2016年9月10日土曜日

二百二十日

今朝は,涼しいので母も一緒に散歩に来ました。
ベンチがあればすぐに小休止することにしました(o^^o)
 この道を久しくゆきしことなくてゑのころ草の穂はなびきをり  長谷川銀作
(『昭和萬葉集 巻七(昭和20年~22年)』講談社 昭和54年)
アオモンイトトンボ(イトトンボ科
今日は「二百二十日
まだまだ台風の襲来に備えないといけませんね…
(さか)り住む吾子が姿を一目欲(ほ)り木槿の匂(にほ)ふ門(かど)に来りつ  石田愛子

一目欲り=一目見たいと思って。
(『昭和萬葉集 巻七(昭和20年~22年)』講談社 昭和54年)
 スズメは,町の中にあるさまざまな有機物を食べています。
我々にとって邪魔になる雑草の種を食べ,害虫も駆除してくれています。

(『身近な鳥の生活図鑑』)
届かないなと思うと…
足で踏みつけました!カシコイp(^-^)q
 すずめ
 スズメ類はユーラシアとアフリカに約15種があるが,
これと他の種子食性鳥類との類縁関係については論議が多く,
世界的に一致した結論はまだない。
だが,アフリカと南アジアのハタオドリ類に近いという意見が近年では多い。
日本のスズメ(雀)はユーラシア大陸に広く分布しており,
日本と中国や東南アジアでは人家付近の鳥だが,
そのほかの地域ではイエスズメという種が人家付近にいて
日本のスズメと同じ種は林の鳥になっている。
日本にはもう一種ニュウナイスズメが北海道から北陸にかけて繁殖しており,
これが林の鳥になっているのは面白い。

(『四季の博物誌』荒垣秀雄編/朝日文庫1988年)
メジロの声は可愛くて甘えるような歌声ですが
 『蝶の民俗学』に鳥の霊性について書かれていました。
  古代人にとって、自分を中心とした部落以外の山の向こうは未知の所であり,
山には山の神,海の彼方は断崖絶壁であって,
恐ろしい世界が大きな口をあけている所であったにちがいない。
潮の干満や月の満ち欠けにも自然の不思議な力を読みとって,
恐れ敬(うやま)ったのである。
 基本的な自然観がこのようなものであった古代人にとって,
空を飛ぶ鳥や蝶がどんな存在であったかということがカギになるが,
これについては,最近では梅原猛氏をはじめ,民俗学の先達である,
柳田国男,折口信夫(しのぶ)の碩学(せきがく)も,
以前からはっきりした見方をしておられる。
 要するに,鳥や蝶のように,空を飛ぶという
人間の持っていない能力を持つ不可思議なものは,
一つは霊魂であり,場合によっては死者の生まれ代わりで,
その声(鳥)は霊界からの死者の声であると考えられていたということである。 
 蝶についてはさておき,鳥の霊性については,各種の実例があり,
たとえば遺跡が発見された鳥型木製品の使用目的が単なる玩具でなく,
霊を招く鳥として考えられていること,
また日本書紀の中に死者の供養(殯(もがり))に際して
諸役の名称をすべて鳥の名をもって行なったこと、などがある。
 さらに、梅原猛氏はその著「さまよえる歌集」において,山部赤人の二首

  み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木梢(こぬれ)には許多(ここだ)も騒ぐ鳥の声かも(万葉集巻六)
  ぬばたまの夜の更けゆけば楸(ひさぎ)生ふる清き河原に千鳥頻(しば)鳴く(同)

について,折口信夫氏の解釈をあげながら,赤人が千鳥の声に,
不幸に死んだ柿本人麿の声を霊として聞き,その鎮魂を行っているのだとして,
鳥イコール死者の霊ということを,まことに大胆に推測実証しておられる。
  (P135~136)
(『蝶の民俗学』今井彰/築地書館 1978年)
ギンヤンマ(ヤンマ科)
ヤブミョウガ(ツユクサ科
赤い星は…
クサギ
萼は花期には薄くホオズキのように袋状に閉じているが,
実の時期には肥厚して濃紅色に染まり,
実が熟すと星形に平開して中心に青や藍色の実が乗る形になる。

(『野に咲く花の生態図鑑』)
葬人(はふりびと)歯あらはに泣くや曼珠沙華 
  萍生の骨を故郷の土に埋む 飯田蛇笏
(『日本の詩歌19』)
 万葉集巻第十四(相聞)3354 
寸戸人(きへひと)のまだら衾(ぶすま)に綿(わた)さはだ入りなましもの妹(いも)が小床(をどこ)

寸戸の人のまだらの夜具には真綿がたくさん入っているが,そ
の綿のように入っていたかったなあ,あなたの寝床に。
▽上三句は「入り」の序詞。
「まだら衾」は上等の夜着を言うのであろう。
「さはだ」は,「たくさん」の意の「さは」に,「ここだ」「いくだ」など数量・程度を表す語に付く接尾語ダの付いた形。
「小床」は「床」の歌語。
(『万葉集(四)』)