2021年2月3日水曜日

立春

立春なんだけど
♪春は名のみの風の寒さや♪
公園では、ここ数日の寒さで河津桜が咲きそうで咲かない(*´▽`*)

早春賦/佐藤しのぶ(追悼upload)」(YouTube)
昨日、楽しみにしていた「サラメシ」が延期になった。
延期になる価値がある内容なら納得できるけど

安田菜津紀さんのTwitterに

菅首相会見、「一人一問ずつ質問」「質問が終わったら自席に戻る」「自席からの追加質問はなし」のアナウンスは今日も変わらず。
つまり、答える側がいくらでもはぐらかしたまま逃げきれてしまう。


このような会見しかできない首相が、中国やロシア相手に外交交渉ができるとは思えません。
アメリカの記者会見と雲泥の差だ!
立春
 春立つ・春来る・春さる・春になる・春かえる・立春大吉

 二十四気の一つ。節分の翌日で、2月4日ごろに当る。
この日から春になるので、暦の上でようやく春になった、という気持の安堵を感ずる。
まだ寒さはきびしいが、さすがに日脚は伸び、木々は芽ぶいてきている。
春立つとも言う。
「春来る」「春さる」「春になる」などの語は、かならずしも立春の日とはかぎらない。
「春さる」「春されば」は、春が来るという古語である。
「今朝の春」「今日の春」などの言い方は、今では立春よりも、新年に用いるがよい。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
  新暦では元旦と立春とは一月以上も違うが、旧暦では元旦に前後して立春があった。
12月中に立春が来ることを、年内立春と言った。
『古今集』巻一、春歌上冒頭に、「ふる年に春立ちける日よめる。 年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ」(在原元方)の歌がある。
和歌では「年内立春」は春だが、誹諧では冬とされた。
(後略)
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
  寒梅やつぼみふれあふ仄明り

 昭和14年作。早朝か薄暮の頃か。
冷たい張りつめたような空気の中、仄明りに見える梅は絶品である。
梅は古い枝から突っ立ったように新しい枝が延びて、その枝に幾つものつぼみをつける。
「ふれあふ」と表現したのは言い得ている。
(『石橋秀野の100句を読む』山本安見子著 飯塚書店 2010年)
  14年という年は、夫の健吉が仲間と文藝評論専門の同人誌「批評」を創刊した年に当たる。
健吉は世間的にはまだ名を成していなかったものの、文藝評論家としての歩を確実に踏み出したのである。
 この「批評」に健吉は「作家の肖像」を4年間にわたって連載、後に『私小説作家論』として結実した。
また、改造社の雑誌「俳句研究」の編集者として石田波郷、中村草田男、篠原梵による〝新しい俳句の課題〟と題する座談会の司会をして、この作句傾向の人達を「人間探究派」と称し、その後もこの名称で通るようになった。
(後略)
(『石橋秀野の100句を読む』山本安見子著 飯塚書店 2010年)
伝道の書
 第 10 章


一  死んだはえは、香料(こうりょう)を造る者の
   あぶらを臭(くさ)くし、
   少しのは愚痴は知恵と誉(ほまれ)よりも重い。
二  智者の心は彼を右に向けさせ、
   愚者の心は左に向けさせる。
三  愚者は道を行く時、思慮(しりょ)が足りない。
   自分の愚かなことをすべての人に告げる。
四  つかさたる者があなたに向って立腹しても、
   あなたの所を離れてはならない。
   温順(おんじゅん)は大いなるとがを和(やわ)らげるからである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
 五  わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。それはつかさたる者から出るあやまちに似ている。
六 すなわち愚かなる者が高い地位に置かれ、富める者が卑(いや)しい所に座している。
七 わたしはしもべたる者が馬に乗り、君たる者が奴隷のように徒歩であるくのを見た。
八  穴を掘る者はみずからこれに陥(おちい)り、
   石がきをこわす者は、へびにかまれる。
九  石を切り出す者はそれがために傷をうけ、
   木を割(わ)る者はそれがために危険にさらされる。
十  鉄が鈍(にぶ)くなったとき、人がその刃(は)をみがかなければ、 
   力を多くこれに用(もち)いねばならない。
   しかし、知恵は人を助けてなし遂(と)げさせる。
一一 へびがもし呪文(じゅもん)をかけられる前に、かみつけば、
   へび使(つかい)は益がない。
一二  知者の口の言葉は恵(めぐ)みがある、
    しかし愚者のくちびるはその身を滅ぼす。
一三  愚者の口の言葉の初めは愚痴である、
    またその言葉の終りは悪い狂気である。
一四  愚者は言葉を多くする、
    しかし人はだれも後(のち)に起ることを知らない。
    だれがその身の後に起る事を
    告げることができようか。
一五  愚者の労苦はその身を疲れさせる、
    彼は町にはいる道をさえ知らない。
一六  あなたの王はわらべであって、
    その君(きみ)たちが朝から、ごちそうを食べる国よ、
    あなたはわざわいだ。
一七  あなたの王は自主の子であって、
    その君たちが酔うためでなく、力を得るために、
    適当な時にごちそうを食べる国よ、
    あなたはさいわいだ。
一八  怠惰(たいだ)によって屋根は落ち、
    無精(ぶしょう)によって家は漏(も)る。
一九  食事は笑いのためになされ、
    酒は命(いのち)を楽しませる。
    金銭(きんせん)はすべての事に応(おう)じる。
二〇  あなたの心のうちでも王をのろってはならない、
    また寝室でも富める者をのろってはならない。
    空の鳥はあなたの声を伝え、
    翼(つばさ)あるものは事を告げるからである。
 第 一一 章

一   あなたのパンを水の上に投げよ、
    多くの日の後(のち)、あなたはそれを得るからである。
二   あなたは一つの分を七つまた八つに分(わ)けよ、
    あなたは、どんな災(わざわい)が地に起るかを知らないからだ。
三   雲がもし雨で満(み)ちるならば、地はそれを注(そそ)ぐ、
    また木がもし南か北に倒れるならば、
    その木は倒れた所に横たわる。
四   風を警戒する者は種(たね)をまかない、
    雲を観測する者は刈ることをしない。
五  あなたは、身ごもった女の胎(たい)の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神をわざを知らない。
六  朝のうちに種(たね)をまけ、夕(ゆう)まで手を休めてはならない。実(みの)るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良(よ)いのでるか、あなたは知らないからである。
七   光は快(こころよ)いものである。目に太陽を見るのは楽しいことである。
八  人が多くの年(とし)、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗(くら)い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。
九  若い者よ、あなたの若い時を楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩(あゆ)み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。
一〇  あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除(のぞ)け。若い時と盛(さか)んな時はともに空だからである。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ヤマガラが何か木の幹に埋め込んでいるみたいです。

カラ類は食べ物を埋めたくてしょうがない
 アメリカでは、収集癖のある人や、モノを捨てられずに溜めこむ人のことをパックラット(packrat<つめこみネズミ>)とよぶそうです。
パックラットはウッドラット属のげっ歯類の総称で、その名の通り、小枝や小さなゴミなどを地中の巣にじゃんじゃん大量に貯めこみます。
なかにはかなり古い時代から使われている巨大な貯蔵庫もあるそうです。
 鳥界のパックラットといえばカラ類です。
なんでも溜めこむというわけではありませんが、秋になるとあちこちでヤマガラやコガラ、ゴジュウカラが、エゴノキやスダジイ、イチイなどの果実を集めては、地面や木の幹のすき間、樹皮の下などに埋めています。
「貯食(ちょしょく)」とよばれる行動で、すぐに取り出して食べることもあれば、しばらく置いておくこともあります。
 なかにはそのまま忘れられてしまうものもありますが、これはむだになるわけではなく、忘れられた種子は春になると芽を出します。
少しでも遠くに種子を運んでもらいたい樹木にとっては悪くない種子散布の方法です。
 カラ類でもとりわけ貯食が好きなのがヤマガラです。
「埋めこみたい」「取り出したい」癖が強く、物をつかむ、くわえる、たぐりよせるといった器用さももちます。
そんな習性を利用して、昔はヤマガラが芸人(芸鳥)だった時代がありました。
「おみくじひき」「水汲み(つるべ上げ)」などの芸で、お祭りなどで親しまれていたそうです。

つぶやき)
パックラットの古い貯蔵庫は、昔の北アメリカにどんな植物が生えていたかを知る手助けとなっているらしいよ。
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)