2021年1月31日日曜日

1月最後の日曜日

穏やかな朝でした。
風があまり吹かないので途中で一枚脱ぎました。
こんな記事があります。

外出自粛で大丈夫?日光浴のススメ」(NHK 1月25日)
夜に良質な睡眠をとるためにも、午前中に日光を浴びることが大切
WHO調査 武漢の市場を視察 多くの患者確認の海鮮市場と別場所」(NHK)

やはり中国だなぁ…
こんなことをするから国際社会の信用をなくすのだと思うけどなぁ
中国がワクチンを早く完成?させることができたのも、
中国が新型コロナのワクチン開発を始めたのは19年8月 感染拡大もこの時期か」(デイリー新潮 1月24日)
という記事内容を否定できないように思ってしまう。
入院中、病室のウォシュレットの水の勢いが強く、水温も高いのでビックリしたことがあります。
同室の患者さんがウォシュレットの設定を上げていたようです。
使用する時は、温度を低くして水流を弱くしていました。

 「お尻の温水洗浄に潜むリスク~間違った習慣で怖いことに~」(時事メディカル 1月29日)
 温水はぬるま湯で、水圧は一番弱くして、洗浄時間は約5秒くらいがいいです。
また、肛門周囲にかゆみやただれの症状があるときは、肛門科を受診してください。

今年は2月2日が節分ですね。
124年ぶり!今年の節分は2月2日」(森本まりあ Yahoo!ニュース 1月26日)

恵方巻について大阪歴史博物館のTwitterに

【恵方巻1】節分に巻き寿司を丸かぶりする風習。
起源には諸説あって、船場の商家で行われたとも、花街の風習とも言われ、定かではありません。
大阪の寿司店や当館には昭和初期のチラシが保存されており、文献資料として確かめられます。
少なくとも 80~90年前にはキャンペーンがあったらしい… (ふ)


【恵方巻2】節分に巻き寿司を丸かぶりする風習。
当館所蔵のチラシ(昭和15年)には「毎年節分の日にその年の恵方に向つて巻寿司の丸かぶりすると大変幸運に恵まれるといふ習しが昔から行事の一つとなつてゐて年々盛になつてゐます」とあります。(ふ)


【恵方巻3】当館のチラシには、現在の丸かぶり寿司の要素がそろっていますね。
「幸運巻寿司」のネーミングも秀逸です。
発行者は、大阪鮓(すし)商組合後援会で、寿司店の販売促進という面があったと考えられます。
値段は 1本20銭で、現在の400~500円程度になります。(ふ)


【恵方巻4】恵方巻の起源は、岩崎竹彦氏の研究によると、
(1)船場で商売繁盛等を願った、
(2)花街での願い事、
(3)新しい香の物が漬かる時期、
(4)船場の旦那衆のお大尽遊び、
(5)戦国武将の戦勝に由来、など多数あり、時期は江戸時代から明治期というものが多いようです。(ふ)


【恵方巻5】巻き寿司自体が、江戸中期に生まれた食べ物だそう。
すると、戦国武将説はちょっと違うみたいですね。
岩崎竹彦氏は、船場の旦那衆が花街でやっていた遊びでは、と推理。
でも、戦後長い間、大阪の人でもこのような風習は知らなかった人が多かったようです。(ふ)


(Twitterには画像も載っているのでアクセスしてみてください)
伝道の書
 第 六 章


一  わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。これは人々の上に重い。
二 すなわち神は富と、財産と、誉(ほまれ)とを人に与えて、その心に慕(した)うものを、一つも欠(か)けることのないようにされる。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空(くう)である。悪(あ)しき病(やまい)である。
三 たとい人は百人の子をもうけ、また命長(いのちなが)く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬(ほうむ)られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。
四 これはむなしく来て、暗やみの中に去って行き、その名は暗やみにおおわれる。
五 またこれは日を見ず、物を知らない。けれどもこれは彼よりも安(やす)らかである。
六 たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福は見ない。みな一つ所に行くのではないか。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
七  人の労苦は皆(みな)、その口のためである。しかしその食欲は満たされない。
八 (かしこ)い者は愚かな者になんのまさるところがあるか。また生(い)ける者の前に歩(あゆ)むことを知る貧しい者もなんのまさるところがあるか。
九 目に見る事は欲望のさまよい歩くにまさる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。
一〇  今あるものは、すでにその名がつけられた。そして人はいかなる者であるかは知られた。それで人は自分よりも力強い者と争(あらそ)うことはできない。
一一 言葉が多ければむなしい事も多い。人になんの益があるか。
一二 人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後(のち)に、日の下に何があるであろうかを人に告(つ)げることができるか。
  第 七 章

一   良き名は良き油(あぶら)にまさり、
    死ぬる日は生(うま)るる日にまさる。
二   悲しみの家にいるのは、
    宴会に家にはいるのにまさる。
    死はすべての人の終りだからである。
    生きている者は、これを心にとめる。
三   悲しみは笑いにまさる。
    顔に憂(うれ)いをもつことによって、
    こころは良くなるからである。
四   賢い者の心は楽しみの家にある。
    愚かな者の心は楽しみの家にある。
五   賢い者の戒(いまし)めを聞くのは、
    愚かな者の歌を聞くのにまさる。
六   愚かな者の笑いは
    かまの下に燃えるいばらの音のようである。
    これもまた空である。
七   たしかに、しえたげは賢い人を愚かにし、
    まいないは人の心をそこなう。
八  事の終りはその初めよりも良い。
   耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。
九  気をせきたてて怒(いか)るな。
   怒りは愚かな者の胸に宿るからである。
一〇 「昔が今よりもよかったのなざか」と言うな。
   あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。
一一 知恵に財産が伴うのは良い。
   それは日を見る者どもに益がある。
一二 知恵が身を守るのは、金銭(きんせん)が身を守るようである。
   しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保(たも)たせる。
   これが知識のすぐれた所である。
一三 神のみわざを考えみよ。
   神の曲(ま)げられたものを、
   だれがまっすぐにすることができるか。
一四  順境(じゅんきょう)の日には楽しめ。逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
一五  わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人(ぎじん)がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
一六 あなたは義に過ぎてはならない。また賢(かしこ)きに過ぎてはならない。あなたはどうし自分を滅ぼしてよかろうか。
一七 悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか。
一八 あなたがこれを執(と)るのはよい、また彼から手を引いてはならない。神をかしこむ者は、このすべてからのがれ出るのである。
一九  知恵が知者を強くするのは、十人のつかさが町におるのにまさる。
二〇  善を行ない、罪を犯さない正しい人は世にいない。
二一  人の語るすべての事に心をとめてはならない。これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。
二二 あなたもまた、しばしば他人をのろったのを自分の心に知っているからである。
二三  わたしは知恵をもってこのすべての事を試(こころ)みて、「わたしは知者となろう」と言ったが、遠く及ばなかった。
二四 物事の理(り)は遠く、また、はなはだ深い。だれがこれを見いだすことができよう。
二五 わたしは、心を転じて、物を知り、事を探(さぐ)り、知恵と道理を求めようとし、また悪の愚かなこと、愚痴の狂気であることを知ろうとした。
二六 わたしは、その心が、わなと網(あみ)のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦(にが)い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。
二七 伝道者は言う、見よ、その数(かず)を知ろうとして、いちいち数(かぞ)えて、わたしが得たものはこれである。
二八 わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった。
二九 見よ、わたしが得た事は、ただこれだけである。すなわち、神は人を正しい者に造られたけれども、人は多くの計略を考え出した事である。
(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
今朝の父の一枚です(^^)v
公園で網にかかっていたスズメを網から外して逃がしてあげたことがあります。
その時、スズメの体温は、人間より高いなと思いました。
2015年9月16日の記事

「スズメ」って何者?
 (1月26日の記事の続きです

 では、私たちになじみの深いそのツリースパロウ、つまり日本にいるスズメについて、くわしく見ていきましょう。
 スズメというと、地味で茶色い鳥というイメージがあると思います。
でも15ページの絵(省略)を見てください。
よく見ると、その背中はとても複雑な模様をしています。
首からほっぺたあたりの白さもそれを際立させています。
そして、なかなか渋さもあります。
江戸時代には、この渋さが好まれて、スズメの色というのは着物の色の基本に使われたくらいです。
 体の大きさは、14.5㎝ほど、重さは25gほどです。
子供の握りこぶしよりも小さな鳥です。
25gというと、ミカン1個の重さが100gくらい、卵1個の重さが60gくらいですから、それよりも、もっともっと軽いんです。
みなさんは、鳥をじかに触る機会はめったにないと思いますが、私も鳥の研究を始めて、最初に鳥を直に手に取ったときは、なんて軽いんだと思いました。
鳥は空を飛びますから、体の構造がとても軽くできています。
骨も人のものよりずっと軽い構造になっています。
鳥をじかに触ってみると、驚くことがもう1つあって、それはとても温かいということです。
手にとって温かく感じるということは(自分の手が冷えている場合は別ですが)、私たちの体温よりも温かいということです。
実際、鳥の体温は40度くらいあるのです。
(『スズメの謎 身近な野鳥が減っている!?』三上修 誠文堂新光社 2012年)