2021年3月1日月曜日

3月になり

3月になって急に気温が上がったような…
モモの花の蕾もかなり膨らんでいます。
水曜日位に一気に気温が下がりそう…
こういう気温の乱高下に体がついていけません(-_-;)
岩波書店のTwitter

【今日の名言】
奇妙なことかも知れぬが、腕のとれた彫刻などでも、あまりに近くへよると、不思議な生気を感じて、思わずたじたじとすることがある。


――和辻哲郎『古寺巡礼』

(続き)
ただ記憶に残っている像でも、生きている人と同様に妙な親しみやなつかしみを感じさせる。
それから考えると、昔の人が仏像を幻視したということは少しも不思議ではない。
また観音像に恋した比丘や比丘尼の心持ちも理解できるように思う。
『日本霊異記(にほんりょういき)』は書き方が幼稚な書であるが、天平の人のそういう心持ちを表現している点でおもしろい。
(『古寺巡礼』和辻哲郎 岩波文庫 1979年)

この前に書かれている仏像への評価は、納得できないのですが(^_-)-☆
 内田樹さんのTwitterに

日本の官僚のみなさんは「あんな連中と一緒にしないでほしい」はっきり言って、
進んで「綱紀粛正」を主張した方がいいと思いますよ。
十把ひとからげに「日本の役人は腐っている」という定型句が定着すると、
統治機構が機能しなくなりますから。
誰か声を上げてください。


山田内閣広報官 辞職までの経緯」(NHK)
山田内閣広報官は体調不良で入院されたようです。
勝手な憶測ですが、本当のことを話しておられたら体調不良にならずにすんだのではないかな。

SWITCHインタビュー 達人達「竹中功×田畑栄一」で竹中さんが謝罪について述べておられます。
入院中にご覧になるといいと思います。
菅首相も安倍前首相もなぜ国民に言葉が届かないのかを学んでください。
3月6日 午前0:00~(5日深夜)に再放送がありますよ。
 2月21日の記事で、半藤一利さんが坂口安吾の家に1週間泊まりこんだ思い出を転記しました。
その時にもらった原稿が斎藤道三を描いた短編『梟雄』。

きょうゆう【梟雄】
きのうまで親戚・友人であった相手を平気で殺してまで天下を取るような英雄。
(『新明解国語辞典<第四版>』山田忠雄〔主幹〕他編著 三省堂 1997年 )

梟雄といえば、織田信長や豊臣秀吉を思い浮かべるのですが。
坂口安吾の『梟雄』を転記したいと思います。
きっと誤記入や脱字などがあると思います.
ご了承ください_(._.)_
 梟雄

 京の西の岡というところに、松波基宗という北面の武士が住んでいた。
乱世のことであるから官給は至って不充分で、泥棒でもしなければ生活が立たないように貧乏である。
 子供も何人かあるうちで、十一になる峯丸というのが絵の中からぬけでたように美しいばかりでなく、生まれつきの発明、非凡の才智を備えていた。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
  才あっても門地のない者が、その才にしたがい確実に立身する道は仏門に入ることである。
そこで松波は妙覚寺の白善上人にたのんで、峯丸を弟子にしてもらった。
 峯丸の法蓮房は持前の才智の上によく勉強して、たちまち頭角をあらわし、顕密の奥旨(おうし)をきわめたが、その弁舌の巧者なことに至っては対する者がただ舌をまいて引き退(さが)るばかりで凡人の近づきがたい魔風があった。
鋭すぎたのである。
 同門の小坊主どもは法蓮房に引き廻されて快く思わなかったが、それは才器に距(へだ)たりがありすぎたせいでもあった。
 ただ一人南陽房という弟弟子が彼に傾倒して勉強したが、これも利発だったから、やがて諸学に通じ、法蓮房とともに未来の名僧と仰がれるようになった。
 南陽房は美濃(みの)の領主土岐(とき)氏の家老長井豊後守(ぶんごのかみ)の舎弟であった。
 長井は弟が名僧の器と人に仰がれるようになったので、自分の装飾によい都合だと考えた。
そこで折にふれて妙覚寺へ寄進などもするようになり、今度とも南陽房をよろしくと礼をつくすから、寺でも南陽房を大切にする。
近代無双の名僧の器であると折紙をつけて強調するようなことは当り前になってしまった。
兄貴分の法蓮房は影が薄くなった。
 かねて法蓮房に鼻面(はなづら)とって引き廻されていた坊主どもは、これをよい気味だと思った。
「人品の格がちがう。南陽房にはおのずから高風がある。それに比べて法蓮房は下司(げす)でこざかしい。一は生来の高徳であるが、一は末世の才子にすぎない」
 こういう評価がおのずから定まった。
学識をたたかわす機会は多数の意志で自然に避けられるようになり、法蓮房の腕の見せ場はなくなった。
  これに反して儀式の行事は南陽房が上の位置で厳粛に執り行う。
その動作には品格と落付きがあって、名僧の名にはじなかった。
 法蓮房は美男子であり、犀利白皙(さいりはくせき)、カミソリのようであるが、儀式の席では一ツ品格が落ちる。
下司でこざかしいと云えば、それが当てはまらないこともない。
法蓮房は無念だと思った。
そして、それを根にもつと、強いて下司でこざかしい方へ自分を押しやるような気分になった。
  やがて南陽房は兄にまねかれ、美濃今津の名刹(めいさつ)常在寺の住職となった。
一山の坊主は寄りつどい、近代無双の名僧に別れを惜しんで送りだしたのである。
すべては昔に戻り、近代無双の名僧の名はどうやら再び法蓮房のものとなる時が来たようであった。
 けれども、法蓮房はバカバカしくなってしまったのである。
井の中の薄馬鹿な蛙のような坊主どもの指金(さしがね)できまる名僧の名に安住する奴も同じようなバカであろう。
坊主などはもうゴメンだと思った。
 乱世であった。
力の時代だ。
時運にめぐまれれば一国一城の主となることも天下の権力者となることもあながち夢ではない。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)

続く 
今朝の父の一枚です(^_^)v
一気に春になった感じでハクモクレンは花が開き出していたけど、
シモクレンもう少したつと咲き出すかな(^^♪