2023年1月3日火曜日

正月三日

大阪は、穏やかな正月三が日でした。
これから

Uターンラッシュ 関西も3日がピーク」(関西NHK)
ジョウビタキ♀が丸いものを吐き出しました。

 ペリット

 鳥は食物を丸飲みにし、消化できない骨や羽毛などを後でまとめてペリットなどにして吐き出す習性がある。
このペリットなどの吐き出したものから鳥が何を食べているかを知る手がかりがえられる。
(『野鳥博士入門』唐沢孝一著、平野伸明撮影、全国農村教育協会 2002年)
「団塊の世代」7割が後期高齢者に 介護保険料見直し今夏結論へ〟(NHK) 

蕪村句集 巻之上
  春之部
ほうらいの山まつりせむ老(おい)の春

ほうらい―蓬萊。中国伝説の神仙の山にかたどった正月の飾り物。
山まつり―山の神をまつる祭り。道教の泰山府君の祭りになぞらえ、神仙の長寿にあやかりたい意を寓したもの。
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)

蕪村の時代、初老は

続猿蓑
老いの名の有(あり)ともしらで四十雀
(『芭蕉七部集』中村俊定校注 岩波文庫 1966年)
正月三が日くらいは、ボヤキを自粛しようと(^_-)-☆
笑顔の一年を過したいですよね!

笑う門(かど)には福来(きた)

明るい笑顔のある家は幸せになるという譬え

[異]笑う家に福来る
[異]笑う所に福来る
[類]笑って損した者なし
[類]笑顔の家に貨宝集まる
[類]怒れる拳笑顔に当たらず
(『世界ことわざ比較辞典』日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞・山口政信監修 岩波書店 2020年)
「門」の代わりに「家」「所」にした例も江戸期から見られた。
狂言『筑紫奥(つくしのおく)』に早い例があり、江戸期は全般にわたって盛んに使われた。
特に噺本では使用例が夥しいほど見られ、数にして29例を数える。
また、上方系のいろはカルタの定番になっていたので、その意味でも知名度は高い。
笑いの効能や機能が注目される現代では、このことわざに対する関心は高いものがある。
現代の常用度は4(常用度については本の「この辞典について」をご覧ください)。
外国のものは、総じて日本のものより一歩踏み込んだものも多く、もっと具体的だ。
笑いの効能を喧伝する人に知らせたものがいくつもあるが、「笑いは最高の薬(ドイツ1番目・ロシア1番目)」「笑いはすべての病の薬(トルコ)」はお奨めだ。
(以下、韓国・ラテン語・英語・イタリア・フランス・スペイン・メキシコ・ドイツ・ロシア・トルコ・オランダ・ルーマニア・チガ語・モンゴル・アラビア・ネパール・中国・台湾の例が挙げられていますが、省略します)
(『世界ことわざ比較辞典』日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞・山口政信監修 岩波書店 2020年)
正月をホテルで過ごすことは、今では、珍しいことではありませんが
川端康成の小説「」は、日本経済新聞に昭和39年1月1日に掲載されました。

 雪

 野田三吉は正月元日の夕方から三日の朝まで、東京高台のホテルに、ひとりかくれて過すのが、四五年の習わしであった。
ホテルには立派な名があるけれども、三吉は幻ホテルと呼んでいる。
「父は幻ホテルに行っております。」
 三吉のうちへ来る年賀の客に、息子や娘もそう言ったりする。
客たちは三吉の行先きをかくす、しゃれだと受け取る。
「それはいいところで、いいお正月をなさってるんですね。」と言う人もある。
 しかし、三吉の家族たちも、三吉が幻ホテルで幻を見ているとは知らないのであった
(『掌の小説』川端康成 新潮文庫 平成23年改版)
 ホテルの部屋は毎年きまっていた。
雪の間である。
その第何号室かを雪の間というのも、じつは三吉が自分ひとりだけの名づけである。
 三吉はホテルに着くと、部屋のカアテンをしめるなり、すぐベッドにはいって、目をつぶる。
そして二三時間、安静にしている。
あわただしくいそがしかった一年のつかれといらだち――その休息をもとめるかのような姿だが、いらだちは静まっても、つかれはかえってしんしんと湧(わ)きひろがって来る姿なのだった。
三吉はそれがわかっていて、むしろ疲労の果てを待つのであった。
疲労の底にひきこまれて、頭がしびれてしまうところから、幻が浮びはじめる。
 目を閉じた闇(やみ)のなかに、粟(あわ)つぶほどの小さい光のつぶが、舞い流れはじめる。
そのつぶつぶはすき通るように淡い金色である。
その金色が白い薄光に冷えてゆくにつれて、つぶの群れが動く方向も速度もそろって来て、粉雪になる。
遠くに降る粉雪に見える。
「今年の正月も雪は降ってくれた。」
そう思うと、雪はもう三吉のものである。
三吉の心のままに降る。
 三吉の目ぶたのなかで、粉雪は近よって来る。
そして降りしきるうちに、粉雪はぼたん雪になる。
大きい雪片が、粉雪よりもゆるやかに降る。
音のない静かなぼたん雪に、三吉はつつまれる。
 もう目をあいてもよろしい。
 三吉が目をあくと、部屋の壁が雪景色になっている。
目ぶたのなかの雪は、ただ降り落ちる雪片だけであったが、壁に見えるのは、雪の降る景色である。
 裸木が五六本立っただけの広い野に、ぼたん雪が降っていた。
雪がつもって、土も草もない。
家もなく、人もいない。
さびしい景色だけれども、三吉は二十三四度の煖房(だんぼう)のベッドのなかで、雪の野の冷たさは感じない。
しかし、あるのは雪景色だけで、三吉は自分がなくなっている。
「どんなところへ行こうか。どういう人を呼び出そうか。」と思っているようであるが、それも自分ではなくて、雪まかせのようである。
 降る雪のほかに動くもののなかった野原は、やがて、おのずと流れ去って、山かいの景色に移っていた。
片方の山が高くそそり立って、谷川もその山裾(やますそ)に寄っていた。
細い谷川の水は雪のなかに止まっているように見えるが、さざ波もなく流れている。
そのしるしには、岸から落ちた雪のひとかたまりが、水に浮かんで流れた。
その雪のかたまりは、岸から出た岩の根へ吸い寄せられて止まっているうちに、水に消えてしまった。
 その岩はむらさき水晶の大きいかたまりであった。
 水晶の岩の上に、三吉の父が現われた。
父は三つか四つの幼い三吉を抱いて立っていた。
「お父さん、あぶないですよ。そんな、ぎざぎざ、とがった岩の上に立っていては……。足の裏が痛いでしょう。」
 五十四歳の三吉はベッドのなかから、雪景色のなかの父に言った。
 岩のいただきは水晶の鋭くとがったさきが、足を刺すように群がり立っていた。
三吉に言われて、父が足を動かして踏みかまえると、岩の雪がくずれて谷川に落ちた。
それに父はおびえたか、三吉を抱きしめた。
「こんなに細い流れでも、こんな大雪にうずもれてしまわない。ふしぎだねえ。」と父は言った。
父の肩や頭、また三吉を抱いた腕に、雪が降りたまっていた。
 壁の雪景色は移って、谷川をさかのぼって行った。
湖水のながめがひらけた。
山奥の小さいみずみだが、あんなに細い谷川のみなもととしては大きかった。
白いぼたん雪は、こちらの岸から遠のくほど灰色がかって見え、厚い雲がたれこめたようであった。
向う岸の山はかすかであった。
 降りしきるぼたん雪が水のおもてに消えるのを、三吉はしばらく見ていると、向う岸の山に動くものがあった。
灰色の空を渡って近づいて来た。
それは鳥の群れであった。
雪色の大きいつばさである。
雪がつばさになったかのように、三吉の目の前を舞い飛んでも、つばさの音はなかった。
つばさをのびやかに張って、羽ばたきはないのか。
降る雪が鳥を浮かべているのか。
 鳥は数えようとすると、七羽であったり、十一羽であったりで、三吉は迷うというより楽しくなりながら、
「なんの鳥……? なん羽なんだろう。」
「鳥ではないの。つばさに乗っているものがお見えにならない?」雪の鳥は答えた。
「ああ、わかった。」と三吉は言った。
 三吉を愛してくれた女たちが、雪のなかの鳥に乗って来たのである。
どの女から先に話したものか。
 幻の雪のなかの三吉は、過去に三吉を愛してくれた人たちを、自由に呼び出せるのだった。
――元日の夕方から三日の朝まで、三吉は幻ホテルの雪の間で、カアテンをとざし、食事も部屋に運ばせて、ベッドに横たわり通して、それらの人々と会うのだった。
(『掌の小説』川端康成 新潮文庫 平成23年改版)
今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラが朝ご飯を探しているようです。

ここまでわかったシジュウカラの言葉 鈴木俊貴
 他種にも伝わる天敵情報

 私が調査地にしている長野県の落葉樹林では、シジュウカラは、コガラ、ヒガラやヤマガラ、ゴジュウカラ、コゲラなど多くの鳥たちと隣り合わせで生活しています。
一般に、鳥類は繁殖する際になわばりを形成しますが、その多くは同種のライバルとの空間的な線引きです。
他種とはつがいをめぐる争いがなく、食物資源をめぐる競合も少ないため、種間でなわばりをもつことはあまりありません。
その結果、シジュウカラの巣の周りにも、さまざまな鳥類が巣をつくり、繁殖する様子がよく見られます。
 私は、シジュウカラの「ピーピー」「ジャージャー」という鳴き声が、同種のみならず、周囲で繁殖する他種に対しても情報を伝えていることを発見しました。
カラスに対する「ピーピー」をスピーカーから再生すると、それを聞いた他種の鳥たちは、音源の周囲で首を振り、あたかもカラスを探すような仕草を示します。
一方、ヘビに対する「ジャージャー」を再生すると、彼らはわざわざシジュウカラの巣の近くまで飛んできて、周囲の地面を確認します。
…後略…
(『日本野鳥の会のとっておきの野鳥の授業』日本野鳥の会編、上田 恵介監修、山と渓谷社 2021年)