきたわけではない。

(『都市のバードウォッチング・バイブル』千羽晋示・柳沢紀夫著 朝日出版 1981年)
 ニホンカナヘビ(爬虫類
ショウキズイセン(ヒガンバナ科

チカラシバ(イネ科)

この道を久しくゆきしことなくてゑのころ草の穂はなびきをり  長谷川銀作
(『昭和萬葉集 巻七(昭和20年~22年)』講談社 昭和54年)

秋風の、腹立ててゐるかまきりで
(『山頭火大全』講談社 1991年)