2023年1月1日日曜日

元日

新年のお慶びを申し上げます

 本年が皆さまにとりまして
 良き年でありますよう
 心よりお祈り申し上げます
   春

  正月一日によめる

 けさ見れば 山もかすみて ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 春は来にけり

 今朝見ると、山に霞(かすみ)がかかっている。
待ちに待った春が、大空からやって来たのだ。

一夜のうちに春めいて、山も霞む元旦の喜びを大らかに詠む。
…後略…
(『新潮日本古典集成<新装版> 金槐和歌集』樋口芳麻呂校注 新潮社 平成28年)
 一月
■元日の過ごし方


 元日の朝は、お屠蘇(とそ)でもってお祝いをします。
お屠蘇、あまりおいしくないですな。
屠蘇散をみりんや酒に浸した甘ったるいやつ。
とろとろ、口に中にいつまでも残るんだ。
これをいただいて、お雑煮が出る。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)
 雑煮といえば、ハゼ雑煮です。
前の年の秋の彼岸の過ぎたころにハゼを釣っておいて、内臓を出して、網で炙(あぶ)る。
炙ったやつを今度はからからに干しておく。
これを、さらしの袋の中に入れてだしをとります。
いっしょに入れるのは、餅と小松菜となるとと鶏。
そこに柚子をちょいと入れて、これが江戸前の雑煮です。
餅は切り餅ですよ。
丸餅なんていうのは、上方のものです。
芝居や映画で二十五両包みや五十両包みになった小判を切り餅っていいますが、一般的に一分銀や二分金など四角い銭を並べ積んで角包みにするんです。
だから切り餅なんですね。
小判は大金すぎて使いにくいんです。
 お雑煮なんかをいただいたら、初詣や恵方参りに行きます。
「今年は方角的にはあっちがいいんだよ」なんて言うと、そっちへ行くんだね。
それから「流行(はや)り神」といって、たとえば、「どうも最近は火事が多いね」「じゃあ火伏せの神、秋葉様の方へ行こう」とか、「こんな病気が流行っていますよ」「じゃあ薬師様へ行こう」というふうに、今流行っている病気だとか、物事をしずめていただくために行くんです。
 それからお年始があるわけですよ。
親戚のところをぐるっとまわってくる。
うちの場合だと台東区内が多いんだけど、麻布のおばちゃんだとか、恵比寿のおばちゃんだとかがいる。
そういうところはちょっと遠いから、普段なかなかご無沙汰(ぶさた)しているんだけど、「あっ、来たよ。地内(じない)がお年始に来てくれましたよ」なんてことを言われる。
地内というのは、境内地内のことです。
あたしの家は浅草寺境内地内ですから、「地内の荒井」といったらうちのことになる。
親戚は、荒井さんが多いからね。
 今では、あたしのお年始コースもだいぶ変わってきた。
というのは、歌舞伎界のご贔屓(ひいき)様たちから、控半纏(はんてん)とかお出入半纏(お出入りのご贔屓からもらう半纏)をいただくようになってからは、それを着てお宅にお年始に行くようになったんですね。
その半纏は紬(つむぎ)や羽二重を染めたもので、襟にはあたしの店の屋号、紋付でいう紋の位置には役者の名前が入っていて、背の大紋が役者の紋の染めぬきになっている。
 特に歌舞伎界は二日が初日だから、元日しか正月気分でいられない。
役者さんたちは毎年、お弟子さん共々新年会を行なっていますが、長時間にわたって飲んだあと、中村勘三郎丈宅では皆で投扇興(とうせんきょう)大会をやって勝者には勘三郎丈からご褒美がもらえます。
あたしは行司を仰せつかるので投げることはできませんがね。
で、そこから坂東三津五郎丈宅へ向かうときには、いつもすっかり酔っ払っちゃうんだな。
扇子屋ともあろうものが、新年早々、坂東流家元のお宅で酔っ払ってるなんて図々しいにも程がありますが、なぜか良いお付き合いをさせていただき、ありがたいことだと思っています。
 子供のころはお年始に行くと、そこで「お年玉」をもらう。
年玉というのは、新しい年の始めに戸主や年長者から賜るものということで、ほんとうはお金である必要はない。
江戸時代は町人は扇子を、武士は太刀を渡したと聞いています。
それが、いつの間にかお金で済ますようになるんだね。
 お年始からちょいと早めに帰ってくると、そこにはいろいろとお重が並んでいて、おせち料理がある。
なますや田作り、きんとん、かまぼこ、黒豆、里芋、伊達(だて)巻き、数の子、昆布巻き、小鰭(こはだ)の粟(あわ)漬け、なまこの酢の物などいろんなものをいただいて、大人はそれでもって飲んだりする。
 これは節供(せっく)といって、正月に限らず節句のお供え料理ですが、ここから「おせち」という言葉が生まれた。
おせち料理って、そんなに古い習慣じゃないんですね。
江戸末期からといわれています。
いろいろな意味が込められていて、たとえば黒豆は「まめに暮らす」、数の子は「子孫繁栄」、伊達巻きは伊達政宗公の好物だったという説もあり、華やかなお祝いの席にふさわしいものなんです。
 余談だけど、なまこの酢の物はあたしの大好物で、子供のころは正月になるとなまこを大量に買うんです。
東京ではそのまま切って、鷹(たか)の爪と一緒に二杯酢に漬けておく。
そして、いざお膳(ぜん)に持ってくるときには酢を切って、柚子の皮を刻んだのをかけて、今度は三杯酢をかけて出す。
切ったときに中から出しておいたこのわたも、三杯酢につけて、つるつるっといくんだけどね。
 上方の料理屋さんなどへ行くと、「茶ぶり」というのをやるんです。
なまこを切ると内側に白い膜があるから、それを骨抜きで剝(は)ぐ。
これを、番茶とかほうじ茶をぐらぐら沸かしたところにくぐらせる。
こうすると歯切れが良くなって、さくさくとした食感になるの。
もっとも、茶ぶりをやると身が縮んじゃうので、もったいないからしなくていい、なんて言う人もいるんだけど、上方の料亭などでは、必ず茶ぶりをするもんです。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)

文扇堂」(OMVE)

[1]身近な生活にある薬用植物 屠蘇散」(くすりの博物館)
今朝の父の一枚です(^^)/
スズメたちが草の種を食べているようです。
プロシアのフリードリヒ大王のエピソード

 初雀(はつすずめ)

 元旦の雀である。
日の出前二、三十分に起きて鳴きはじめる。
都会でも農村でも、人間の生活に最も近い小鳥であり、軒近く囀(さえず)る声も、可憐(かれん)なその姿も、改まった気持で見も聞きもされるのである。
ことに新暦正月の初雀は、寒雀の時期でもあり、ふくら雀という言葉もあるように、着ぶくれたような姿で、親愛感が深い。
『季寄新題集』(千草園編、寛永元年)に初めて季題として登録され、江戸時代にはまだ例句も乏しい。
「随意随意や竹の都のはつ雀」路通(ろつう『一の木戸』)、「初雀柳たのしき色音哉(かな)」芝之(『大三物』)、「酌そめて初音ぞおそき初雀」冷松(同)。
 明治時代の『新俳句』『春夏秋冬』『続春夏秋冬』には、まだ題として立てられず、『新修歳時記』に初めて見え、例句として「元日や晴れて雀のものがたり」嵐雪(『其袋』)を挙げている。
この句と言い、さきの冷松の句と言い、「初雀」の語は使っていないが、「初雀」の句には違いない。
「初音」とは普通時鳥(ほととぎす)と鶯(うぐいす)とに詠んでいるが、初雀に詠んでも不都合ではあるまい。
今日では「初鴉」「初鶏」と並んで、最も使用例の多い新年の季題である。
…後略…
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)