2021年2月6日土曜日

今年も見ることができました

日ざしのおかげで温かな朝、途中で一枚脱ぎました。
河津桜がポツ、ポツと咲いていました。
今年も見ることができました。
山桜もみたいなぁ…

土日 日中ぽかぽか春の陽気」(えりの気象日記 2月5日)
0655のおはようソングに「声の主(ぬし)」が登場していました♪
その声の主は、

キジバト ハト目
全長33㎝
デーデー ポッポーと早朝に鳴きます。
口をほとんど開けずに鳴きます。
特徴は、首の縞模様
(しまもよう)と翼のウロコ模様。
街で見かけるドバトと違います。


口をほとんど開けずに鳴くということを知らなかったなぁ!
EUの駐日大使館が ハッシュタグ「DontBeSilent」で男女平等訴えてくれています。

そのことを多くの方が歓迎の呟きをされています。
その中から新日本婦人の会のTwitterに

ああすごい…当会結成時に
「かたく手をとりあって、ひとりの婦人も泣くことのないように、
しっかりした考えとあたたかい友情によって支えあい、
永遠の平和をめざして」と先輩方が誓ったように、各国の駐日大使館が


#dontbesilent

#genderequality

#男女平等

と一緒に声を上げてくれてる。
泣ける…
まるで予知したかのような絶妙のタイミングの番組が昨夜のEテレ
ドキュランドへようこそ「RBG 最強の85才」(前編)

アメリカの司法制度を知るのに最適な教材だと思います。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)さんが、
女性の権利獲得に向って一歩一歩、忍耐強く闘ってきた姿を描いています。
在日大使館のTwitterに対して、男のことはどうなっているのか男女平等だろうと書き込んでいる人がいますが
ギンズバーグさんは、妻を出産時に亡くした男性が仕事をやめて育児に専念しようとしたとき
育児のための保障が女性だけに限られていたことに対して、
男女平等に反するとして裁判で勝訴を勝ち取っています。
ギンズバーグさんは、幼稚園の子どもに話すように粘り強く説得したと話しておられました。
映画を見ることができなかったのでDVDを去年購入していました。

RBG 最強の85才
私が今日ここにいるのは、大勢の男女が努力を重ね、
夢を持ち続けた結果なのです。

女性のために闘うということは男性だけでなく、少数派(性的少数者)の人びとの為でもあるのです。
ETV特集「一所懸命に漕いできた~“歴史探偵”半藤一利の遺言~

末利子(まりこ)さんのお話
実際は温かな布団の中で静かに息を引き取ったとそうです。
とても穏やかに微笑んでいたといいます。
亡くなる前日、半藤さんは
末利子さんと30分、最後の言葉を交わしました。
途切れ途切れの息の中で伝えたこと。
墨子を読みなさい
日本人はそんなに悪くはないんだよ
そして末利子さんに言いました。
ごめんね ごめんね。先に死にます」。
ごめんね」。
番組の後半に

あんまりこんなことしゃべってもしょうがないと思ったんで
私、長いこと話したことも書いたこともなかったんです。
自分の体験はね。
でも、ある時、昭和史の体験なんかを書いていますと
「お前、戦争なんか何も知らないくせによく書くな」という人が随分いましたんでね。
じゃあ、これはいっぺん、俺もきちっと書いとかないと
話したりしとかないといけないなと思って。
4~5年ぐらい前からこの話、しだしたんですけどね。


2年前に初めての絵本を出版しました。
その絵本は、品切れになっているのですが重版してほしいなぁ。
最後のほうだけ転記したいと思いますφ(..)
(『墨子よみがえる』も品切れになっている…)
1945(昭和20)年3月10日未明――
東京の下町上空には334機のB29が飛来し、1670トンの焼い弾を落としました。
それによって10万人以上の人びとが亡くなりました。
(『焼けあとのちかい』半藤一利著、塚本やすし絵、大月書店 2019年)

(「東京大空襲」中学・高校)
(たみ)ちゃんも死にました。
いや、みんな殺されたのです。
人も、家も、学校も、民ちゃんがくれた戦車のおもちゃも、
なにもかもが焼けこげ、溶けてあとかたもなくなりました。
そして、下町の多くの子どもたちが戦争孤児(*)となりました。

戦争がようやく終わるのは、それから5か月先のことです。
いざ戦争になると、人間が人間でなくなります。
たとえまわりに丸こげになった数えきれないほどの
死体がころがっていても、なにも感じなくなってしまいます。
心が動かなくなるのです。
戦争の本当のおそろしさとは、自分が人間でなくなっていることに
気がつかなくなってしまうことです。
あのときわたくしは、焼けあとにポツンと立ちながら、
この世に「絶対」はない、ということを思い知らされました。
絶対に正義は勝つ。
絶対に神風(*)がふく。
絶対に日本は負けない。
絶対にわが家(や)は焼けない。
絶対に焼い弾は消せる。
絶対に自分は人を殺さない。
絶対に……、絶対に……。
それまで、どのくらいまわりに絶対があって、
自分はその絶対を信じてきたことか。
そしてそれがどんなにむなしく、
自分勝手な信念であったかを、
あっけらかんとした焼けあとから教わったのです。
わたしくが死なないですんだのも偶然なら、
生きていることだって偶然にすぎないではないか――。
そのとき以来、わたくしは二度と「絶対」という言葉はつかわない、
そう心にちかって今日まで生きてきました。
しかしいま、あえて「絶対」という言葉をつかって
どうしても伝えたいたったひとつの思いがあります。
*)戦争孤児――戦争で空襲などによって両親を失った幼い子どものこと。

*)神風――神の力によってふく風。
 鎌倉時代に大風(おおかぜ)がふいてい元(当時の中国)の軍船を2度とも追いはらった幸運にあやかって、神風がふいて日本は勝てると、戦争中に宣伝されました。
(『焼けあとのちかい』半藤一利著、塚本やすし絵、大月書店 2019年)
父も河津桜を写していました。
この季節、母は桜の開花を待ち望んでいました。

アソビカメラで写した画像をパソコンに移そうとしたらデーターが壊れていた(T_T)
これで2回目…