2021年1月12日火曜日

雪景色

何年ぶりかな?
昔は、大きな雪だるまを作った覚えがあるけど…
風が強かったら諦めようと思ったけど、ほとんど風が吹いていなかったので出かけました。
途中、雪から雨になり、花に積もった雪がシャーベットになっていました(*´▽`*)

近畿市街地も積雪 交通影響注意」(関西NHK)
ラグビー大学選手権天理大初優勝」(NHK奈良 1月11日)

大学ラグビー優勝天理大が地元に」(関西NHK)

よくやったなぁp(^^)q
集団感染の時は、本当に大変だったと思います。
そんな苦しい状況の中、全国大学選手権で初優勝したのですから!
基本季語五〇〇選』を見ると「」に関する言葉が多いなぁと改めて思った。
古来より人びとの雪への思いがこんなにも季語を多くしたのだろうなぁ…
 

六花(むつのはな)・雪の花・雪華(せっか)・雪片(せっぺん)・粉雪(こなゆき)
積雪(せきせつ)・根雪・しまり雪・ざらめ雪・湿雪(しっせつ)・べと雪・雪紐(ゆきひも)
筒雪(つつゆき)・冠雪(かんむりゆき)・雪冠(ゆきかんむり)・雪庇(せっぴ)
水雪(みずゆき)・細雪(ささめゆき)・餅雪(もちゆき)・小米雪(こごめゆき)
衾雪(ふすまゆき)・しずり雪・しずり・堅雪(かたゆき)・雪空・雪気(ゆきげ)
雪催(ゆきもよ)い・雪模様・雪雲・雪曇・雪暗(ゆきぐれ)・雪風・雪明(ゆきあかり)
雪の声・大雪(おおゆき)・小雪(こゆき)・深雪(みゆき)・雪月夜(ゆきづきよ)
雪晴(ゆきばれ)・雪景色・暮雪(ぼせつ)・雪国(ゆきぐに)
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
 昔から、「雪は豊年の瑞(しるし)」と言っている。
雪の結晶の形にはたくさんの種類があるが、六角状に結晶することが多いので六花(むつのはな)とも言う。
気温が高い時に降る雪は雪片が大きく、とけかかった牡丹雪(ぼたんゆき)が多く、低い時は小さく、さらさらに乾いた粉雪(こなゆき)が多い。
積雪(せきせつ)が下積みになって春まで残るのを根雪(ねゆき)と言い、積もったばかりの軽い雪を新雪(しんせつ)と言い、積雪のきめの細かいしまったものをしまり雪、表面の雪がいったん融(と)け、また凍ってざらめ状になったものをざらめ雪と言う。
また粉雪に対して、湿雪(しっせつ)またはべと雪という言葉もある。
塀や木の枝などに積もった雪がとけて滑り出し、紐(ひも)の如(ごと)く垂下ったものを雪紐(ゆきひも)と言う。
電線などに凍りつくと筒雪(つつゆき)となる。
門柱、電柱などに積もって大きく松茸(まつたけ)状になると冠雪(かんむりゆき)、または雪冠(ゆきかんむり)と言う。
山の急な傾斜面には雪庇(せっぴ)ができることがある。
水分をたくさん含んだ積雪を水雪(みずゆき)と言う。
斑雪(はだれゆき)ははだれともはだら雪とも言い、まだらに降った雪、近年春としている。
細雪(ささめゆき)はこまかく降る雪、餅雪(もちゆき)・小米雪(こごめゆき)はその形状を見立てて言ったものである。
衾雪(ふすまゆき)は物を厚く蔽(おお)い包んだ様に言い、しずり雪またはしずりは木の枝などから落ちる雪である。
堅雪(かたゆき)は昼間の暖気でとけた雪面が、夜の寒気でふたたび凍結しぴんと堅くなったものである。
雪空(ゆきぞら)・雪気(ゆきげ)・雪催(ゆきもよ)い・雪模様(ゆきもよう)は雪の降ろうとする空合であり、雪雲(ゆきぐも)は雪模様の雲、雪曇(ゆきぐもり)は雪雲の曇り、雪暗(ゆきぐれ)は雪曇で暗くなること、雪風(ゆきかぜ)は雪をさそう風、雪明(ゆきあかり)は雪のため闇夜の明るくなることである。
雪は音もなく降るものだが、雪の降る夜、耳を澄ますと、空でさらさらと音を立てているような感じのすることがある。
暖国のたまに降る雪とちがって、積雪が二階の屋根までも達する雪国では、たいへんな生活の脅威(きょうい)である。
 古くは、その年の農作物の豊凶を、山に咲く花、あるいは山にかかる雪を以(もっ)て占(うらな)った。
土地の精霊が、あらかじめ豊年を村の貢(みつぎ)として見せるために、雪を降らせるものと考えた。
だから雪は、稲の花に見立てられたのだ。
農男、農鳥(ともに富士山に見られる残雪現象。別に甲斐白根三山に農鳥岳がある)、駒形(各地の駒ケ岳)、種蒔おっこ(八甲田山)などと言って、山の側面に現われる鳥形、駒形、人形(ひとがた)などの残雪の形が、種蒔、田植えなどの農候として伝承されているのも、もとは同じ信仰である。
後には地上の雪も、山の雪と同様に見られた。
 信州新野(にいの)の雪祭では、雪不足の年にも、たとえ一握りの雪でも神前に供(そな)えねがならぬとされ、田楽(でんがく)が行なわれるとき周囲の者は、雪を投げながら「大雪でござい、大雪でござい」と連呼する。
古代の信仰では、冬ごもりのあいだに威力のある霊威(れいい)が人の身に寓(やど)るものと信じていた。
雪の久しいことは、冬ごもり期間の永いことであり、その間における発育の大きいことである。
だから催馬楽(さいばら)『梅枝(うめがえ)』に「梅が枝に来ゐる鶯(うぐひす)春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」などと言っているのも、雪の久しさをいうことがそのまま慶賀の詞になっているのである。
そういう信仰が、雪をよろこび、鑑賞する態度を導き出してくるのだ。
連俳では春の花、秋の月に次いで、夏の時鳥(ほととぎす)と並んで、冬の雪が季節の代表的景物として尊重されるのも、そういう生活的伝統が根底にあったのである。
(後略)
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ツグミがなんか黄昏ているような(*´▽`*)
雪が降っていたのでどうしようかと思ったけど、父が雪を見たがっていたので出かけました。
ただ風邪をひいては大変なので歩く時間を短くしたので、万歩計を見るといつもの半分くらいでした。