2023年1月20日金曜日

大寒

寒さを嘆いているだけでは、知恵を働かせなさいと怒られそう…

“サルだんご” 体寄せ合い寒さをしのぐ 香川 小豆島」(NHK)
寒さから守ろうと子ザルをしっかりと胸に抱いているサルもいました

「猿知恵」なんて言葉があるけど、猿たちは知恵だけでなく、
仲間で助け合ったり、子どもを守ろうとする親の愛がある。
 アフガンの冬 青空で飢え凌ぐ  山崎十生(じゅっせい)

 2001年9月11日にニューヨークで起きた同時多発テロ以来、世界の治安状態は大きく変わったとよく言われる。
テロの首謀者オサマ・ビン・ラディン師をかくまったとしてアフガンのタリバーン政権は米英に攻撃されて崩壊した。
日夜テレビで報道していたから、まだ記憶に新しいはずだ。
戦争はいつの時代も弱者が犠牲になる。
あるのは<青空>だけで、ほかは必要な物資がほとんどない。
むごさの際立(きわだ)つ青空だ。
 掲出したような句を社会性俳句とよぶ。
俳句は花鳥諷詠(ふうえい)でいいとする現実逃避への反措定として、時代の問題にコミットしてゆく俳句である。
戦前はプロレタリア俳句や新興俳句運動で戦争反対を唱えた。
戦後は昭和30年前後から「俳句に社会性を」の掛け声で盛んな時期もあったが、バブル経済期を迎えると共に社会性俳句は衰弱していったのではないか。
  1947~ 埼玉県生まれ。「紫」主宰。
 句集『伝統俳句入門』『花鳥諷詠入門』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』 村上護 新潮文庫 平成17年) 

今また、タリバン政権のもと女性たちが弾圧されている。
タリバン政権やイランのようなイスラム教は、ムハマンドの教えとは思えない。

Ⅱ マディーナの暮らしと社会
 5 結婚と家族
  男女平等


 アターは、イブン・アッバースが次のように語ったと伝えている
――私には、誰も次の章句〔の教え〕を守っているとは思えません――
「おお、人びとよ、われ〔アッラー〕はあなたたちを一人の男性と一人の女性から創造し、互いによく知り合うようにと、あなたたちを諸民族と諸部族に分けた。まことにアッラーのみもとでもっとも貴い者は、もっとも〔神を〕畏れる者である」〔部屋章13節〕。
ところが、ある人が別な人に「私の方があなたより貴人だ」などと言っています。
誰一人として、篤信によるほか、他人より貴いということはないのです。 (ブハーリー『アダブ』)
(『ムハンマドのことば ハディース』 小杉泰編訳 岩波文庫 2019年)
今日は

冬 二十四節気
 大寒◆
だいかん

 冬の最後の節気となる「大寒」。
字のごとく、一年で最も寒さが厳しい時季です。
大寒の終わりの日が「節分」。
もともと節分は季節の分かれ目を意味するため、1年に4回ありました。
しかし、「立春」を1年の始まりとしていたころは、現在の節分の日が大晦日にあたるため、邪気を祓って幸福を願う年越しの行事が行われました。
豆撒きも、もともと邪気を祓う大晦日の儀式。
豆を撒いた後に、数え年で歳の数だけ豆を食べる風習もその名残です。
(『イラストで楽しむ日本の七十二候』アフロ著、森松輝夫絵 中径出版 2013年)
日本では卯年なんだけど(*´▽`*)
「ねこ年」のベトナム 旧正月で街は猫飾りだらけ〟(AFP)

そして1月20日は、

 二十日正月(はつかしょうがつ)

 祝い日としての一月二十日のこと。
正月の終了日についてはさまざまな解釈が可能であるが、元旦中心の大正月、十五日中心の小正月を通じて、一月二十日を正月の祝い納めとする伝承がかつては全国的であった。
行事内容は正月食品の食べ納め、小正月のモノツクリの収納、春秋の神去来信仰を背景にしたもの、灸(きゅう)すえや厄除け、麦の予祝儀礼など各地各様であり、それに応じてこの日の呼称にも特徴がある。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
 名称としては、もっとも広い分布をもつ二十日正月のほか、近畿地方でを中心とした西日本各地では骨正月・頭(かしら)正月・アラ正月などと呼ぶ。
食べ尽くしてほとんど骨だけになった鰤(ぶり)など正月用の年魚(としざかな)の残りを入れた雑煮を作ったり、骨・あらを大根などと一緒に煮た馳走を用意して正月の祝い納めをしている。
この日が魚などを食べるべき重要な節日と考えられていたことを示すものであろう。
正月の供え餅をおろして歯固め餅として食べる例もみられる。
東日本の一部でオタナサガシ(お棚探し)と呼んでいるのも、正月食品を食べ尽くす日と考えていたからであろうし、石川・富山県などで乞食正月と呼んで物乞いが正月食品の残りをもらい歩くことを認めていたのも、同じ心意にもとづく伝承かと思われる。
岡山県などには牛馬に餅を食べさせて正月をさせる所があった。
東日本では繭玉オロシ・団子オロシ・稲刈粟刈などといって、飾り団子など小正月の農作予祝の各種モノツクリを取りはずす所が多いのも、この日が小正月の終了日と考えられていたからである。
関東地方を中心とする東日本では、この日を恵比須講として祝っている。
これには秋に嫁いで戻った恵比須神がこの日働きに出るという伝承に伴う例が多く、正月が終わっていよいよ労働開始の時期到来という心意から生じた伝承かと思われる。
この日、ムラの初寄合いや若者入り、ムラ共同の初仕事などを行なっている所もある。
二月二日の二日灸と並んでこの日を二十日灸と称して灸をすえたり、二月一日の年重ねの祝いと同じく年まわりの悪い者がこの日に厄除けする例が各地にあるのも、正月が終わって新たな日々に入ったと考えらえていたからである。
また、中国地方では麦正月・麦飯正月・ハラフト(腹太)正月などと呼び、麦畑に寝ころんで「今年の麦はよい麦だ」などと予祝の唱え言をしたり、夕飯に麦とろろを腹いっぱい食べて外に出、麦褒めをした。
なお、現在一般に一月十一日に行われている鏡開きは、武家では具足開きと称した一種の仕事始めで、甲冑(かっちゅう)に供えた鏡餅を手や槌で砕いて雑煮に入れて食べていたが、江戸初期までは二十日に行うのが慣例だった。
 なぜ正月の祝い納めがこの日に設定されるようになったのか、確かなことはわからないが、平安時代の宮廷行事としての内宴の影響を指摘する考えがある。
内宴とは正月の公式行事が一段落つく二十日すぎに天皇が多忙であった群臣をねぎらう宴会で、正月の最後を飾る行事であった。 (田中)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
年中行事
 内宴
ないえん<21日>)

 仁寿殿(じじゅうでん)で行われた宮中の私宴。
文人に題を賜って詩を作らせ、御前で披講する儀。
舞姫の舞があり、若菜の羹(あつもの)をいただく。
『源氏物語』賢木(さかき)の巻に「年もかはりぬれば、内裏(うち)わたりはなやかに、内宴・踏歌など聞き給ふも、もののみあはれにて、御行ひしめやかにしつ給ひつつ」と見えるが、『源氏物語』には儀式そのものは描かれていない。
(『日本古典風俗辞典』室伏信助他、角川ソフィア文庫 2022年)

第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く〟(倉田実 三省堂辞書ウェブ編集部)
神社にお参りするのは初詣だけではないと思うので(^_-)

初詣(はつもうで/はつまうで)
 「二拝二拍手一拝」は不必要!
   初参(はつまいり) 初社(はつやしろ) 初神籤(はつみくじ)

 神社仏閣に初詣の際は、寺で静かに合掌。
神社では「二拝二拍手一拝」をしてお参りする人は多い。
しかし、初詣の始まりは、氏子代表が大晦日の夜、氏神の社に籠り、徹夜して新年を迎える「年籠(としごもり)」(冬の季語)が起源だ。
これが江戸時代末期ごろから元日の氏神参拝や恵方参りへと変化した。
6世紀ごろから神社仏閣は一体のもので、寺は合掌、神社は手を叩(たた)くという区別もなく、庶民は自由な形で神仏に参り、それぞれ自己流で参拝していた。
 ところが明治維新後、1868(慶応4)年発布の太政官布告・神仏分離令により、突然、寺院と寺社が厳しく分離されてしまった。
神社での「二拝二拍手一拝」という作法が正式になったのは、なんと終戦後の1948(昭和23)年の神社祭式行事作法に基づくもの。
基本的には一般人は格式ばらず、信仰の有無にかかわらず江戸時代以来の自由な参拝の仕方で一向に構わないのだ。

 一身を静かに運ぶ初詣  宇多喜代子

(『季語ものしり事典』新海均 角川文庫 令和3年)
今朝の父の一枚です(^^)/
マガモを写していました。

2018年9月28日の記事
でカモ類に野外でも雑種ができやすいことを転記しましたが

 鳥類学者も悩む雑種の見分け方

 さて、ここで雑種の見分け方です。
 と書きたいところですが、私にはさっぱりわかりません。
野外で見かけた鳥はすべて種を識別したくなるものですし、珍しい雑種かもしれないと思えば、「これは〇〇と△△のハイブリッドだ!」と言いたくなるのもわかります。
ですが、どの掛け合せでどういう特徴が出る、なんてのは膨大な例数を見ていないとわかりません。
野外でどれだけ見ていても、混血の答え合わせができるわけではありません。
図鑑を眺めて言えるのは「これに似ているように見える」だけなのです。
しかも、集団の中にはエクリプスから換羽中のオスなんてのが混じっていますから、非常に中途半端な見かけの個体もしばしばいます。
 そりゃまあ、どう見てもマガモっぽいのに、クチバシの先端が黄色ければ「あれ、こいつカルガモ入ってんじゃないか?」と思いますし、ヒドリガモの目のあたりに緑色の模様が入っていれば「アメリカヒドリが混じっているの?」と思いますが、あくまで「そう思った」レベルの話です。
 ゲシュタルト認知という、「どこで見分けているともと言えないのだが、全体としてアレに見える」という認知はたしかにあります。
ですが、何だかわからない鳥を見た場合は、「何だかわからない」と言うのも大事なことでしょう。
そもそも、どんな場合でも必ず客観的に識別できる! というのも人間の一つの思い込みかもしれません。
「見たってわかんねえよ」としか言いようのない場合だってあるのです。
…後略…
(『鳥類学者の目のツケドコロ』松原始 ベレ出版 2018年)