2021年2月12日金曜日

暖かいはずだったけど…

天気予報で最高気温が16度とのことでしたが、
朝夕と昼間の寒暖差が大きいとも言っていました。
家を出る時に風が冷たいなと思いました。

12日の大阪府は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るでしょう。」(気象庁)
昨夜のEテレ2355「トビー映画音楽の夕べ」

皆さん、今夜は
この曲でお別れです。
映画「小さな恋のメロディ」より
“メロディ・フェア”。
先ほどの「小さな恋の物語」から
インスパイアされ、
映画音楽も、
“小さな恋”がらみで選んでみました。
懐かしい映画で昔の自分を思い出してみては。

(「小さな恋のメロディ」1971年、音楽:ビージーズ)
日本人の心
ゆさぶるね。


トビーが「日本人の心ゆさぶるね」と言っているのは
この「小さな恋のメロディ」はアメリカやイギリスではヒットせず、日本で大ヒットしたとのこと。
高校時代、独りで見に行ったなぁ…σ(^-^;
昨日のEテレ0655のオープニングでは俳句の季語が紹介されていました。

「春隣(はるとなり)」すぐそこまで春が近づいているという意味の冬の季語です。
ここで一句ご紹介。
叱られて 目をつぶる猫 春隣」久保田万太郎
今夜Eテレで10時から
ドキュランドへようこそ「RBG 最強の85才」(後編)が放送されます。

前編でギンズバーグさんが学生の時にマッカーシー上院議員による「赤狩り」が行なわれた様子が映っていました。
アメリカという国は、民主主義の殿堂のように思ってしまうのですが、
時には、嵐が吹き荒れる時もあります。
ギンズバーグさんの姿に学ぶことが多いです。
 われわれの自己を私はうたう

われわれの自己を私はうたう、ありのまゝの、
ひとりびとりの、人間を、
さらにまた、『民主的』の語を、
『相共に』の語を、私は口にする。

生理学でいう頭のてっぺんから
足の爪先までを、私はうたう、
ミューズの神にとって価値あるは、ひとり人相学だけではないのだ、
ひとり頭脳だけではないのだ、完全な『形体』こそさらにはるかに
価値あるものであると私はいう。
『男性』とひとしく『女性』をも、私はうたう。

情熱、脈動、力にあらわれる途方もない『生命』を、
快活な、神聖な法則によって形を与えられる
もっとも自由な行為のための
『現代人』をこそ、
私はうたうのだ。
(『ホイットマン詩集』浅野晃訳 金園社 昭和42年)
  ひとに固有の自我をわたしは歌う
  ( One's-Self I Sing )

ひとに固有の自我をわたしは歌う、単純独立の一個の人間を、
でも《民主的(デモクラティック)》の語を、《大衆(アン・マス)》の語を口にする。

生理学について、頭の天辺から足の爪先まで、わたしは歌う、
人相学だけが、頭脳だけが、《詩神(ミューズ)》にとって価値あるのではない、
わたしは言うのだ、完全な《形態》ははるかにもっと価値があると、
《男性》どうよう《女性》をば、わたしは歌う。

情熱、脈動、活力において測りしれない《生命》をもち、
陽気で、神聖な法則のもと自由きわまる行為をなすようにと造られた、
《近代人》を、わたしは歌う。
(『対訳 ホイットマン詩集 アメリカ詩人選(2)』木島始編 岩波文庫 1997年)
ホイットマンの詩「 One's-Self I Sing 」の訳です。
訳者によって表現が違って面白いなと思います。
浅野晃氏の訳は、中学生の時に父から誕生日のお祝いにもらった本です。

前の記事で『維摩経』の「天女」について転記しましたが、
女性への差別について民俗学の立場から宮本常一の「女性と信仰」を紹介したいと思います。
これは昭和12(1937)年に発表されたものです。
 Ⅰ信仰と伝承
  女性と信仰 
(「近畿民俗」昭和12年5月)
    1
 
 今日のごとく文化の進展を 見てもなお多くの類似宗教の発生するゆえんは我々民俗学を研究するものの考えてみてよいところではないかと思う。
いった今日にあって小児に神を拝むことを教え、眼に見えざる畏怖を教えるのは、一家にあって母なり祖母なりでることが通常のようである。
女性の位置が今日のごとくまで零落してもなお信仰にはいる途を後来のものに教えることだけは忘れてはいなかったのである。
古く神の祭祀はほとんど女性の手にあった。
由来原始宗教ははなはだ呪術的であって、女性が性格的にこれに適していたために祭祀にあずかったのであろうが、もう一つは食物の管理が早く女性の手にあったことも原因とは考えられないかと思う。
ここは女性の信仰をやや文化史的に見ていきたい。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)
  2

 そこで神々の性質についてまず考えてみると、およそ3通りになる。
すなわち家々に居つく神と、時をきめて来訪する神と、未だ神に至らざる霊である。
それらの神の所在を知り得るものがこれを祭る資格を持ったのである。
そういう性質の女はすなわち神がかりする女であった。
されば神がかりすることは女として名誉とされたようである。
現にアイヌなどではそれがいわれ、また巫女になるためにはその儀式が行われたのである。
例を喜界島における「ユタ乗出し」について見る。
ユタというのは巫女のことで、ユタ乗出しはユタになることである。
最初はたいていブラブラ病になり、これが乗出しときまるのは当人の自覚にもよるが、先輩にも教えられてのことである。
そうするとミズの日(ミズノトトリの日)えらんで汐花(シユバナ)、水花(ミズバナ)でショーミ(沐浴)して家の表の座敷の床の前に畳を二枚重ねて敷き、その上に坐って朝夕二度「乗出しの唱」というものを唱え、さらに次のミズの日、その次のミズの日と三度これをつづけて、かくて神ユワイという盛大な祝いをして初めてユタになった。
それから後も三年目毎のミズの日に汐花水花をしたという。
このユタの仕事はユキアイの神すなわち霊を祭るものであったようである。
すなわち重病人のあった時や、さしさわりのあった時、命ガワリといって病人の身代わりに四足を殺させて祈禱した。
つまり悪霊不浄を祓うのが本務であった。
これを内地でいえばイタコとかミコとかよばれる仲間である。
 南島では前述三種の神とこれを祀る仲間が割合にはっきりしているようである。
まず家の神について見る。
ここに比嘉(ひが)家の家の神について申しあげよう(比嘉春潮<ひがしゅんちょう>氏講義から)。
  家ができるとまずヒヌカン(火の神)ができる。
(かまど)のところにあってオミツモノといい石を三つおいてある。
屋敷の要所要所にはそれぞれの神があり、家の移転する時、神はそこへ永久に残るのである。
次に人が死ぬとセンゾの神になる。
代を経て古くなると家の神ができる。
家がつづいて七世になると人家神を生ずるといわれ、その神は三年五年七年十三年と三十三年までお祝いをうけてなくなり、さらに生まれかわって来るのである。
比嘉氏はもともと呉我家から分かれたもので、比嘉氏からはそらに祝嶺、森永、宮城の三家が分かれている。
而して呉我にも神があり、比嘉氏にもある。
呉我氏を大元といい比嘉氏を中元という。
神のない一族をエダチといっている。
面白いことは、比嘉氏は呉我氏の神を拝みにいき、祝嶺氏以下は比嘉氏の神を拝みにいく。
この神の祀りするものがコデ(オコデ)で、オオナリコデとエケリコデと二人いる。
ともに女性がなるのであるが、それには一族のなかの女がなる。
多くははずかしがり屋で客のところもよう出ぬというような女で、病気をすると夢のおつげがあるとかして、コデになるのである。
コデになったものは祭りの日は必ずやって来て祭祀万端をする。
 またオコデは七年に一族の女たちをつれて今帰仁(なきじん)ノボリということをする。
男もついていくが警固の役にすぎぬ。
一同は今帰仁の城(グスク)の井戸とオガン(拝所<ウガン>)を拝んでかえる。
 またアガリマワリ(東廻り)ということをする。
チネンタマグスク(知念玉城)へ三年か五年にまいるのである。
 時をきめて来訪する神は村を守る神である。
琉球ではこれを祀るものをノロという。
やはり女である。
  来訪する神々のおいでになるところをニライカナイといい、そこの主宰神をアガルイノ大神(オオヌシ)という。
十島村(としまむら)ではニライカナイをナルコテルコトといっている。
ともに遠い海の彼方にあるものと考えていたのである。
而して海を越えて来る神をマヤノ神、イチキ神といっている。
琉球のずっと南、先島の方でもマヤ、イチキという言葉はある。
やはりこの渡り神をアマミ神といっている。
アマミ大島のアマミもこれから来たものであろうが、アマミのアマは海の義であろう。
  もう一つは天から下りて来られる。
そのアモリつくところがオタケ(御嶽<ウタキ>)である。
男のいくことを禁じている。
オタケのあるところをモリといっている。
モリは降臨する地の意であったことはすでに先輩の説かれたところで、墓地をモリという地のあるのもこの信仰の残存からであろう。
オタケには多くは神アシャゲ(ギ)がある。
これは神殿である。
ここで神を迎えるのである。
この祭祀をするのがノロで、その席にはオコデも侍(はべ)るのである。
アシャゲに対してただ拝むところがあり、これをオガン(拝所<ウガン>)といっている。
 ノロの重いものがシラレで、その上に聞得大君がいる。
キコエオオギミは王家の寡婦がなったもので、我が国の斎宮斎院(さいぐうさいいん)にあたるものである。
 ノロの下には神人(カミンチュ)というものがあって村の女からえらばれて神事にあずかる。
男は実に世話役にすぎぬが通常である。
いわば神主と頭屋(とうや)の関係である。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)

続く
今朝の父の一枚です(^_^)v
ヒドリガモが池でなく地上で食事中です。
何を食べているのかなと父の疑問。
草や種を食べているのかな?