2021年3月6日土曜日

どんよりとした空だったので

予報では曇りだったけど雨が降るかもしれないなと思っていました。
途中で日がさしたりしたので暑いくらいでした。
昨日は「啓蟄(けいちつ)」でしたが、雨で巣ごもりしていました(^^;

土日も傘の出番ありそう」(えりの気象日記 3月5日)
モモの花が咲くのを楽しみにしていました。
と、言うのも枝が折れて樹皮で繋がっているようです。
皮一枚で繋がっていると思うのが
ミャンマー 警察官の間でも「不服従運動」 広がり始める〟(NHK)

軍が武器を持たない市民に向って発砲しているのを見ていて天安門事件を思い出します。
天安門事件 武力鎮圧」(NHKアーカイブス 1989年)

ミャンマーでデモ制圧続く、国連当局者は厳しい制裁呼び掛け」(ロイター 3月5日)
安保理で中国が厳し制裁に対してブレーキをかけているようですね。
ミャンマー軍は、中国が国際社会の楯になってくれると信じていると思う。
平野啓一郎さんのTwitterに

何がおもしろいんだろう? 
これが自国の大臣の姿だという事を、ただ、悲しい気持ちで見ている。
品性もなければ知性もない。
何もない。辛い。


平野啓一郎さんは加藤郁美さんのTwitterをリツーイトされています。
大臣が笑う姿や答弁などがアップされています。
笑いは嘲笑にしか見えないけど…
菅首相と立民小西氏が押し問答 接待問題で責任追及」(日刊スポーツ 3月5日)
首相は「政治責任という定義は、ないんじゃないでしょうか」

責任を逃れるために記録を隠蔽・改竄している前首相と現首相と閣僚等。
私は、BSを見ることができないのですが

森達也さんのTwitterに

NHKBS1「226事件の全貌」を観ている。
発見された海軍の文書や電話の傍聴記録などを解析して、陸軍青年将校たちのクーデターに新たな光を当てる。
観ながら思う。公式文書がきちんと残されているからこそ検証ができる。
平成後半のこの国の歴史は、後世の検証に耐えられるのか。
そもそも検証できるのか。

(「梟雄(きょうゆう)」続き)

   ★

 土岐頼芸(よりよし)を追放してその愛妾を奪ったとき、彼女はすでに頼芸のタネを宿していた。
したがって最初に生まれた長男の義龍(よしたつ)は、実は土岐の血統だった。
 もっとも、この事実の証人はいなかった。
ただ義龍がそう信じたにすぎないのかも知れない。
道三はそれに対して答えたことがなかった。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
 義龍は生まれた時から父に可愛がられたことがない。
長じて、身長六尺五寸の大男になった。
いわば鬼子である。
しかし、道三はそうは云わない。
「あれはバカだ」
と云った。
 ところが、義龍は聡明だった。
衆目の見るところ、そうだった。
その上、大そう努力勉強家で、軍書に仏書に聖賢の書に目をさらし、常住座臥怠ることがない。
父道三を憎む以外は、すべてが聖賢の道にかなっているようであった。
 道三は義龍の名前の代りに六尺五寸とよんでいた。
「生きている聖人君主は、つまりバカだな。六尺五寸の大バカだ」
 道三はそう云った。
そうして次男の孫四郎と三男の喜平次とその妹の濃姫(のひめ)を溺愛した。
「孫四郎と喜平次は利発だな。なかなか見どころがある」
 道三は人にこう云ったが、次男と三男は平凡な子供であった。
彼は下の子ほど可愛がっていた。
 天文十六年九月二十二日のことであったが、尾張の織田信秀が美濃へ攻めこんだ。
稲葉城下まで押し寄せて町を焼き払ったまではよかったが、夕方突然道三の奇襲を受けて総くずれになり、五千の屍体をのこして、わずかに尾張へ逃げ戻ったのである。
 尾張半国の領主にすぎない織田信秀にとって五千の兵隊は主力の大半というべきであった。
この損失のために信秀の受けた痛手は大きすぎた。
イヤイヤ信秀に屈していた尾張の諸将のうちにも、信秀の命脈つきたりと見て背くものも現れはじめた。
 信秀は虚勢を張って、翌年の暮に無理して美濃へ攻めこんだ。
もっとも、稲葉城下へ攻めこんだわけではなく、城から遠い村落を焼き払って野荒ししたにすぎないのである。
 ところが天罰テキメン。
無理な見栄(みえ)は張らないものだ。
野荒しの留守中に清州の織田本家の者が信秀に敵の色をたて、信秀の居城古渡(ふるわたり)を攻めて城下を焼き払って逃げたのである。
 信秀は慌てて帰城して対策を考えたが、清洲の織田本家はいま弱くても、とにかく家柄である。
これを敵に廻してモタモタしていると、味方の中から敵につくものがどんどん現れてくる可能性がある。
 清洲の本家が信秀から離れるに至ったのは落ち目の信秀がいずれ美濃の道三に退治されてしまうと見たからである。
  清洲の本家ともまた美濃の道三とも今はジッと我慢して和睦あるのみ。
こう主張して、自らこの難局を買ってでたのは平手政秀である。
 平手は直ちに清洲との和平を交渉するとともに、一方美濃へ走った。
道三に会って、信秀の長男信長のヨメに道三の愛嬢濃射姫をいただきたい、そして末長く両家のヨシミを結びたいと懇願したのである。
平手は信長を育てたオモリ役であった。
  軽く一ひねりに五千の尾張兵をひねり殺して信秀の落ち目の元を作ったのは道三だ。
その道三は益々快調、負け知らず、美濃衆とよばれて天下の精強をうたわれている彼の部下は充実しつつあるばかりだ。
 信秀が負け犬の遠吠えのように美濃の城下を遠まきに野荒しをやって逃げたのも笑止であるが、腹が立たないわけではない。
しかるに、野荒しのあとに、三拝九拝の縁談とは虫がよすぎるというものだ。
 ところが道三は意外にも軽くうなずいた。
「信長はいくつだ」
「十五です」
「バカヤローの評判が大そう高いな」
「噂ではそうですが、鋭敏豪胆ことのほかの大器のように見うけられます」
「あれぐらい評判のわるい子供は珍しいな。百人が百人ながら大バカヤロウのロクデナシと云っているな。領内の町人百姓どもの鼻ツマミだそうではないか。なかなかアッパレな奴だ」
「ハア」
「誰一人よく云う者がないとは、小気味がいい。信長に濃姫をくれてやるぞ」
「ハ?」
「濃姫はオレの手の中の珠のような娘だ。それをやる代りに信秀の娘を一人よこせ。ウチの六尺五寸のヨメにする。五日のうちに交換しよう」
「ハ?」
 平手は喜びを感じる前に雷にうたれた思いであった。
怖る怖る道三の顔を仰いだ。
老いてもカミソリのような道三の美顔、なんの感情もなかった。
「濃姫のヒキデモノだ」
 道三は呟いた。
 両家の娘を交換する。
それは対等の同盟を意味している。
しかるに今の道三と信秀は全然対等ではなかったのである。
平手は七重の膝を八重にも曲げて懇願しなければならない立場だ。
しかるに道三が対等の条件にしてくれた。
それが最愛の娘濃姫を与える大悪党のヒキデモノであった。
 年内に濃姫は信長のオヨメになり、織田家からは妾腹の娘が六尺五寸殿にオヨメ入りした。
信秀の本妻には年頃の娘がなかったせいだが、これでは対等を通りこして、道三の方が分がわるい。
しかし道三は平気であった。
 難物と目された美濃との和平は一日で片がつき、弱小の清洲との和平に一年かかった。
清洲の条件が高いのだ。
そして折れなかった。
それほど信秀は落ち目であった。
 ところが道三は落ち目のウチの鼻ツマミのバカ倅(せがれ)に愛する娘をヨメに与えたのである。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
カワセミを写せて大喜びでした!
σ(^-^;は、雨が降るかもと思って50mmマクロ(MF)で出かけていたので、
父の撮影を楽しみにしていました(^^)/

Eテレの日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物
去年2月に放送された再放送です(明日、午後8時から再放送)。
この番組で初めてソール・ライターを知って、
作品集『All about Saul Leiter ソール・ライターのすべて』と

DVD「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」を購入しました。
美術館「えき」KYOTOで
見に行きたいけど諦めるしかない(T_T)