2021年3月4日木曜日

歩いていると暑くなるほど…

昼前から曇り空になる予報で、
出かけた時はヒンヤリしていましたが、
歩いているうちに暑くなりました(^^;

4日 すっきりしない天気」(えりの気象日記 3月3日)
又吉直樹のヘウレーカ!「クモの糸にはかなわない!?」を録画してみました(再放送は3月5日 午前0:00 ~、今夜です)。
クモを嫌いな人、苦手な人が多いと思います。
という私も、ハエトリグモの仲間は可愛いなと思っていますが、網をはるクモは苦手です。
でも、中田兼介(京都女子大学教授)さんの話を聞いていると、クモって賢いなと改めて思いました。
検索すると著書もいくつかあるので読んでみたいなと思いました。
マヒワ(アトリ科)
生活) 
10月中旬頃にシベリアから群れで日本へ渡ってくると、平地を素通りして、まず亜高山に到着する。
山の実りが失われる前に、ダケカンバやケヤマハンノキ、コメツガなどの実をいただこうとういうつもりだ。
 秋が深まるとともに低い山へ下りてきて、山麓の雑木林をさすらうように飛び回る。
あいかわらずカバノキ類やハンノキ類、針葉樹の種子を求めているが、草地に下りて、マツヨイグサやナギナタコウジュなどの草の穂にとまって種をついばんでいることもある。
食事中はおとなしいが、三々五々飛び立ち始めると声を出す。
そして、蜂の巣をつついたように後から後から出てきて、何だこんなにいたのかと思わされるのが常だ。
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)
 繁殖期には数つがいがつかずはなれず巣をつくり、つがいごとに巣の周辺だけをせまいなわばりにするルーズコロニーをつくる。
食事に行くときはそのなわばりから出て、遠くまで飛んでいく。
大量の種子を食べてそのうという器官にたくわえ、これを吐き戻してヒナに与える。
種子だけで子育てをする菜食主義者だ。
(後略)
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)
ジェネリック医薬品大手「日医工」に業務停止命令 富山県〟(NHK 3月3日)
ジェネリック医薬品関係の不祥事が続きますね!
病院で処方してもらう薬を患者が疑うわけにはいかない。
役所からはジェネリックを使うように通達が来ます。
「健康被害は報告されていない」というけど、治療効果が上がっていなければ薬の増量があるかもしれない。
もう30年以上前かな?
当時、高血圧の治療薬の外装が変わるだけで、成分に変わりはないと処方された薬。
メーカーも同じなのにしばらく薬が合わないという経験をしています。
研究開発費がかからず薬を製造するのはズルいとも思うのは私だけかな?
(『梟雄(きょうゆう)』続き)
 
  ★

 一文銭の油売りは多額の金ができたので、そろそろサムライになってもよいころだと考えた。
 サムライになるにも、なり方がある。
いかに乱世でも出世のツルが諸方にころがっているわけではない。
 諸国を廻游した結論として、手ヅルがなければロクな仕官ができないことを知った。
そして、美濃の国では南陽房の舎兄がよい顔であることを知った。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)
 彼は常在寺に昔の南陽房を訪ねた。
「オレはサムライになりたいと思うが、今の武士に欠けている学問があって、諸国の事情にも通じている。オレのようなのを用心に召抱(めしかか)えて側近に侍(はべ)らせておけば、その主人が一国はおろか何国の大守になっても、諸侯との交渉談判儀礼通商に困るということはない。将軍に出世しても、まだオレの知恵学問が役に立つぞ。貴公はそう思わないか。そう思ったら、貴公の兄上にたのんで、オレを然るべき人の用心に世話をしてもらいたい」
 南陽房は師の僧のヒキや同輩の後援によって法蓮房の上に立ったが、元々彼だけは他の小坊主とちがって法蓮房の実力を知り、傾倒して見習い、また教をうけてもいるのだ。
 いかに傾倒していても鼻面とって引き廻されてる時にはおのずから敵意もわいて、法蓮房の上に立つことが小気味よかった時もあったが、今となれば、もはや敵意なぞはない。
そこで兄にたのんでやった。
 美濃の領主は土岐氏であるが、そのころ斎藤妙椿(みょうちん)という坊主あがりの家来が実権を奪っていた。
土岐氏は名目上の殿様にすぎなかった。
したがって、土岐氏の家来の家老長井長弘も斎藤妙椿の家来の顔をして励まなければならない。
油売りの庄五郎はこの長井長弘のスイセンで妙椿の用心となることになったが、そのとき長弘が庄五郎に語るには、
「貴公は南陽房が兄とたのんだほどの学識ある器量人だから、事理に暗い筈(はず)はない。美濃は古来から土岐氏所領ときまっているが、近代になって臣下の斎藤妙椿が主公を押しのけて我意のままにふるまっている。我々は妙椿を倒して再び昔のように土岐公を主人にむかえたいと思っているが、貴公がこれに賛成してくれるなら、貴公を妙椿の用心にスイセンしようと思う」
「なるほど、私はこの土地の者でありませんから、どなたに味方しなければならないという義理も人情もない筈ですが、仰有(おっしゃ)るように、私が強いて味方を致すとすれば正しい事理に味方いたしましょう。土岐公が古来この地の領主たることは事理の明かなるものですから、その主権を恢復(かいふく)したいと仰有ることには賛成です」
「それは甚だ有りがたい。実は妙椿に二人の子供がおって、これが仲わるく各々派をなして後釜(あとがま)を狙っている。妙椿が死ねばお家騒動が起って血で血を洗い、斎藤の勢力は一時に弱まるに相違ない。その機に乗じて斎藤を亡し主権を恢復する考えであるが、貴公は彼の用心となってその側近に侍り、我々とレンラクしてもらいたい」
 そこで妙椿の用心にスイセンしてくれた。
主人を押しのけて所領を奪うほどの妙椿には、内外の敵と戦う用意が必要で、たのみになる側近が何より欲しいところだ。
 見るからに鋭敏そうな才子。
しかし絵の中からぬけでたような好男子で、いわゆる白皙(はくせき)の容貌。
詩人哲人然たる清潔さが漂っている。
学識は南陽房の兄貴分だという。
妙椿は一目見て惚れこんだ。
そして、たちまち重用するに至ったのである。
  長井は家柄のせいで反妙椿派の頭目と仰がれているが、とうてい妙椿に対抗しうる器量ではなく、彼が陰謀を画策して味方を集めしきりに実行をあせっていることは、味方の者にも次第に危ぶまれるようになりつつあった。
 彼らは長井に一味したことを後悔しはじめていた。
彼のためにやがて彼らも破滅にみちびかれることを怖れるようになっていたのだ。
妙椿の勢力は時とともに堅くなりつつある。
彼らは長井にたよるよりも、今さら長井を重荷に感じはじめていたのである。
その重荷から無事に解放してくれる者は救世主にすら見えるかも知れない内情だった。
 庄五郎は妙椿の信用がもはやゆるぎないことを見たので、いかにも神妙に長いの陰謀を告白した。
「この約束をしなければ仕官ができませんので、一応長井に同意の様子を見せた次第です。日夜告白の機をうかがい、ひとり悩んでおりました」
 妙椿は庄五郎の忠誠をよろこんだ。
「お前長井を討ちとることができるか」
「お易い御用です。心ならずも長井に一味の様子を見せたお詫びまでに、長井の首をとって赤誠(せきせい)のアカシをたてましょう」
 簡単に長井をだまし討ちにした。
そして自ら長井の姓をとり、長井新九郎と改名して、家老の家柄になりきってしまった。
彼が長井氏の正しい宗家たることを認めない一族に対しては、長井宗家の名に於て遠慮なく断罪した。
「長井の血に於て異端を断つ」
 それが罪状の宣告である。
正義とは力なのだ。
 妙椿は長井新九郎のやり方が面白いようにも思ったが、なんとなく大人げないようにも思った。
「長井にこだわりすぎやしないか。お前はお前であった方が、なおよいと思うが」
「お前と仰有いますが、長井新九郎のほかの者はおりません。拙者は長井新九郎」
「なるほど」
  坊主あがりの妙椿は、新九郎が禅機を説いているのだなと思った。
痴人なお汲むナントカの水という禅話がある。
痴人にされては、かなわない。
「拙者は長井新九郎」
 新九郎は腹の底からゆすりあげるように高笑いした。
 法蓮房の屈辱をいま返しているのかも知れなかった。
売僧(まいす)をも無双の名僧智識に仕立てることができたであろう長井の門地はいま彼自身である。
 妙椿は新九郎がたぶん禅機を還俗(げんぞく)させたようなシャレを行なっているのだろうと思っていた。
そして、彼の本心を知ったならば、身の毛のよだつ思いがしたかも知れない。
なぜなら、新九郎は自分の血管を流れはじめた長井の血を本当に見つめていたからである。
彼を支えているものは、その新しい血でもあった。
 妙椿は自分の無能に復讐される時がきた。
新九郎が毒を一服もったのである。
妙椿はわけの分らぬ重病人になった。
そして死んだ。
  妙椿の家族はお家騒動を起しはじめた。
すると新九郎は死せる妙椿の名に於て彼らを誅伐(ちゅうばつ)し、その所領をそっくり受けついでしまったのである。
ついでに、斎藤の家と、その血をも貰った。
彼は再び改名して、斎藤山城守利政となった。
後に剃髪(ていはつ)して、斎藤山城入道道三(ドーサン)と称した。
 新しい血がまた彼の血管を流れている。
道三はそれを本当に見つめているのだ。
古い血はもはやなかった。
道三はそれを確認しなければならないのだ。
 美濃一国はまったく彼のものであった。
全ての権力は彼にあった。
しかし土民たちは美濃古来の守護職たる土岐氏の子孫を尊敬することを忘れなかった。
 道三は腹を立てた。
そして、その子孫たる土岐頼芸(よりよし)を国外へ追放した。
しかし、すでに無能無力だった土岐氏の家名や血を奪う必要はなかった。
その代り、頼芸の愛妾を奪って自分の女房にしたのである。
 道三は新しい血をためすために、最大の権力をふるった。
その血は、彼の領内が掃き清められたお寺の院内のように清潔であることを欲しているようであった。
 院内の清潔をみだす罪人を――罪人や領内の人々の判断によるとそれは甚だしく微罪であったが――両足を各の牛に結ばせ、その二匹の牛に火をかけて各々反対に走らせて罪人を真二ツにさいたり、釜ゆでにして、その釜を罪人の女房や親兄弟に焚かせたりした。
 道三の悪名はみるみる日本中にひろまった。
日本一の悪党という名は彼のものである。
彼ぐらい一世に悪名をもてはやされ、そして誰にも同情されなかった悪党は他の時代にも類がなかったようである。
 しかし、彼は戦争の名人だった。
彼が多くの長槍と多くの鉄砲をたくわえ、特に鉄砲については独特な研究の没入していることは諸国に知れていたが、兵法の秘密はまだ人々には分らなかった。
彼の戦法は狡猾(こうかつ)で、変化があった。
近江(おうみ)の浅井、越前の朝倉、尾張の織田氏らはしばしば彼と戦ったが、勝ったあとでは手ひどくやられる例である、そのやられ方は意外な時に意外の敗北を喫しているだけの正体のハッキリしない大敗北であった。
 彼が罪人を牛裂きにしたり釜ゆでにしたりするのに比べると、それほど積極的に戦争を好んでいるようにも見えなかった。
実際は天下に悪名が高いほど牛裂きや釜ゆでに入れあげていたわけでもなかった。
お寺の中をいくら掃き清めてもつもる埃(ほこ)りは仕方がないように、浜のマサゴはつきないことを知っていた。
敵の数も浜のマサゴと同じようにつきないことを知っていたのだ。
三国や四国の敵を突き伏せてみても、それでアガリというわけではない。
してみれば、戦争も退屈だ。
彼はそう考えていた。
ムリに入れあげるほど面白い遊びではない。
やってくる敵は仕方がないから、せいぜい鉄砲の稽古を怠るわけにいかないような次第であった。
 こうして、彼は次第に老境に近づいていた。
しかし彼が年老いても、彼を怖れる四隣(しりん)の恐怖は去らないばかりか、むしろ強まるばかりであった。
彼の腹の底も知れないし、彼の強さも底が知れなかった。
いつになってもその正体がつかめないのだ。
 彼は大国の大領主ではなかったが、彼が老いて死ぬまでは誰も彼を亡すことができないように見えたのである。
 ところが彼が奪った血が、彼の胎外へ流れでて変な生長をとげていたのだ。
そして意外にも、彼が奪った血によって、天の斧(おの)のように復讐を受けてしまったのである。
(『坂口安吾歴史小説コレクション第1巻 狂人遺書』七北数人編 春陽堂書店 2018年)

続く
今朝の父の一枚です(^_^)v
ムクドリは、〝子育ての頃(5~6月)は、農作物につく虫を大量に捕食することから「豊年鳥」などと呼ばれ益鳥扱いされたこともあった〟そうですが…

 ムクドリはアーバンライフを満喫中
(前略)
 ムクドリのねぐらの多くは竹林、雑木林などにありますが、そういう林は減っています。
そのため都市部に進出してきて、街路樹、公園などの緑地、建物や橋げた、鉄塔、看板などを利用しています。
都市部では、天敵に襲われにくく、冬でも暖かいので、昼間は郊外に食べ物を探しに行っても、夕方には都市部のねぐらに戻ってくるようです。
 都市部に新たな安住の場所を求めたムクドリですが、大量の糞や羽毛を落とすし、ねぐら入りの前の鳴き声が騒がしいしで、人間には嫌われがちです。
そのため、ねぐらをつくらないように、ムクドリがきらうフクロウの模型を置いたり、いやな音を出したりという対策がとられています。
しかし、すぐに慣れてしまうのか効果なし。
さらには鷹匠(たかじょう)を頼み、捕食者のタカで追い払うという方法を導入した地域もありましたが、ムクドリたちは都市部の別の場所にちょっと移動しただけ。
逆風をものともしないムクドリたちと人間の攻防戦は、まだまだ終わりそうにありません。

つぶやき
 果実などの農業被害があるこから、ムクドリは有害鳥獣駆除の対象として、毎年相当な数が駆除されている。
でも、農作物の害虫を食べてくれる益鳥でもあるんだ。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)