2017年8月5日土曜日

永遠の新人 (織田作之助 2/4) 

今朝もまだ喉に痛みがあったので耳鼻科を受診しました。
織田作之助の「永遠の新人」(2/4)を転記します。
(原文通りではありませんし、転記間違いあると思います)

 ここに僕は大阪人を見た。
大阪人と言ったのは、つまりは敲かれても敲かれてもへこたれぬ粘(ねば)り強さと、いつ如何なる時にも持前の朗かさを失わぬ生活への自信にかけては、どこの土地の人にもひけを取らぬ大阪人――という意味だ。
 なお一つの例――僕は、「起ち上る大阪」の中で、もと南海通りの波屋書房の主人三ちゃんのことを書いて置いた。
 三ちゃんは三月に焼出されたのだが、その時僕が、もう三ちゃんの店で雑誌や書籍を買えなくなったことを慨くと、三ちゃんは昻然として、阿呆いいなはんな、焼け出されたくらいで本屋をやめてしまうような自分ではない、今に見てくれと、いった――そのことを僕は書いて置いたのだ。
果たして三ちゃんは間もなく戎(えびす)橋通の表札屋の軒店を借りて、新刊書の本屋を開業した。
ささやかな店で、書籍の数も中学生の書棚くらいしかないが、それでもこの店は大阪の南で唯一軒の新刊書を商う店だと、三ちゃんは自慢している。
 更にまた防空壕の上に建てたバラックの中に住んでいる他アやん(仮名)という千日前の喫茶店の主人のこと、ある半分焼け残った教会の中で寝泊まりしながら、町会の仕事をしている梅本(実名)という町会長のことなどを、僕は書いて置いたが、この人達は今もバラックや教会の中で頑張っている。
他アやんのバラックには電燈もついている。
 そしてまた、僕はあの文章を書いてから間もなく、焦土の一隅で花を売る娘の姿を見た。
この大阪の花売娘の売る一輪の花は何を語ったのか。
「かたはらの秋草の花」の如く「亡びしものはなつかしきかな」という牧水流の感傷を語ったのではない。
この花こそ、大阪の叡智を語り、大阪の希望を語り、大阪の明るさを語ったのではなかろうか。
 希望といい、明るさといったが、一億相哭の秋風が蕭々と吹き荒ぶかの如きこの暗き世に、これらの言葉はあるいは空虚に響くかも知れない。
けれども、暗き世にもなお希望はあり、明るさはなければならぬ。
すくなくとも、それが大阪の叡智ではなかろうか。
(『織田作之助全集 8』講談社 昭和45年)

・「第1回大阪大空襲」(1945年3月13日~14日)

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