2021年2月23日火曜日

天皇誕生日

天気予報では、冬の寒さが戻るということで覚悟して歩きましたp(^^)q
途中、青空が見えてくると一枚脱ぎたくなったけど、すぐに雲が空を覆ったので寒さを感じました。

春本番の暖かさから一転 23日から寒さ戻る」(えりの気象日記 2月22日)
上皇さまが天皇陛下だった時の記述ですが

 天皇誕生日
 国民の祝日の一つで、12月23日。
「天皇の誕生を祝う」日として、「国民の祝日に関する法律」によって定められた。
今上天皇の誕生日が昭和8年(1933)年12月23日であるため、現在の天皇誕生日はこの日であるが昭和初期は4月29日、大正期は8月31日、明治期は11月3日であった。
このように、天皇の誕生を祝う日は、その時代の天皇の誕生日によって異なっていた。
ただし、現行の法律以前には「天皇誕生日」とは呼ばずに「天長節」として祝っていた。
なお大正期には、8月31日が暑中であるため、別に10月31日に天長節祝日が設けられていた。(田中)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
天皇陛下お誕生日に際し(令和3年)」(宮内庁)

会見でのお言葉読むと、広い視野で見ておられるなと思います。

ドイツ大使館のTwitterに

本日は #天皇誕生日 です。
天皇陛下のお誕生日をお祝い申し上げます。

天皇陛下とメルケル首相のお写真
本島南部の採石場 県議らが視察」(沖縄NHK 2月22日)

戦争の犠牲になった沖縄住民や日本兵の遺骨が含まれている土砂を基地建設に使用ようとしています。

辺野古埋め立て土砂を南部で採取は「政府の暴挙」 ……〟(琉球新報 2月16日)
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん
戦没者の血を吸い込んだ土砂を埋め立てに使うのは人道上、間違っている。
遺骨を助けてほしいと呼び掛けるつもりだ

昨日、「送り犬」を紹介しましたが、
今日は、「山童」について『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』と
全国妖怪事典』より紹介したいと思います。
続いて、『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』の「まえがき」を転記しますφ(..)
山童〔やまわろ〕
 各地の山間部でいう妖怪。
山中に棲む小童(こわらわ)でヤマワラワ、ヤマワランベともいう。
特に九州にその分布が顕著で、河童が山に入ったのが山童だといわれている。
 熊本県では、ガラッパが秋の彼岸に山に入ると山童になり、春の彼岸に再び川に入ってガラッパになるという。
 また、宮崎県西米良の山童であるセコは、一日サイクルで山と川を行き来するという。
すなわち、夕方になると川から山に入り、明け方に山から川に帰ってくるののである。
(『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』画:水木しげる、編著:村上健司 角川文庫 2015年)
 山童は山の尾根伝いに山と川を行き来するといわれ、彼岸前後の雨の晩には、移動する山童のヒューヒューという鳴き声を聞くことがあるという。
 また、山童の通り道に小屋などを建てると、さまざまな怪異を起こし、ひどい場合には祟りをおよぼすといわれている。
 熊本県葦北(あしきた)郡では山童のことを山の若い衆とよび、山仕事が一日で終わりそうもないとき、老人たちは「山の若い衆にでも頼むか」などというそうである。
 山童と一緒に木を運ぶときは、木を下すときに「1、2、3」の3まで数えていると遅いので、2の掛け声と同時に下ろさなければならない。
山童が早めに支えている肩を外してしまうからだという。
  作業の礼には握り飯でも魚でもいいのだが、最初に約束したものと同じでないといけないという決まりがある。
例えば、魚を一荷(いっか)やるからと約束したら、どんなに小さな魚でも2匹を別々にくくって一荷にしないと、山童は怒ってしまうという。
 また、山童に仕事を頼むときには、最初に食べ物を与えると食い逃げされるので、仕事が終わってからやるのがコツだそうである。
 この他にも、山童は歌を上手に歌うとか、牛馬に悪戯(いたずら)をする、相撲を取る、人の弁当を盗む、家に忍び込んで勝手に風呂を使うなど、さまざまな話が語られている。
 よび名も多く、ヤマガロ、ヤマオロ、ヤマンタロウ、ワロドン、オジドン、ヤマセコ、カリコボなどと、九州の山童の語彙(ごい)だけでも枚挙に遑(いとま)がないほどである。
『和漢三才図会』には山操という妖怪が見えるが、こちらは中国の妖怪もしくは人間のことをいっており、日本の山童とは別のものと考えられる。
 九州以外の山童については、クサビラ、セコ、カシャンボ、木の子などを参照のこと。
(『改訂・携帯版 日本妖怪大事典』画:水木しげる、編著:村上健司 角川文庫 2015年)
ヤマワロ(熊本県)
 山の怪。水の怪。
ヤマワロは春の彼岸に山から川に入ってガラッパになり、秋の彼岸にまた川から山に帰ってヤマワロになるという。
葦北(あしきた)郡佐敷(さしき)町(芦北町)では彼岸の頃になると、何千匹というヤマワロが列をつくって賑やかに屋根伝いに山から下りてくる声がするという。
この日、ヤマワロを見に行くと、必ず病気になったり悪いことがあったりするという。
昔は彼岸にお籠(こ)もりして外出しなかった。
ヤマワロの通路は決まっていて、これをオサキといった。
オサキに炭竈(すみかまど)や家をつくることは禁物で、家を建てたら家に穴があくといった(『民間伝承』14-8)。
(『全国妖怪事典』千葉幹夫編 講談社学術文庫 2014年)
ヤマワロ(鹿児島県)
 山の怪。山童。山の守(かみ)というような深山にいる。
大木を運ぶ時、手伝ってもらうが、人の先に立つのを嫌う。
飯を与えて使うと日々手伝いにきて、木こりは大いに助かる。
使うときは仕事をさせてから飯を与える。
先に飯をやると食べ終わって逃げてしまう。
塩気のあるものを嫌う。
ヤマワロを撃ち、または殺そうと思うと、不思議にこれを察して祟(たた)りをなす。
正気を失ったり大病したり家が出火したりするというので、誰も手出しをしようとはしない(著者不詳『梅翁随筆』一)。
(『全国妖怪事典』千葉幹夫編 講談社学術文庫 2014年)
  まえがき

   この世をば我が世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば
  (この世は私のためにあるようなものです。満月のように完璧であり、足りないものは何もありません)

 自信にあふれたこの一首は、時の権力者、藤原道長(ふじわらみちなが<966~1027>)によるものである。
孫の後一条(ごいちじょう)天皇に三女威子(いし)を入内(じゅだい)させ、まもなくして威子は女御(にょうご)から中宮(ちゅうぐう)へと昇った。
その儀式ののちに行なわれた宴会の席で、この一首を詠じたのである。
このとき、長女の彰子(しょうし)は太公太后(たいこうたいごう)、次女の姸子(けんし)は皇太后であった。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)
 ただし、これほどまでに栄華を極めた道長は、周囲の貴族から怨(うら)みや嫉(ねた)みも大いに買っている自覚があった。
その上、病気がちで精神的に脆弱(ぜいじゃく)であったこともあり、非常にモノノケを恐れていたのである。
 古代におけるモノノケは、漢字では物気(もののけ)と表記し、多くの場合、正体が定かではない死霊(しりょう)の気配、もしくは死霊を指した。
モノノケは、生前に怨念をいだいた人間に近寄り病気にさせ、時には死をもたらすと考えられていたのである。
 道長がモノノケによってしばしば錯乱状態に陥ったことは、同時代の貴族の日記から知ることができる。
しかし、道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』にはほとんど記されていない。
人一倍モノノケを恐れていたために書きとどめることも憚(はばか)ったのだと考えられる。
 生命を脅(おびや)かす恐ろしい存在にはなんらかの対処をせねばならない。
古代には、僧が祈禱(きとう)により調伏(ちょうぶく)することが一般的だった。
道長は、モノノケの調伏を僧に委ねるだけではなく、自らも自分の手足をバシバシと打って周囲のモノノケを制そうとしたり、娘が危篤に陥ったときに自ら率先して調伏したりすることもあった。
  モノノケは、道長以外の貴族にとっても恐ろしい存在であった。
彼らは、モノノケに右往左往しながら生きていたのである。
ちなみに、庶民とモノノケの関わりについては、史料的な制約があり、不明な点が多い。
 現在、モノノケというと、映画、アニメ、漫画などの影響で、神の類や妖怪を思い浮かべることが多いのではないだろうか。
ところが、現代のいわゆる「もののけ」は、古代の貴族が恐れていたモノノケとは、全く別物である。
 では、そもそもモノノケは、どのような経過をたどって、現代に伝わったのだろうか。
これまで、古代、中でも『源氏物語』のモノノケばかりが論じられてきており、その他の時代については見過ごされてきた。
また、モノノケの歴史を扱っているかのように見える書籍も、言葉を厳密に区別せず、「物気」あるいは「物の怪(もののけ)」とは書かれていない霊、妖怪、幽霊、怨霊(おんりょう)、化物(ばけもの)の類まで含めてモノノケとして捉えて論じてきた傾向がある。
しかし、それでは、モノノケの本質を明らかにすることができないだろう。
(『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子 中公新書 2020年)

続く
今朝の父の一枚です(^_^)v
メジロが舌をのばしている!

メジロ〔目白〕
 スズメ目メジロ科。
全長11.5センチ、体重11グラム位。
体の上面は緑色をした、小鳥らしい動作の鳥。
目の周囲が白い輪になっているので目白の名がある。
アジア大陸東部の中国、フィリッピン、台湾、朝鮮半島、日本などに分布している。
日本では北海道から沖縄諸島、小笠原諸島までの全国で繁殖している。
標高1000メートル位から下の、落葉広葉樹林やアカマツ林、常緑広葉樹林などにすむが、メジロ類はもともと熱帯、亜熱帯地方に主にすんでいる種なので、本種も日本でも南の地方に多く、常緑広葉樹林(照葉樹林)を主要な生息地にしている。
昆虫類をはじめとする虫類やその卵などを主食にしているが、果実や花蜜を好む。
ウメ、サクラ、ツバキなどの花にやってきて、蜜を吸う情景は、公園や庭などでもよく見ることができる。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)