首相官邸の「和食」を紹介するYouTube動画
2分50秒あたりから「いただきます」と言って食事をする場面を見て
安倍首相が食事に気を使っているように見えますか?
「This is "Washoku," traditional dietary cultures of the Japanese!- 2013.12.20」(首相官邸)石垣のりこさんのTwitterに対して批判のコメントを見た時に
首相は前にも潰瘍性大腸炎で途中降板されたのだから食事には神経を使っているはず(自己管理)…
でも、首相動静などを見ても食事療法をしているように思えませんでした。
私は、潰瘍性大腸炎とは比較できないけど、心筋梗塞、大腸の憩室からの出血、胆のう摘出と入院を経験している。
心筋梗塞の後、退院する時に主治医にお酒を飲んでもいいですかと聞くと
指で「コップでこれくらい(10分の1程度)」と注意されました。
この暑い時期は、冷たいビールをグイッと飲むのを喜びに感じていましたが
以来、アルコール類は、ほとんど飲んだことがありません。
一度、下鴨神社の初えと祭でいただいたお神酒に酔ったのでビックリしました(2014年1月11日の記事)。
食事も脂っこいものは食べても少しだけにしています(お肉、大好きです)。
〝安倍首相が会見で語った「病状」が矛盾だらけ!…〟(LITER 8月29日)
9月1日
関東大震災により東京・横浜の大半が壊滅した。 1923(大正12)年
午前11時58分44秒、ゴーッという地鳴りとともにマグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。
昼食時で、日を使っている家が多く、東京の下町(したまち)と横浜一帯はまたたく間に火の海となった。
こわれたり焼けたりした家は55万戸、死者行方不明は10万におよんだ。
人々が不安におびえていた時、どこからともなく朝鮮人や社会主義者が騒乱をおこすという噂が流れた。
これにまどわされた民衆は各地で朝鮮人を虐殺し、その数はおよそ六千人にもおよんだ。
また警察や憲兵隊はこれに乗じて社会主義者も捕え虐殺した。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二 1979年)現在、新型コロナについて有益な情報だけでなく、デマも飛びまわっているように思います。
不安な時にいろいろな情報が入ってくると冷静に判断できないことが多いです。
今日は「防災の日」で、避難訓練が行われいるようですが
同時に、情報への対応も必要だと思います。
『日本の歴史23 大正デモクラシー』より「関東大震災 朝鮮人さわぎ」を転記しますφ(..)
関東大震災
朝鮮人さわぎ
警視庁へ2日の午前中から、きのうからの火事は不逞鮮人が放火したのだ、という流言蜚語(ひご)がつたえられていた。
午後3時ごろになると富坂(とみさか)署から暴行・放火の朝鮮人数名を検挙たとの報せがあり、正力松太郎(しょうりきまつたろう)官房主事が急行した。
それとほとんど同時に、神楽坂(かぐらざか)署からも不逞鮮人の放火現場を民衆が発見したとの報告がはいった。
4時ごろには大塚署長から、不逞鮮人が大塚火薬庫襲撃の目的で集合中との訴えありと、応援をもとめてきた。
(『日本の歴史23 大正デモクラシー』今井清一 中央公論社 昭和41年) 警視庁では、5時に「鮮人中不逞の挙についで放火その他兇暴なる行為に出ずる者あり」として厳重な取締りを命ずる命令を各署に出した。
6時ごろになると、渋谷署長から「銃器・兇器を携えた鮮人約二百名、玉川二子(ふたご)の渡しを渡って市内にむかって進行中との流言あり」との報告が到着し、世田谷(せたがや)・中野署長からも同様の報告がはいってきた。
警視庁では、渋谷・世田谷・品川等の各署にたいして、不穏の徒があれば署員を沿道に配置してこれを撃滅するよう命令をくだした。
個々の朝鮮人の放火・暴行から部隊での来襲へと流言が成長したのである。
だがその実は、神奈川県高津(たかつ)村で警備のために在郷軍人や消防夫を集めて半鐘を乱打したことが、対岸の世田谷方面での流言となり、そのため世田谷署から警官隊が急行したことが、さらに流言を大きくしたと、後日の調査でわかった。
警視庁では自動車、ポスター、メガホンなどによって朝鮮人来襲の報を全市にまきちらした。
内務省警保局長後藤文夫(ごとうふみお)は、2日の午後に騎馬伝令を船橋送信所に派遣し、つぎの電報を各地方長官にあてて打電させた。
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し不逞の目的を遂行せんとして、現に東京市内に於て爆弾を所持し石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に(中略)鮮人の行動に対しては厳密なる取締りを加えられたし」
朝鮮人暴動の流言は警察と軍隊の通信網によってつたえられた。
新聞も大書して報道し、この流言はたちまちのうちに全国にひろがった。
そのうえ、流言にはだんだんと尾ひれがついていった。 「朝鮮人は、二百十日から二百二十日までのあいだに東京を中心として暴動をおこなう計画をしていたが、たまたま大震災がおこったので、その混乱に乗じて計画を実行したのだ」「朝鮮人は隊を組み、首領が門や塀に印をつけると、手下の者が投弾・放火・投毒などをしてまわったのだ」。
この印は新聞配達や牛乳配達、清掃会社などが得意さきの目印につけた符号とわかった。
「こんどの暴動は、朝鮮人だけのたくらみでなく、社会主義者やロシアの過激派がうらで糸をひいているのだ」 冷静に考えてみれば、荒唐無稽(こうとうむけい)な話である。
震災の混乱のなかで、朝鮮人だけが連絡をとって暴動をおこせるはずはない。
寺田寅彦(てらだとらひこ)も述べているように、かりに市中の井戸の一割に毒を入れ、いちど飲んだだけで人を殺すかひどい目にあわせるだけの濃度にするとしたら、はたしてどれだけの分量の毒薬がいるか、市中のめぼしい建物に片っぱしから爆弾をなげこむとしたら、どれほどの爆弾と運搬の人手がいるか。
それだけの爆弾や毒薬を、震災がおこった瞬間にどうして調達できるのか。
この荒唐無稽な流言がなぜおこったのか。
震災による混乱のなかでは、すべてを失った民衆の不満や不安が政府や支配階級に向けられるおそれがある、これを防ぐために、朝鮮人や社会主義者への不安や恐怖心をかきたてて、これに憎しみを向けさせ、軍隊と警察による秩序の維持に民衆を協力させようとして、当局で計画的に放ったのだ、とよくいわれる。 当局が計画的に流言をつくりだしたという確証は見当らないようである。
だが朝鮮人や社会主義者を警戒し敵視していた警察官の活動が、この流言を誘発する役割をはたしたことは資料にも散見する。
さらに陸軍当局の流言調査には、「横浜の無警察状態を救済する応急手段として〇〇〇〇の好意的宣伝に基因するもの」「(東京)市内一般の秩序維持のため〇〇〇の好意的宣伝」が原因のうちにあげられている(東京市役所『東京震災録』前輯)。 流言は、発生と流布とが厳密に区別できない性格をもっている。
この流言は警察と軍隊の情報網にのせられることによって、いっさいの疑いを圧倒するような強力な流言となった。
地震と猛火に脅かされ、いっさいの情報からも断ち切られ、不安と飢えにと疲労に神経過敏の極にあった民衆は、「朝鮮人来襲」の報せをそのまま信じこんだ。
その背景には、日本が朝鮮を圧(おさ)えつけて朝鮮人のうらみをかっているのだという不安、朝鮮人にたいする差別にもとづく報復へのおそれがあった。
(『日本の歴史23 大正デモクラシー』今井清一 中央公論社 昭和41年)
「関東大震災」(動画 1分51秒)
#私は追悼します
小池氏が知事になって以来、都がいろいろ横やりをいれるようになったと思うのは間違いかな?
石原慎太郎氏でさえ追悼文を送ったのに…
今年はコロナ対策として無観客開催だそうです。
「お知らせ 9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」今朝の父の1枚です(^^)v
操作ボタンが小さいのですが、新しいコンデジに挑戦していました。
こころの時代「センス・オブ・ワンダーと生きて」を見て上遠恵子さんもお話しされていましたが
以前は、農薬は農産物の収穫を増やしてくれていいものだと思っていました。
終戦直後、DDTを体に直接噴霧していた…
「DDTと虱<時の話題>」(NHKアーカイブス 1946年)
レイチェル・カーソンの本は『沈黙の春』を読んだだけだったけど
『センス・オブ・ワンダー』も読んでみたくなりました。
石原慎太郎氏でさえ追悼文を送ったのに…
今年はコロナ対策として無観客開催だそうです。
「お知らせ 9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」今朝の父の1枚です(^^)v
操作ボタンが小さいのですが、新しいコンデジに挑戦していました。
こころの時代「センス・オブ・ワンダーと生きて」を見て上遠恵子さんもお話しされていましたが
以前は、農薬は農産物の収穫を増やしてくれていいものだと思っていました。
終戦直後、DDTを体に直接噴霧していた…
「DDTと虱<時の話題>」(NHKアーカイブス 1946年)
レイチェル・カーソンの本は『沈黙の春』を読んだだけだったけど
『センス・オブ・ワンダー』も読んでみたくなりました。