2017年8月7日月曜日

永遠の新人(織田作之助 4/4)

今日は台風五号の雨が降り続いているので家で大人しくしています(^_^;)

岸見一郎さんのTwitter(8月6日)に

若い頃、僕は自分について低い評価しかできなかった。
ところが、ある日、ふと母のことを思った。
母は私がどんな人間であっても、無条件に受け入れているはずだ、と。
これは不意に襲った感覚であり、理屈では説明できない。
母が鬼籍に入って何年もしてからのことだった。

織田作之助の「永遠の新人」(4/4)を転記します。
原文通りではありませんし、転記間違いがあると思います。

 新しい大阪は平和産業都市、貿易都市としての姿をやがて現わすだろう。
けれども、それと同時に、もし大阪人が真に今日の新人であるならば、新しい大阪は文化都市でなければなければならぬことに、いちはやく気づいているはずだ。
これからの日本は、文化を以て日本の国威を輝かすべきであることを、新しい大阪人は知っていよう。
そして、大阪人がこれまで如何に文化というものに冷淡であったかを、もう反省しているだろう。
されば、大阪人はかつて元禄時代の大阪が天下の台所であると同時に、天下の文化の中心地であった如く、新しい大阪を産業都市であると同時に文化都市にすべく、創意を凝らすであろう。
如何にすれば、文化都市になるか。
これは新しい工夫を要するところだ。
大阪人が果して新人であるかどうかを試す試金石がこれだ。
 また昔の話を持ち出すが、幕末時代住友家では千両の金にも困り、別子銅山を手離そうとした。
その時番頭の広瀬宰(さい)平があくまで別子銅山を手離さず、やがて住友家を隆盛に導いたが、その頃毎年正月になって、奉公人どもが「本年も相変りもせず……」と挨拶すると、広瀬宰平は「相変りもせずでは住友が困る、相変らねば住友はどうなることか。相変りますようといえ」といったということだ。
一寸臭みのある言葉だがこれは新人の言葉だ。
 まことに相変らぬようでは困るのだ。
例えば大阪人が変らぬ金儲け根性だけしか持たぬとすれば、ますます困るのだ。
これは骨董的存在だ。
骨董で想い出したが僕の住んでいる土地に二軒の薬屋がある。
一軒は随分盛大だが、一流品の薬は物物交換でなくては売らず三流品ばかりを売りつけるのみか、客に頭を下げたことがない。
亭主は年中怒(いか)った顔をしているのだ。
人間怒ると寿命が縮まるというから、店の奥にかくしている一流の薬を飲んでも、長寿(いき)はむつかしいだろう。
もう一軒の薬屋はさびれているが、ある日、僕は店の陳列棚にはいっている独逸製のビタミンC剤を買おうとすると、主人は、それは絶対の高級品だが、何分にも年数がたち過ぎている、ビタミンC剤は古くなると効かなくなるから、骨董品として買うならお買いなさいといってとめた。
この主人は今チフスで入院しているが、やがて治って帰って来るだろう。
そして、骨董的存在でない新しい大阪人として捲土重来するだろう。
 新しい大阪はこの薬屋の主人のような人や、そしてまた、傘屋の職人でも文学者でもあった人や質屋の番頭で発明家であった人のような風変りな人人が背負って立って行くだろう。
更にまた、市電の車掌となって大人の従業員の何倍も働いた幼い国民学校の少年少女(この子供たちを市電の労働に使ったということは、感心できぬ例だ)たちが、これからの大阪を背負うのだ。
骨董的存在の老朽、老獪、旧人は速(すみや)かに退陣して、これらの新人に席を譲るべきであろう。
 既に大阪には新しい灯が煌煌と輝き初めたではないか。
旧人よ去れ。
親に似ぬ子は鬼子というが、新人は常に旧人に似ぬ鬼子だ。
鬼子の新人を継子虐めさせぬためにも、旧人は退却して貰わねばならない。
新しい大阪のために――。
(『織田作之助全集 8』講談社 昭和45年)

広瀬宰平

何故、「永遠の新人」を転記したくなったのか。
大阪はもちろん中央まで「これまで如何に文化というものに冷淡であったかを、」反省していないからです。
例えば、世界遺産登録に向けた動きの中で世界中から来阪する人々に
歴史や文化を紹介しようとするよりも
「経済効果1000億円」という数字が大きく発表される。

文楽への冷淡な対応と違い、
世界中からお金を集めるためにカジノや万博の誘致
世界遺産の登録を推進しようとする
「金儲け根性だけしか持たぬ…骨董的存在」になっていると思います。

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