2021年2月19日金曜日

曇り空だけど

今朝は曇り空でしたが、風がほとんど吹かなかったのでホッとしました。

19日の日中 天気回復 寒さも緩む」(えりの気象日記 2月18日)
 濱田麻矢さんのTwitterに

留学生が書いた修論に「賢妻良母」という言葉が頻出していたので
「日本語では”良妻賢母”なんですけどねぇ」と指摘したら、
韓国人の先生は「韓国では”賢母良妻”とと言いますけどね」との由。

日 良妻賢母
中 賢妻良母
韓 賢母良妻

面白いなぁ
もりまゆみさんのTwitterに

「国民のために」と言う菅は「息子のために」。
「県民のために」働く知事を持った島根県民がうらやましい。


今の自民党の長老?はものを言えば、言うほど本音が出てくる。

#頑張れ島根県知事
発病前に訪ねていた奈良。
仏さまにお会いすることを楽しみにしていました。
その中でもコロナ禍が落ち着けばお目にかかりたいのが中宮寺の観音さま。
和辻哲郎の『古寺巡礼』を今回は、岩波文庫版を転記しますφ(..)
「初版」は、ぼやきがあるので(^_-)-☆
  二十四
 夢殿―夢殿秘仏―フェノロサの見方―伝法堂―中宮寺―中宮寺観音―日本的特質―中宮寺以後

(前略)
 そこを出て中宮寺へ行く。
寺というより庵室と言った方が似つかわしいような小ぢんまりとした建物で、また尼寺らしい優しい心持ちもどことなく感ぜられる。
ちょうどう本堂(と言っても離れ座敷のような感じのものであるが)の修繕中で、観音さまは厨子から出して庫裏(くり)の奥座敷に移坐させてあった。
わたくしたちは次の室に、お客さまらしく座ぶとんの上にすわって、へだての襖(ふすま)をあけてもらった。
いかにも「お目にかかる」という心地であった。
(『古寺巡礼』和辻哲郎 岩波文庫 1979年)
 なつかしいわが聖女は、六畳間の中央に腰掛けを置いて静かにそこに腰かけている。
うしろには床の間があり、前には小さな経机、花台、綿のふくれた座ぶとんが並べてある。
右手の障子で和らげられた光線を軽く半面にうけながら、彼女は神々しいほどに優しい「たましいのほほえみ」を浮かべていた。
それはもう「彫刻」でも「推古仏」でもなかった。
ただわれわれの心からな跪拝(きはい)に価する――そうしてまたその跪拝に生き生きと答えてくれる―― 一つの生きた、貴い、力強い、慈愛そのものの姿であった。
われわれはしみじみとした個人的な楽しみを感じながら、透明な愛着のこころでその顔を見まもった。
 どうぞうおそば近くへ、と婉曲に尼君は、「古美術研究者」の「研究」を許した。
われわれはそれを機会に奥の六畳へはいって、「おそば近く」いざり寄ったが、しかしその心持ちは、尼君が親切に推測してくれたような研究のこころもちではなく、全く文字通りに「おそば」に近づくよろこびであった。
 あの肌の黒いつやは実に不思議である。
この像が木でありながら銅と同じように強い感じを持っているのはあのつやのせいだと思われる。
またこのつやが、微妙な肉づけ、微細な面の凹凸を実に鋭敏に生かしている。
そのために顔の表情なども細やかに柔らかに現れてくる。
あのうっとりと閉じた眼に、しみじみと優しい愛の涙が、実際に光っているように見え、あのかすかにほほえんだ唇のあたりに、この瞬間にひらめいて出た愛の表情が実際に動いて感ぜられるのは、確かにあのつやのおかげであろう。
あの頬の優しい美しさも、その頬に指先をつけた手のふるいつきたいような形のよさも、腕から肩の清らかな柔らかみも、あのつやを除いては考えられない。
だから光線を固定させ、あるいは殺し、あるいは誇大する写真には、この像の面影は伝えられないのである。
 しかしつやがそれほど霊活な作用をなし得るのは、この像の肉づけが実際微妙になされているからである。
その点でこの像は百済観音とはまるで違っている。
むしろ白鳳時代のもののように、精妙な写実を行なっているのである。
顔や腕や膝などの肉づけにもその感じは深いが、特に体と台座との連関において著しい。
体の重味をうけた台座の感じ、それを被うている衣文の感じなど、実に精妙をきわめている。
 わたくしたちはただうっとりとしてながめた。
心の奥でしめやかに静かにとめどもなく涙が流れるというような気持であった。
ここには慈悲と悲哀との杯がなみなみと充たされている。
まことに至純な美しさで、また美しいとのみでは言いつくせない神聖な美しさである。
  この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。
しかしこれは聖母ではない。
母であるとともに処女であるマリアの像の美しさには、母の慈愛と処女の清らかさとの結晶によって「女」を浄化し透明にした趣があるが、しかしゴシック彫刻におけるように特に母の姿となっている場合もあれば、また文芸復興期の絵画におけるごとく女としての美しさを強調した場合もある。
それに従って聖母像は救い主の母たる威厳を現わすこともあれば、また浄化されたヴィナスの美を現わすこともある。
しかしこの聖女は、およそ人間の、あるいは神の、「母」ではない。
そのういういしさはあくまでも「処女」のものである。
がまたその複雑な表情は、人間を知らない「処女」のものとも思えない。
と言って「女」ではなおさらない。
ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない。
しかもなおそこに女らしさがある。
女らしい形でなければ現わせない優しさがある。
では何であるか。
――慈悲の権化である。
人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを人体の形に結晶せしめたものである。
 わたくしの乏しい見聞によると、およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術の内に比類のない独特のものではないかと思われる。
これより力強いもの、威厳のあるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現わすもの、情熱を現わすもの、――それは世界にまれではあるまい。
しかしこの純粋な愛と悲しみとの象徴は、その曇りのない純一性のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、恐らく唯一のものといってよいのではなかろうか。
その甘美な、牧歌的な、哀愁の沁みとおった心持ちが、もし当時の日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である。
古くは『古事記』の歌から新しくは情死の浄瑠璃に至るまで、物の哀れとしめやかな愛情とを核心とする日本人の芸術は、すでにここにその最もすぐれた最も明らかな代表者を持っているといえよう。
浮世絵の人を陶酔させる柔らかさを、日本音曲の心をとろかす悲哀、そこに一味のデカダンの気分があるにしても、その根強い中心の動向は、あの観音に現わされた願望にほかならぬであろう。
法然・親鸞の宗教も、淫靡(いんび)と言われる平安朝の小説も、あの願望と、それから流れ出るやさしい心情とを基調としないものはない。
しかしここにわれわれが反省すべきことは、この特質がどれほど大きくのびて行ったかという点である。
時々ひらめいて出た偉大なものがあったとしても、それが一つの大きい潮流となることはなかったのではないか。
従ってわれわれの文化には開展の代わりに変化が、いわば開展のない Variation が、あったに過ぎないのではないか。
深化の努力の欠乏は目前の日本人にも著しい。
それはまた歴史的な事実であるともいえよう。
そこにあの特質が必然に伴っている弱点も認められるのである。
 この像を日本的特質の証左と見るためには、朝鮮人の気質も明らかにされなくてはならない。
この考察のためにはちょうど都合のよい二つの傑作が京城の博物館にある。
一つは京都太秦(うずまさ)の広隆寺の、胴体の細い弥勒像に似たものであり、もう一つはこの如意輪観音(にょいりんかんのん)に似たものである。
いずれも朝鮮現存の遺品のうちの最も優れたものである。
われわれはここに様式上の近似を認めざるを得ない。
しかし芸術品としての感じには、はっきりとした区別があると思う。
そうしてこの感じは天平時代にも生かされているのである。
唐の芸術の影響はすでにこの像にも認められると思うが、さらにわたくしはあの特質の深化、偉大化の最大の例を天平芸術に認めたいのである。
法隆寺壁画にもすでに日本化を認めた。
あれは西域式の画を中宮寺観音の気分によって変化したものといえよう。
この種の変化の証跡が天平盛期の芸術にはもっと著しいとはいえないであろうか。
建築では三月堂や唐招提寺に確かにあの気分のヴェエルがかかっていると思うが、これは比較すべき唐の遺物がないのであるから断言できない。
彫刻では聖林寺の十一面も三月堂の梵天も、天平特有の雄大な感じのうちに、唐の遺物に見られないこまやかさと柔らかさとを持っている。
あの特質が形を変えて内から働き出し、唐の様式の上に別種の趣を加えたのではないだろうか。
 あの悲しく貴い半跏の観音像は、かく見れば、われわれ文化の出発点である。
『古事記』の歌もこの像よりさほど古くはない。
現在の形に書きつけられたのは百年近く後である。
上宮太子(じょうぐうたいし)の文化が凝ってこの像となったとすれば、上宮太子はまた我が国最初の偉人でなくてはならない。
その太子の情生活が、ほとんど情死にも近い美しい死によって、――夫人は王と共に死んだのである、王の死は自然に夫人の死を伴ったのであった、――その死によって推察せれるならば、そこにはたましいの融合を信じまた実現したしめやかな愛の生活がある。
そうしてそれは、やがて結論として中宮寺観音をつくり出すような生活なのであった。
上宮太子の作と称せられる憲法が極度に人道的であるのもまた偶然ではない。
 がこれらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、我が国のやさしい自然であろう。
愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく底知れぬ神秘を持ったわが島国の自然は、人体の姿に現わせばあの観音となるほかはない。
自然に酔う甘美なこころもちは日本文化を貫通して流れる著しい特徴であるが、その根はあの観音と共通に、この国土の自然自身から出ているのである。
葉末の露の美しさをも鋭く感受する繊細な自然な愛や、一笠一杖に身を託して自然に融け入ってしめやかな自然との抱擁や、その分化した官能の陶酔、飄逸(ひょういつ)なこころの法悦は、一見この観音とははなはだしく異なるように思える。
しかしその異なるのはただ注意の向かう方向の相違である。
捕らえられる対象こそ差別があれ、捕らえにかかる心情はきわめて近く相似るものがある。
母であるこの大地の特殊な美しさは、その胎より出た子孫に同じき美しさを賦与した。
わが国の文化の考察は結局わが国の自然の考察に帰って行かなくてはならぬ。
 わたくしはかつてこの寺で、いかにもこの観音の侍者にふさわしい感じの尼僧を見たことがあった。
それは十八求の色の白い、感じのこまやかな、物腰の柔らかい人であった。
わたくしのつれていた子供が物珍しそうに熱心に厨子のなかをのぞき込んでいたので、それをさもかわいいらしくほほえみながらながめていたが、やがてきれいな声で、お嬢ちゃま観音さまはほんとうにまっ黒々でいらっしゃいますねぇ、と言った。
わたくしたちもほほえみを交わした。
こんなに感じのいい尼さんを見たことがないと思った。
――この日もあの尼僧に逢えるかと思っていたが、とうとう帰るまでその姿を見なかったので何となく物足りない気がした。
 中宮寺を出てから法輪寺(ほうりんじ)へまわった。
途中ののどかな農村の様子や、蓴菜(じゅんさい)の花の咲いた池や、小山の多いやさしい景色など、非常によかった。
法輪寺の古塔、眼の大きい仏像なども美しかった。
荒廃した境内の風情(ふぜい)もおもしろかった。
鐘楼には納屋がわりに藁(わら)が積んであり、本堂のうしろの木陰にはむしろを敷いて機(はた)が出してあった。
(『古寺巡礼』和辻哲郎 岩波文庫 1979年)

国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)」(聖徳宗 中宮寺)
 今朝の父の一枚です(^_^)v
ちょこんと両足を揃えているのは…

ヤマガラ〔山雀〕
 スズメ目シジュウカラ科。
全長14センチ、体重17グラム位。
南千島以南の日本と朝鮮半島南部、台湾などに分布している、世界的に分布の狭い鳥。
日本では小笠原諸島、硫黄列島には分布しないが、それ以外の全国で見られる。
広葉樹林、特に常緑広葉樹林に好んで生息する。
そのために高い山にはすまず、低山地や平野の林にすむ。
渡りはせず、1年中同じ地域で見られる。
黒色、栗褐色、灰色、淡褐色の部分のある、体のわりに頭でっかちな鳥。
餌は虫類のほか木の実をよく食べる。
秋から冬にかけては木の実を隠して保存しておき、冬に利用している。
両足でおさえこんで木の実を割る動作は愛くるしい。
この動作の愛くるしさを見込まれ、おみくじ引きの芸をさせられるものもいる。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)