2021年2月21日日曜日

春の暖かさ

昨日よりさらに暖かい朝。
途中で汗が出そうになり一枚脱ぎました。
明日も、暖かい日が続くようですが…
モモの木を見ると、チョコンと赤い色が見えていました。

23日まで空気の乾燥した状態が続くため、火の取り扱いに注意してください。」(気象庁)
 岩田健太郎さんのTwitterに

おめでとうございます!!   
ラグビー福岡堅樹、順天堂大学医学部に合格「多くの方々の助けがあって成し遂げられた」(スポーツ報知 2月20日)

有言実行男。

今日の記事には
福岡堅樹、試合直前に順大医学部合格通知!そして開幕戦30m独走トライ…予備校通う文武両道実った」(スポーツ報知)
大坂なおみ、全豪テニス2度目の優勝 米ブレイディにストレート勝ち」(BBCニュース)

語り口の穏やかな大坂は、最近のスポーツ界きっての大スターとして急浮上している。
この日のグランドスラム優勝で、またしてもそのスター性を示した。
コート上の大坂は、シャープなショットと迷いのない戦略で相手を圧倒する。
コートの外では、世界で最も市場価値のあるスポーツ選手の1人となり、際立った社会活動家として発言力も身につけた。

BBCはNHKと同様に公共放送。
テニス全豪オープン 大坂なおみ優勝 四大大会優勝は4回目」(NHK)
ETV特集「一所懸命に漕いできた~“歴史探偵”半藤一利の遺言~
で半藤さんが坂口安吾との思い出を語っていました。

文春ムック 永久保存版 半藤一利の昭和史
にその思い出が載っていましたので転記したいと思いますφ(..)
この本を父が毎日読んでいます。
おススメの本です(^^)v
坂口安吾と出会う
 ――我が歴史開眼、人生開眼

 昭和28年3月、文藝春秋に入社して1週間ほどで、坂口安吾さんと出会うという幸運がありました。
 入社したといっても、しばらくは電話番と原稿とりといったお手伝いばかりでした。
ある朝、校了を控えていた「別冊文藝春秋」編集部から、「お前は酒が飲めるだろう? それなら、安吾さんの原稿を桐生まで取りに行け」と命じられました。
(『文春ムック 永久保存版 半藤一利の昭和史』前島篤志編集 文芸春秋 2021年)
 その頃は電話一つとっても、ガラガラと回して交換手に相手とこちらの番号を言って切ってから、2時間ぐらいたつと電話がかかるという時代です。
 とにかく行った方が早い。
財布を見たら往復の汽車賃はあるんで、軽い気持ちで群馬県の桐生まで行っちゃったんです。
 ご自宅に伺い、出てきた三千代夫人に「原稿をいただきに上がりました」と言ったら、変な顔をする。
すると安吾さんが出てきて、「何、原稿? 思い出した。頼まれてた」と言うから、「できてないんでしょうか」と聞いたら、「うん、一枚もないなあ」(笑)。
「どうしたらいいんでしょうか」と言ったら、「どこかそのへんに泊まって待ってくれ」という。
お金がないといったら、奥さんが「うちへ泊まったら?」。
それから1週間安吾邸に泊まっちゃったわけです。
 その1週間、三千代夫人の手料理で毎晩酒を飲んでいました。
安吾さんは、古代史や戦国時代を中心に、歴史の話を毎晩、話題を変えて話してくれました。
歴史のおもしろさや解釈の多様さを教えられましたね。
完全な意味の「歴史開眼」、いや「人生開眼」をしたと言ってもいい。
「史料なんてものをいくら並べたって、歴史の本当のところはわからない。歴史というのは史料の裏側を読まないとわからないんだ」という言葉を今でも覚えています。
 「もしかすると、もしかするんじゃないか」と考える人が発想の転換ができるんであって、初めから「これはそういうもんだ」と思ってしまってはけっして発想の転換ができない。
史料と史料を重ね合わせて、なおかつそこの行間に、ごく常識的な推理力を働かすことによって、本当の全容が浮かび上がってくるもんだという、いわゆる「歴史探偵学」を毎日のように教わったんです。
 あの1週間のことは、坂口安吾さんには本当に感謝しないといけないのに、当時は感謝しなかったね(笑)。
早く原稿を書いてくれ、なんて思ってね。
 浦校の寮で読んだ『堕落論』にも書いているけど、安吾さんの天皇論にも驚きました。
天皇というものの存在というものが日本人にとって、つまりこれからの日本にとっても何であるかということは、日本人一人ひとりがしっかり考えなきゃならない問題だと、盛んに言っていました。
「はあ、でも戦争責任が……」とか何とかブツクサ言っていると、「バッカだね、きみは」と何べんも笑われました(笑)。
 五日も六日も帰ってこないから、母親が心配になって恐る恐る編集長に電話したら、編集長が「半藤? そんな社員はいないけど」って言ったそうです。
うちの親がたまげて「息子は文芸春秋に入ったって、毎日出かけてたんですが」と言ったら、「おい、半藤って社員いたっけ? あっ、桐生の坂口安吾のとこだ」ってやっと思い出した。
それで編集長から桐生に電話がかかってきて、「何をしてるんだ、お前は。一ぺんぐらい連絡するもんだ」と怒られちゃった。
 それで帰り支度を始めたら、やっと書き始めたのが、斎藤道三を描いた「梟雄(きょうゆう)」という40枚ほどの短編です。
帰りの電車で、「道三や信長について、本当によく勉強してるな」と思いながら読みました。
会社に戻ってみると、ひどいことに、私のことなんか忘れたまま校了になっていました(笑)。
 翌年、「文藝春秋」に異動になります。
そのころ、編集長の方針で、口述筆記や代筆をたくさんすることになりました。
今みたいに会話体のまとめじゃなくて、文章体に直して本人が書いたような顔をする、いまでいうゴーストです。
張作霖爆殺の河本大作や二・二六の磯部浅一、それから七三一部隊とか巣鴨プリズンとか昭和史につながる仕事を次から次へとやりましたね。
 そのころで思い出深いひとつに「昭和史論争」があります。
評論家の亀井勝一さんのところで、ベストセラーになっていた岩波新書『昭和史』(遠山茂樹他著)の感想を聞かれました。
「鳥のガラみたいな『昭和史』ですね。歴史というのはもっと肉付きがあるもんじゃないでしょうか」なんて安吾直談の探偵眼で話したら、「確かに、あの中には人間がいません。人間のいない歴史なんてのはないんです」とおっしゃる。
おもしろそうだから、執筆をお願いして、31年3月号の「文藝春秋」の載ったんです。
 それが議論を巻き起こし、「昭和史論争」発展しました。
ただし論争の舞台は「中央公論」に移っています。
なぜか我が「文藝春秋」はキッカケを作るが、あとは淡泊なんだね。
いまはそうでもないけれど(笑)。
(『文春ムック 永久保存版 半藤一利の昭和史』前島篤志編集 文芸春秋 2021年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
枝垂れ梅が満開です。
この場所、意外と見過ごされがちです。

この場所ではありませんが
年輩の女性のグループ。
河津桜でメジロに出会えて嬉しかったようで、大きな声でワイワイと…。
メンバーのお一人がスマホでメジロを写そうとするのですが、
上の方にいるのでなかなか写せないと困っていました。
(心の中で、メンバーの声が大きすぎるので、怖がってメジロが下りてこないのです)