2021年2月13日土曜日

手袋を脱ぐほど

青空なのにいつもは見える高槻方面の山が霞んで見えないほど…
途中で手袋を脱いだのに汗が出そうなほど(^-^;
挨拶をするグループの方から
「暖かいですね」と声をかけていただいたのだけど
「年を取ると気温の差が大きいと体がついていけません」
仲間の方が、「それでかな?」と呟いておられました。
その方も気候の変化に体調管理が難しいようです。

土日 春の暖かさ 来週寒さ戻る」(えりの気象日記 2月12日)
桜の枯葉、強風の時もあったのにズーッと、しぶとく頑張っていますp(^^)q

久しぶりに出会った方が「まだ生きているよ」と仰ったので
「(コロナに)好かれたらあかんで!」と返事をしました(*´▽`*)
昨夜のEテレドキュランドへようこそ「RBG 最強の85才」(後編)
前編でも冒頭にバーコードが表示されていました。
#BeyondGender
(NHKのサイト「今こそ、ジェンダーをこえて考えよう。」)

#RBG最強の85才
というハッシュタグもあるんだ(^^)v

マーティン・ギンズバーグ(1932-2010)の病室のベッドの脇にあった手紙には、

いとしいルースへ。
私が人生で愛したのは君だけだ。
両親と子どもたちと孫を除いてはね。
君が法曹界の頂点に上っていく姿を見られて幸せだった。
56年前に初めてであった時からずっと君を崇拝し、愛してきた。
人生の幕を閉じる時がきた。
すっかり衰弱して思うように動けない。
僕の死を受け入れてほしいけど、それは難しいかもしれないね。
これからも 君への愛は、ずっと変わらないよ。
 安田菜津紀さんのTwitterに

「裏から森さんに手を回すような、顔の見えない多数の人たちこそ、表に出てくるべきです」と
日本ラグビー協会の理事、谷口真由美さん。
これを機に、意思決定の過程をどう透明化し、どう説明責任を果たしていくのか、
という議論を進めていくことができれば。

森氏が代弁した「ラグビー村」の論理は 女性理事の視点〟(朝日新聞 2月11日)
香山リカさんのTwitterに

20年前えひめ丸の事故への対応などから当時の森内閣の支持率がヒトケタになったときのことよく覚えてるけど、
若者もおじさんおばさん(うちの親とか)もメディアもとにかく非難一色で、
「これまでの功績ガー」とか「総理をいじめるなー」とか言う人いなかったよね。
権力擁護クラスタいつ生まれたのかな。


(権力の座にある者は、批判されるのを覚悟で国民のために働くものだと思っていたなぁ)
裁判の行方が気になっていたのですが、勝訴になってよかったです。
日本の裁判官もきちんとした判決が下せる。 

山崎雅弘さんのTwitterに

一週間前の2月5日に東京地裁で下された、
竹田恒泰氏との裁判の判決について、
判決文の全文をPDFで公開しました(55頁)。
弁護士などの法律の専門家と、私を含む非専門家では、
読み取れる情報も異なると思いますが、
多くの方の目に触れる形にするのが公益に資すると判断しました。

https://yamazakisanwosien.wixsite.com/裁判資料3

昨年11月に、今回の裁判で提出した陳述書と被告側準備書面をいくつか公開しています。

判決文と合わせてお読みいただくと、
竹田恒泰氏が著書やネットでどのような差別的言説を発信し、
どのような「論法」でそれを「差別ではない」と言い張ったのかを理解できると思います。


こちらも昨年11月に公開した陳述書で、
竹田恒泰氏自身が
「中止になった富山県朝日町で話す予定だった内容と同じ」と宣言してネットで行った講演について、
問題点を検証したものです。

一見人畜無害に思える「自国優越思想」が、実は差別思想と表裏一体だと論証しています。

女性と信仰 (「近畿民俗」昭和12年5月)
  3

 以上のべた琉球の神道は一見我々には奇異にきこえるが、よく考えてみるとこれはあるいは我が国の古代の姿ではなかったか。
琉球は我が国をめぐる周辺の国では我が国の一地方であったことは、その文化がこれを証明している。
さればこれを手がかりにして日本の古代信仰を見ていきたいのである。
古い日本においても一族の祭る神はこれにかしずくものが神がかりする女であったようである。
伊勢皇大神宮(いせこうたいじんぐう)におつかえ申した斎宮(いつきのみや)は女性であった。
斎宮のなくなった日も祭祀はやはり女性で、これをオコラといった。
芭蕉の句に「お子良子(こらご)の一もとゆかし梅の花」などともあるが、実に実際の祭祀はこの女性によってなされた。
一見御師(おんし)とよばれる男性が祭祀にあたったようであるが、コラの父としてのその地位を保っていたのである。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)
 血縁因の神に祭祀に女性が選ばれる前に地縁因の祭祀が女によってなされたのではあるまいか。
地縁因の神はすなわち海の彼方から来り、また山の上に降臨する神であった。
これはその土地土地を守るための来臨で用がなくなればまたはるかな彼方へかえりいかれたのであるが、そうした神の姿が多くの場合女性であったことは研究に値することであり、また祭祀者の女性なりしと結びつけて考えられると思うのである。
例えば富士の祭神が木花之開耶姫(このはなさくやびめ)であり、白山の祭神が白山比咩命(しろやまひめのみこと)であり、いまは山上の神ではなくなっているが、大和山上岳(さんじょうがたけ)の麓、天(てん)ノ川(かわ)の弁才天社などももとは山上岳の神体であったのではないかと思う。
女人禁制である高野(こうや)の守護神が美しい丹生都比売命(にゅうつひめのみこと)であることも考えてみねばならぬ。
 事実山々の祭祀を女性の司っていたことは柳田先生が『女性と民間伝承』でとかれているところで、農夫木樵(きこり)の類が山中にはいって美しい女性を見かけた話の各地に多く分布しているのは古い時代の祭祀の思想がなお今日に残っているゆえんであると思う。
その美しい女の多くは水のほとりにいて機(はた)をおっていたというように語られているのは、神の祭祀に美しい水の必要であったためでこれによって身をきよめたのである。
 山の神に対して海の神にも女性が多かった。
九州の宗像(むなかた)神社は航海を司る大事な神であるが女性であった。
厳島(いつくしま)神社もまた女性の神(市杵島姫命<いちきしまひめのみこと>)であり、船乗りが女性系の仏である観音様を信仰したのもこの信仰の名残かと思う。
そしてとくに女に一つの呪力のあったことの考えられるのは、海にもぐる漁業のほとんどが女によってなされていることである。
これは「魏志」などにも見えてすでに古く支那などにも知られたのであろう。
このはげしい労働の女性に属していたことはけっして体質が労働を決定するものではないゆえんを物語っている。
先年海女の住む越前安島(あんとう)をとうた時、この地では一様に女性が短命であることを物語っていた。
それほど生命に障碍の多い仕事である。
それが、海士(あま)とか海府(かいふ)とか名のつく村には必ずこの仲間のいた史(ふみ)を見れば最も古い漁村に漁業を司ったのは実に女であったのである。
このために海の神に女性のかしずいたゆえんも思いあわされるのである。
 さて山の神海の神は女性であったがゆえに女性が仕えたのではなく、女性が仕えたために多くが女性化されたとみるべきである。
それは彼女らが神がかりによって演ずる口誦文芸がそのまま第一人称をもってなされたからである。
彼はこういうことをした、というように語るのではなく、私はこうしたと語るのである。
岩倉(市郎)氏によると喜界島の蒲生(かもう)の天降(あまくだり)神社で、ユタが三代つづいて毎年2回ずつその祭礼の日にこんちゃ物語を自演したという。
すなわち天女が下界して村の男と結婚し、羽衣を匿されて昇天することができなかったが、後子供の子守歌でそのありかを知り二児を残して昇天するのである。
  これはほかの地方では昔話または伝説として流布されているが、この島では明らかに神話であった。
もと巫女の託宣はかくのごとく第一人称をもって語られるものであるが、その信仰的色彩がとれてみると、叙事文学として残存するのである。
  その一つである海神交婚譚は海神が蛇体であり女性である場合が多い。
すなわち陸の男と交婚して孕み出産にあたって産屋を見られ海へかえっていく話である。
その結末はすべて悲劇的であるが、近世に至っては母が目玉をくりぬいて乳のかわりに子にあたえ、それを殿様にうばわれて、さらに一つをあたえ、怒って地震を起こすというようにまでかわっている。
これに対して陸の蛇精は男が多かった。
そして三輪山系の話を生んでいる。
これらは恐らく語るものが一方は男であり一方は女であるために主人公もかくかわったのであろう。
 かくして神に仕えるもの自身も、自分が神を祀るものであるか、それとも自分が神自体であるか分らなくなっている。
琉球のノロドンチ(殿内)に残っている書物を見ると、何村何某妻、何村何某妻うし、何村伊知根神、何村さいわ神というようにかいてあるのがすなわちそれである。
とにかく神と人との区別がつかなかったようである。
かくのごとくして神を迎え送っていたのである。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
ヒヨドリは、目がかわいいのに憎まれ役が似合うみたいです。

 ヒヨドリ スズメ目ヒヨドリ科

 日本、朝鮮半島に分布。
ムクドリよりは大きくハトよりは小さい。
全体に煤(すす)けたような灰色で、頭頂部はぼりぼり掻(か)いたように羽が立っている。
頬の部分はあまり趣味の良くない頬紅のように赤茶けた斑(はん)がある。
ヒヨドリを漢字で書くと鵯、卑しい鳥と書かれるのはやはりその性質を厭(いと)われた故(ゆえ)だろうか。
サクラが満開の頃、よく花がまるごと落ちていることがあって、それはヒヨドリの仕業だと何かで読み、長いことそう思い込んでいた。
が、それは実は、嘴が太く短く蜜(みつ)の吸いにくいウソたちの仕業だったのである。
花の萼(がく)の付け根を嘴で切り落として、その裏から直接蜜を吸っていたのだ。
最近の報告でそれを知った。
言われてみれば納得することばかりである。
嘴の細いヒヨドリはメジロと同じくそういうことをする必要はなかった。
嘴を花粉で黄色く染めながら次々と蜜を吸うヒヨドリを私も確かに目撃したこともある。
花をまるごと落とすというのは、花房を揺らしているヒヨドリ(ときどき花びらも食べるが)を見て生まれた誤解だったのだろう。
ヒール役が似合うとも言える。
(『渡りの足跡』梨木香歩 新潮文庫 2013年)