2021年3月8日月曜日

雨のあと

朝、外の様子を見ると雨…
予報を見ると10時位には止みそうだったので出かけました。
駐車場に着いたときには傘をささなくても歩けるようになっていました。
まだ、風が冷たいのにデデムシに出会いました!

狂言「蝸牛(かぎゅう)」(Eテレ にほんごであそぼ)
幼児のための番組ですが、レベルは高いですよp(^^)q
 つくし

 きびしい風の中に、ツクシ(土筆)が筆の穂先のような姿で土から生まれ出るころは、「親」のスギナ(シダ植物のトクサ科)はまだ地下で、伸びさかろうと準備中である。
根(実は地下茎)が深いから、ツクシとスギナがつながっているのを見るのはむずかしい。
ツクシの節にある袴は葉が癒着したもので、先端の穂は六角の胞子葉の生殖茎である。
 スギナはコスモポリタンであるが、どこでも多年生雑草の一つとして、酸性土壌の指標植物とされている。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
 柳田国男の『野草雑記』によると兵庫県下の童歌に、

  お杉だれの子 ほうしの子
  ほうしだれの子 お杉の子

 といのがあるそうである。
むろん、お杉とはスギナのことであるが、ツクシを法師と呼ぶのは、ツクシの先端の胞子嚢穂を坊主頭に見立てたわけである。
いかにも童話的で、長い冬籠りから解放されて春を迎える喜びが見えるようであるが、半面、冬中つけ物ばかり食べなければならなかった庶民の生活のきびしさもうかがえる。
年が明けて、初めて食膳の載せる生の菜は、子供が寒風に身をかがめて摘んできたツクシであったに違いない。
 ツクシは、したがって親のスギナも、至るところ日当たりのよい原野や路傍に生えている。
いったん住みつくと、堅い針金状の地下茎を伸ばしてどんどん領分を広げて行く。
これを根絶やしにするのはむずかしい。
それなのにどうしてスギナは生きた化石などと呼ばれるのだろう。
 3億年の昔、地表を大きくおおっていた大森林があった。
それが地下に埋没して石炭になったので、石炭紀と呼ばれる時代である。
その森林を構成する樹種の一つにスギナの祖先、カラミテス(蘆木<ろぼく>)があった。
高さ20メートル、径50センチにも達したという。
下って2億年前、三畳紀のネオカラミテスは径10センチ前後である。
4~5千年前のトクサマガイは径5~6センチ、ツクシの径は鉛筆ぐらいだが、チリのオオトクサは親指ほどの太さで、4~5メートルの高さになる。
ツクシの仲間は太古の昔から縮小化の道をたどってきたのだ。
  スギナの仲間は現在、世界に30種しか残っていない。
どの種も、どこで採った株も、染色体は常に108個で、そうした変革を求めぬ保守的な性質が、スギナの仲間を衰えさせた原因なのであろう。  (西田 誠)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)

なかのとおるさんのTwitterに

今日は『国際女性デー』なのか。
Google、世界初の女性に、エベレスト登頂の田部井淳子さんの名も。


道を切り開いた「世界初」の女性たち〟(Google)

UN Women 日本事務所

ドイツ大使館のTwitterに

メルケル首相は元は物理学者だったのはご存知でしょうか?
彼女は1978年、ベルリンの研究所にただ一人の女性学術助手として就職。
ちなみに、博士論文のタイトルは『単純開裂を伴う分解反応機構の研究と量子化学・統計的手法による速度定数の算出』


#IWD2021EUJP

#国際女性デー

指導者について胸を張って紹介できるのは羨ましいな!
今日は忠犬ハチ公の命日です。
渋谷駅前の銅像は前年の4月21日に建立。
忠犬ハチ公のおはなし」(でじたる渋谷)

農業農村工学会と忠犬ハチ公」(農業村工学会)

老犬神社 里を見守る 秋田の忠犬」(みちしる 2013年)
梟雄」の続き)

   ★

 世間へもれた会見の様子はこれだった。
 ところが、この日を境にして、道三と信長はその魂から結び合っていたのである。
 信長が正徳寺の会見から帰城すると、その留守中を見すまして、亡父の腹心山口がムホンし、しきりに陣地を構築中であった。
 つづいて多くの裏切りやムホンが起った。
彼らは道三が大バカヤローの聟に見切りをつけて、バカの領地は遠からず道三の手中に帰するだろうと考えたのである。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
 ところがアベコベだ。
彼らがムホンする。
兵力の少ない信長はほとんど全軍をひきつれて討伐にでなければならない。
すると道三が部下に命じて兵をださせ、信長の留守の城を守ってくれるのである。
 その援兵は、もし欲すれば、いつまでも留守城を占領することができた。そして、信長を亡し、所領を奪うことができたのである。
 信長はそれを心配したことがなかった。
いつもガラあきの城を明け渡して戦争にでかけるのだ。
しかし、信長の敵たちは道三の心を疑っていた。
そんな筈は有りッこないと思ったのである。
今に信長はやられるんだろうと考えていた。
一年たち、二年たった。
信長はやられない。
 人々は仕方なしに大悪党のマゴコロを信じなければならなくなった。
薄気味わるくなってきた。
やられるのは信長ではなくて、信長の敵の自分たちかも知れないと感じるようになったのである。
ウッカリ信長に手出しができなくなってしまった。
失われた信長の兵力は少しずつ恢復しはじめた。
   ★

 義龍はライ病の症状が現れた。
「六尺五寸のバカでライ病。取り柄がないな」
 道三は苦りきった。
 義龍はひそかに自分の腹心を養成し、また寄せ集めた。
マジメで、行いが正しくて、学を好み、臣下を愛した。
全てが道三のやらないことであった。
「六尺五寸もあって、それで人前で屁をたれることも知らぬバカだ」
 道三の毒舌は人々を納得させるよりも、むしろ人々を義龍に近づけ彼らの団結を強くさせる役に立った。
その勢力は次第に大きくなった。
「義龍公は土岐の血統だ。美濃の主たる正しい血だ」
 その声は次第に公然たるものになってきた。
 稲葉城は大きい城であった。
しかし一ツの城の中に、その城の主人と、主人を仇敵と狙う子供がそれぞれの部下をかかえて一しょに同居していることは、差し障りがなければならない。
 ところが道三は案外平気であった。
「六尺五寸の化け物め。いまにオレが殺されるぞ」
 義龍が土岐の血統と名乗るようになったのは、まだ二十の頃からでもう十年ちかくなるのである。
彼が土岐の血統なら、道三は彼の父ではなく、仇である。
当り前の結論だ。
 道三は自分の立身出世のために人を殺す機会には、機会を逃さず、また間髪をいれず、人を殺してきたものだった。
彼は人の顔を見るたびに考える。
いまこの人間を殺すこともできるな、と。
人間どもが平気な顔で彼と対座しているのが奇妙な気持になることもある。
オレの心を見せたいなと思った。
 むろん義龍を殺す機会はあった。非常に多くあった。
これからも有りうる。
信長を殺す機会がいつでもあると同じように。
 いつでも殺せるが、オックウだった。
なんとなく、そんな気持ですごすうちに、今のようになってしまった。
今ではその腹心が堅く義龍をとりまいていて、殺すのも大仕事になってしまったようである。
 しかし、早いうちなら義龍を簡単に殺せたろうかと考えると、これも案外そうでないような気がするのだ。
 むろん殺す実力はある。今でも殺す実力はある。
しかし、実力の問題ではなく、それを決行しうるかどうかという心理的な、実に妙な問題だ。
 信長に濃姫を与えたのはナゼだろう?
そころ信長は評判の大バカ小僧であった。
自分の領内に町人百姓の鼻ツマミとは珍しい若様がいるものだ。
 なぜ鼻ツマミかというと、町では店の品物を盗む。
マンジュウとかモチとか、大がい食物を盗むのだ。
野良でも人の庭の柿や栗や、腹がへるとイモや大根をほじくって食ってしまう。
畑の上で相撲をとる。走りまわる。鼻ツマミとは無理がない。
  むろん頭はバカではない。
よその殿様の子供のやらないことだけやってるようなバカなのだ。
 そのバカが、たしかに道三の気に入ったのは事実なのだが、ナゼ気に入ったかと考えてみると、その裏側に彼と対しているのが、クソマジメで、勉強家で、聖人ぶって、臣下を可愛がって、むやみに殿様らしい様子ぶったことをしたがる義龍という村在だろう。
トドのつまりは、そうらしい。
 つまり道三にとっては、義龍という存在が、どうやら心理的に殺すことができない存在なのかも知れない。
信長という対立的なものを選んで味方にしたところを見ると、自分でもそんな気がするのであった。
何か宿命的なものが感じられた。
 そして、義龍を殺すことよりも、義龍に殺されるかも知れないということをより多く考えるようであった。
いちでも義龍を殺せるうちから、すでにそうだった。
 むろん、義龍に殺されるのが心配で、対立的な信長を味方にしたわけではないのである。
しかし、今になって、結果から見ると、まるで予算を立てて信長を濃姫の聟に定めたようなことになっている。
あるいは、そういう秘密の気持があったのに、自分ではそれに気付かなかったのかも知れないと考えたりするのであった。
 それはまったくフシギな心だ。
なぜなら、今だって義龍を殺すことができないわけではないじゃないか。
「どうも、まったく、目ざわり千万な奴だ。六尺五寸もあって、モッタイぶって、バカで、ライ病だ」
 しかし、すべてが、オックウだ。
六尺五寸のライ病殿に関する限り、すべてがオックウの一語につきる。そして、ふと気がつくと、
「あの化け者めにオレの寝首をとられるか」
 そう考えているのであった。
久方の光がしず心なく降るが如くに、そう考えるのであった。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
カワセミと出会って大喜びでした!
私の方は、50mmマクロレンズ(MF)でリハビリ散歩。
そんな時に限って今年まだ写せていないシメに会ったりしていました(T_T)

ソール・ライター財団のサイトでソール・ライターの作品を見ることができます。