2021年2月17日水曜日

雪もチラチラ

夜中に雨が降ったみたいで、風も強く
天気予報を見ると雪も降りそうだったので50㎜レンズで出かけると…
こんな時に限って出会うのですよね(^-^;

17日~18日 近畿北部大雪」(えりの気象日記 2月16日)
藤井聡太二冠が卒業間近の高校中退「将棋に専念したい」〟(NHK)

高校中退という決断に、漫画家の里中満智子さんも高校を中退されたことを思い出しました(2年と3年の間の春休みの修学旅行が高校生活の最後の思い出だそうです)。
現在は、大阪芸術大学教授など多方面で活躍されています。
どうしているのかなと思っていたら

Agnes Chow 周庭さんのTwitterに

Admin:旧正月の間に友人が新年の挨拶のために周庭を訪問しました。
最近の周庭は、読書をしたりラジオを聴き、いつも手紙を読むことを楽しみにしているそうです。
「ノルウェイの森」を読み終えたばかりで、引き続き、村上春樹さんと東野圭吾さんの本を読む予定だとのことです。

周庭は、皆さんからのご関心及び激励にとても感謝をしています。
刑務所での生活に適応しようと努力をしています。
周庭:「刑務所での生活は心身ともにつらいので、6月に刑務所を出たら、少し身体を休ませたいと思っています」

昨日の岩波書店のTwitter

「お母さん、私は星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます」

今日は韓国の国民詩人・尹東柱の命日(1945年)。戦争末期、留学先の日本で27歳の若さで獄死。
しかし、空と風と星を見つめ、人を愛した詩人が紡いだ清冽な言葉は、今も読み手の魂を揺さぶります。

尹東柱(ユンドンジュ)は、1945年2月16日、福岡の刑務所で27歳という若さで獄死しました。
香港のアグネスさんや中国の人権活動家への中国政府の弾圧
ミャンマーの軍部の市民への弾圧を見ていると
日本の戦時中の弾圧を手本にしているとしか思えません。
深夜に再放送があった番組を見ていると
獄中での拷問は、特高警察のやり方と一緒だなと思いました。
ザ・ヒューマン「それでも、自由のために闘う 中国 人権派弁護士と家族

尹東柱(ユンドンジュ)詩集 空と風と星と詩』より「雪降る地図」を転記しますφ(..)
なお原文は、改行していません。
尹東柱が生きていれば、どんな素晴らしい詩などを書きつづけただろうと思います。
   雪降る地図

順伊(スニ)が旅立っていくという朝
言いようのない思いで牡丹雪が舞い、
悲しみのように窓の外に広げられた
おぼろな地図の上をなおもおおう。
部屋の中を見廻してみても
誰もいない。
壁と天井がいやに白い。
部屋の中までも雪が降るのだろうか、
ほんとうにおまえは失くした歴史のように
ふらりと行ってしまったのか。
発っていくまえに言っておくことがあったものを
便りを書こうにも行く先を知らず
どの街、
どの村、
どの屋根の下、
おまえは私の心にだけ残っていようというのか。
おまえの小さな足あとを
やたらと雪がおおいつくし
あとを追う術(すべ)とてもはやない。
雪が溶ければ
残った足跡にも花が咲こう。
花ばなの間をたどっていけば
一年十二か月
いついつまでも私の心には雪が降るだろう。
     (1941.3.12)
(『尹東柱(ユンドンジュ)詩集 空と風と星と詩』金 時鐘(キム シジョン)編訳 岩波文庫 2012年)
女性と信仰 (「近畿民俗」昭和12年5月)

  5

 もう一つ女性のために弁じたいのは、ひたすら女性が男子に隷属化せられ来りつつもなお曾ての祭祀を司った遺風の多く存することである。
その一つとして田植えを見る。
田植えが単なる労働でなかったことは本講習においてすでに杉浦健一氏の説いたところである。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)
 五月をサツキとよび、田植えをする女をサオトメとよび田植えはじめをサビラキ、またはサオリといい、植えしまいをサナブリまたはサノボリというところから見れば、サは稲のことではなく田の神であったらしいのである。
サオリすなわち田の神おろしがあって田植えがはじめられ、植え終わって神あがりすなわちサノボリがあったのである。
サノボリがあってすぐ虫送りがあるが、この虫送りにサネモリ様を作って送る風の各地に存するのは口碑によれば斎藤実盛が加賀篠原(しのはら)の戦いに稲株につまずいて討たれ稲虫と化したことによるものであるといわれているが、恐らくはサノボリのなまったもので田の神送りの行事がもとの姿であろう。
海岸ではこれを海に送るが、神の故郷を海の彼方とする考えから来たものではあるまいか。
山間の村々では多くは虫送りは山に向かってなされているのである。
 かくのごとく田植えが古い神事であってみれば、女の奉仕はむしろ当然であった。
女が早乙女になるには古くはいわゆる山あそびをしなければならなかった。
これで山の神を身につけたのである。
田植えにあたっても女には色々の制約があって服装などは年齢によってだいたいきまっていたようである。
 そうして田植えのすんだ夜はサナブリ祝いがなされ、田主の家の庭では庭おどりをしたというのは神エラギすなわち神をなぐさめたものであったと思う。
かくて今日までなお田植えは女性の管理になっている。
 火の管理なども未だ女性の役目であるところが多い。
ことにいろりのあるところではその風はほとんど行われており、いろりの火は絶やしてはならないものであって旧家などでは二百年、三百年も消えない火があるのである。
信濃へいくと若い嫁がいろりの火を消して、隣家へ火だねをもらいに出かけようとして通りあわせた葬式の提灯の火をもらった話がいくつもあるが、大和天ノ川(てんのかわ)では「いろりの火を消すような嫁」といえば世帯の仕方の悪い嫁のことであった。
琉球先島ではこの火の神は師走に天へのぼってその家の一切を報告するといわれ、神ののぼる日一家のものはとくに行いをつつしむという。
同じようなことは裏日本でもいわれ、秋の刈上げをすると田の神ははいって家の竈の神となり、1月9日山へ登るといわれているが、やはり家の様子を神につげると信じられている。
 沖縄では嫁入りするとその日必ず火の神を拝むことにしている。
火の神はそれほど家では意義のある神であった。
そうして沖縄ではすでにといたごとく火の神が家の神でもあった。
この思想は日本内地にもあって、伊勢神楽(いせかぐら)をはじめミコの仕事の一つがカマド祓いにあったことはカマドの火を清浄にすることによってその家の悪霊を祓おうとしたもので、カマドの神は明らかに意を守る神であった。
而してこれが祭祀はもと女の手にあったのである。
同時に女は月のさわりのある時はこの火の管理を他にゆだねて田屋またはヒマヤに別居した。
ヒマヤというのは恐らく火の祭祀をすることのひまをもらっている家という意味であろう。
それが後世正月の雑煮だけは男の炊くものとまで変わって来たが、これはその真の意味が逆になって来たものであると思う。
すなわち祭祀は精進でなくてはならぬものであったが、雑煮は文字のごとく色々のものをなげ込んで炊くもので、大晦日の夜行われた年越祭のなおらい(直来)で、いわば精進あげともなづくべきもので、したがって男が炊いてもよいというほどの意であったと解せられる。
 もう一つ家の大切なる仕事があった食物の調理の今日まで女性の手に委ねられて来ていることも女性信仰には関係がある。
神に供(そな)うべき食物の調理の女の手によってなされたことはすでに柳田先生のしばしばとかれたことで酒は女性の口によって米をかみくだき唾液とともにこれを酒桶にはき醗酵させて酒をつくる。
主婦をオカミというのはここから来たかと柳田先生はいわれ、家の老女を刀自(とじ)といい、酒造りをも杜氏(とじ)というのはともに一つの語りであろうともいっておられるが、酒の管理は女の仕事で酒盛りの席に女はまた重要な役目を持った。
巫女の遊女をかねた理由も恐らくはこのあたりにあったのであるまいか。
 酒だけではない、神に奉るモチ、すなわちシトギ(粢)なども必ず女の手でなさるべきものであった。
だから近世の横杵(よこぎね)が発生して餅搗きが男の仕事になっても、餅をもむ板の上座に坐って、餅をもみあるいはこれを按配したのは家刀自であった。
それでいて正月の餅かざりなどはすでに男の仕事ときめてしまっているのである。
 田畑の耕作なども山間の村々をあるいてみると女が主体であるところが多い。
あのはげしい労働にしたがってまで、男に狩りや杣(そま)などをさせた理由は田畑の仕事が神の祭祀を伴うものであったことも一つの原因があったのであるまいか。
 海の方について見ても、女の海に潜ってすなどりする村ではいまもイタダキといって頭の上へ物をのせてあるく風があるが、これが男になくて女にのみ存するのは訳のあることと思う。
而してこの風の行われるところで必ず男女とも沖に出るのであるが、新しく海にしたしみはじめた村では女はもう海へは出なかったのである。
そうしてむしろそういう村では女は船をけがすものとなっているのである。
明らかに後来の思想の結果である。
 そうしてひたすらに女性は最近まで後退をつづけて「女のくせに」と軽蔑されて来たのである。
而して今日の文献的歴史から見れば日本の女性は文芸の上において王朝時代に華やかさをもったのみで、ほかは何の功績も致さず、むしろ閨室(けいしつ)にあって保元の乱を起さしめ、承久の乱を起こさしめ、あるいは応仁の大乱を起さしめ、政治を惑乱せしめた罪の方が大であるとさえ考えさせるに至っているが、これは女性のために大いなる侮辱であり、その歴史の真をおおわれているものであるというべきである。
これを明らかにし、これを正し、もって過去における女性の位置と職分を知り、かつ今後の生活反省の資たらしめ、あたらしき女性道の確立に力を致すべきことは女性諸氏の急務であって、この学問の女性に関する部面に多くの女性の参加を待つゆえんはここに存するものである。
(『女の民俗誌』宮本常一 岩波現代文庫 2001年)

(「女性と信仰」終わり)
今朝の父の一枚です(^_^)v
今日は、メジロ以外にもモズのオスとメス、ジョウビタキ♀、シジュウカラなどに出会っていて喜んでいました。

 メジロの舌は二枚舌
(前略)
 みなさんは鳥の舌を見たことがあるでしょうか。
鳥には歯がないので、舌は口の中で食べ物を扱うための唯一の道具です。
鳥のくちばしの形はとても多様ですが、舌は食べ物に合わせて、それ以上に多様な形に進化しています。
メジロやヒヨドリの舌の先は、まるでブラシのようにフサフサに枝分かれしています。
花蜜を効率よくなめるため、表面積を増やしているのです。
同じく蜜を好むハチドリではストローのような管状になっていて、毛細管現象で吸い上げます。
(後略)
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)