2017年8月15日火曜日

万灯会(四天王寺)

 いつものお花屋さんが閉まっていたので、もう一軒…
本当は、閉店後の掃除をしていたのですがお願いして(^^ゞ
姪の夜勤明けに四天王寺さんにお参りに来ました。
実は、ビックリ!(°°)!したことがあります。
と言うのは、家を出る時に「豪雨予報」のメールが届くほどの土砂降り
駅のホームで待ち合わせをしていた妹が
大雨の場合は中止になると心配していたほど。
でも、駅を上がると、雨が一粒も降った様子がなかったのです。

留守番をしている父さんに電話をすると
「○○○(母さんの名)が守ってくれたんやな!」とビックリしていました。
祖父母、母さん、義弟のローソクに火を灯してもらいました。
いろんな思いでみなさんが手を合わせていました。
座って蝋燭の火をジーッと見つめている方もいました。
 万灯会まんどうえ
燃灯会ねんとうえの一つで、懺悔さんげ滅罪のため
1万の灯明を点
ともして仏・菩薩に供養する法会。
大宝積経だいほうしゃくきょう中の菩薩蔵会に基づく。
また仏説施灯功徳経にも燃灯の功徳を説く。
日本での燃灯の初例は651年(白雉2)とされるが、
万灯を点じたのは744年(天平16)で、
以後東大寺・本元興寺・薬師寺・金剛峯寺
その他で恒例の法会となり、会日も定められた。

阿闍世王受決経に説く貧者の一灯の功徳は古来強調されたが、
特に鎌倉時代になると、庶民一人一灯の寄進を勧説して、
長者の万灯よりも貧者の一灯が強調された。

(『岩波仏教辞典(旧版)』中村元他編 岩波書店 1989年)
 貧者の一灯ひんじゃのいっとう
古くは<貧女の一灯>と言った。
阿闍世王受決経
あじゃせおうじゅけつきょうや賢愚経に、
信心深い女が仏に一灯を供養した功徳が国王や富者の万灯にまさった、
とある話に基づいた句で、貧者の真心から出たわずかな寄進、
またそれが極めて貴重であることの喩
たとえとする。
なお、由来譚は『三宝絵』以下諸書に引かれて、古来著名である。
「王の灯
ともしびは皆消えぬ。貧女が一つの灯、三たび消つに消えず」〔三宝絵下〕
「貧女が一灯といふ事、人ごとにこれを知れり」〔雑談集5〕
(『岩波仏教辞典(旧版)』)
帰りは、駅にある中華のお店で夕食。
この店でも母さんと食事をしたことがあります。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 2012年08月13日(月)
いつものようにお花をもとめて
両親、妹、姪の5人でお参りに来ました。
六時礼讃堂で回向をしていただきました。

盂蘭盆会万灯供養法要が行われていたので
万灯蝋燭に義弟の名前を書いて供養していただきました。

この頃母さんも元気だったので最後まで参加できました。