2021年1月25日月曜日

手袋をぬいで…

今日は、父の歯科通院で運転手をしていました(*´▽`*)
お昼前にリハビリ散歩に出発。
暖かい日差しが溢れていてハトもノンビリしていました。
昼前だったこともあって手袋をせずに歩きました。
今週のたなくじは「猫派=大吉 犬派=中吉
被っているのは「タンパク質をたくさんとると吉(肉、魚、豆など)」(かな?)

田中さんは、新型コロナが治って復帰したと思ったら…
爆笑問題田中裕二さん入院 くも膜下出血と脳梗塞 手術必要なし」(NHK 1月20日)
新型コロナの感染で血栓症を併発する可能性があります。
警鐘:新型コロナウィルス感染により血栓症発症リスクが増大」(日本血栓止血学会)
歯科の待合室で読んでいたのが
ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか
昨日の記事で今田耕司さんが
「GoTo(トラベル)関係なかったんちゃいますの?」と質問するのは、
GoToを止めても感染者が減らない、増える一方なので誤解しても仕方がないけど
特盛!解説委員の辛坊氏が「見事にそうですよね」と発言したのは「見事に間違い」だと思うので、
病が語る日本史』からコレラに関する記事を紹介しました。
今日のニュースに
「Go Toトラベル」感染者増加に影響か 京都大学のグループ発表〟(NHK)

新型コロナのように人類がまだ抗体がなく、有効なワクチンがない段階でできることは「公衆衛生対策」です。
山内一也さんの本から転記したいと思いますφ(..)
コロナというにGoToというふいごを使って感染爆発させ国民の命を脅かす愚策だと思います。

高須力弥さんがTwitterでこんな記事をリツイートしていました。

大阪のコロナ陽性者に市から葬儀会社の広告入り封筒 「配慮が足りなかった」と担当者〟(まいどなニュース 1月25日)

たまたまだけど「567」という電話番号もすごいな…
4章 人類はどのような手段を持っているのか
 3 公衆衛生対策


 未知のウイルスに対して、人間は免疫を持っていない。
ワクチンもない。
そのようなウイルスが出現した時にわれわれが頼ることができるのは、公衆衛生対策である。
 公衆衛生は20世紀になってから感染症の分野で発展してきたものである。
そのおかげで、これまでに多くの感染症が制圧されてきたが、感染症の脅威が遠ざかるのに伴って、その原動力となった公衆衛生への関心は薄れてきている。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)
  公衆衛生は、社会の健康を健康を守るためのものである。
そして、それにより個人の健康を守ることにもつながる。
SARSは、世界保健機関(WHO)を中心とした対策により、2003年3月に発生が確認されてから四カ月という短期間で制圧された。
全世界に広がった新しい感染症がこのような短期間に封じ込められたのは、歴史上初めてのことである。
国際協力によって原因ウイルスの解明が役立ったのはもちろんであるが、さらにその成果を利用して世界規模で実施された公衆衛生対策が、早期の終息に大きな貢献を果たした。
SARSは、公衆衛生対策がどのようなものか、そしてそれがどのように社会を守るのかを、改めて、はっきりと示してくれた。
 検疫と隔離

 公衆衛生対策は、基本的に二つある。
まず一つは、感染・発病したヒトからほかのヒトに感染が起こらないようにするための対策、感染者の隔離である。
もう一つは、発病はしていないが、患者と接触したために感染した可能性のあるヒトからの感染を防止する対策、すなわち検疫である。
検疫は、日本では空港などでだけ行われることだと一般に受けとめられているが、本来の意味はそれよりも広い。
検疫という言葉は、英語で quarantine であり、イタリア語の「40( quaranta )」に由来する。
14世紀のイタリアで、ペストの蔓延を防ぐために、感染者が乗っている可能性のある船を40日間入港させなかったことから付けられた呼び名である。
 SARSで行われた対策も、この二つの原則に基づいていた。
これは100年以上前の対策と基本的には同じものである。
しかし、100年前と現在とでは、その内容に大きな違いがある。
患者の隔離については、科学の著しい進歩により、SARSの際にはウイルス遺伝子や抗体の検査による確定診断ができるようになった。
隔離病室の設備も高度な安全対策が施されたものになっている。
隔離までのステップに関しては、昔とは比較にならない高度のものになっていると言える。
 一方、感染した可能性のあるヒト、すなわち接触者に対する対策は、昔より複雑かつ困難になっている。
多数の人々が短時間に長距離を移動する現代社会では、接触者の追跡はきわめて難しい課題になっている。
たとえば、日本に観光に来た台湾人医師がSARSに感染していたことが帰国後にわかり、大きな騒ぎになった際には、わずか数日の滞在期間中に接触した可能性のあるヒトの数は506人に上った。
個人の人権やプライバシーに配慮しながら多数の接触者を追跡することが、いかに困難かということがわかるだろう。
 新型コロナウイルスは、SARSの時とは比べものにならない被害をもたらしている。
日本では感染者集団(クラスター)の発生を早期に発見し対策するという方法がとられた。
一方、徹底的な封じ込め策が功を奏した典型的な事例に、ナイジェリアの都市ラゴスで発生したエボラである。
 エボラ発生の封じ込めに成功したナイジェリア

 2014年、西アフリカでエボラ出血熱が拡大を続けていた際、もっとも懸念されたのは、2000万人を超える人口が密集していたアフリカ最大の都市、ラゴスへの感染の拡大であった。
ラゴスは、反政府組織、ボコ・ハラムのようなテロ組織、2015年の大統領選挙といった課題を抱えていた。
ここにエボラが広がれば、世界全体が瞬時に巻き込まれる事態に発展すると恐れられていたのである。
 7月25日、ナイジェリア保健省はラゴスの病院でリベリア系アメリカ人のパトリック・ソーヤーがエボラ出血熱で死亡したと発表した。
彼はエボラで7月8日に死亡した家族の世話をしていた。
彼も発熱などからエボラが疑われて病院に収容されたが、医師の忠告を無視して、7月20日にナイジェリア行きの飛行機に乗り、ラゴス空港に到着した。
そこで倒れて病院に運ばれた。
それまでに三日かかっており、その間に9人の医療従事者が感染していた。
これが最初のクラスターになった。
 一方、ひとりの外交官が検疫を無視してラゴスから別の都市ポート・ハーコートに行ってしまった。
彼は8月1日から三日間治療を受けていた。
ここから第二のクラスターが発生した。
 エボラ確認の報告を受けて、ナイジェリア政府は直ちに国家非常事態を宣言した。
最優先で行われたのは、接触者の追跡である。
感染症専門家チームは898人(1次感染と2次感染者合わせて351人、3次感染者547人)の接触者リストを作成した。
150名を超える追跡チームは、最終的に、接触の可能性のあった1万8500人に面接した。
国境なき医師団とWHOによる訓練を受けていた医師たちは交代で患者の処置に従事した。
最終的に、19人の確認患者、1名の疑い例の計20名が見つかり、8名が死亡した。
  エボラの潜伏期は2日から21日とされている。
最後の患者確認から最長潜伏期の倍にあたる42日が経過した10月20日、WHOはナイジェリアがエボラ・フリーになったことを発表した。
この制圧が成功した要因としては、可能性のある接触者全員の迅速かつ徹底的な追跡、これらの接触者すべてについての持続的な監視、そして感染の可能性のある接触者の迅速な隔離の三つがあげられていた。
最初の患者が空港内で発見されたこと、そして、感染がスラム街に広がらなかったことも幸運であった。
(『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』山内一也 みすず書房 2020年)