2025年11月30日日曜日

霜月晦日に六角堂~びーんず亭・伊藤若冲生家跡~柳小路などなど

烏丸通から六角通に入ると

 鐘楼堂 

 六角通りを隔て 飛地境内にあり 慶長10年(1605)豊太閤の臣堀尾吉晴(ほりおよしはる)の嫡男 忠氏(ただうじ)が寄進 
当時は一向宗による一向一揆 加茂川洪水や大火の際にこの鐘をついて 急を市民に知らせたと云う
 この鐘は 天明の大火で焼失 天保11年(1840)再鋳するも 第二次大戦に献納された
現存のものは昭和29年に再鋳復元 銘文は天保年間のものによる

 古銘に曰く

花外 蒲牢の響き
長安 半夜の天
撃つ人は盛徳を輝かし
聞く者は名纏(めいてん)を解く
朝に遠山の碧を渉り 
暮れに街市の烟(けむり)にむせぶ 
観音妙智力 
寿幾千年か算えん 
慶長拾乙巳の年 春季 如意珠の日
 頂法寺化鐘

     六角堂 頂法寺
六角堂を訪ねました。
 六角堂(ろっかくどう) 

 紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造(ほうぎょうづくり)であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。
 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告よってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。
早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場(現十八番の札所)となったと伝えられる。
建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根原となった。
 本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。
本堂前の六角形の礎石は臍(へそ)石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。
 また、本堂北の本坊は池坊(いけのぼう)と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。
現在も池坊華道の拠点となっている。
     京都市

(長年の風雨に晒されてかなり字が読みにくくなっていました。転記間違いがあると思います)
ズラッと並んだお地蔵様に笠ではなく可愛い手編みの帽子(?)
  わらべ地蔵 

このお地蔵さまは特に小さな子供を守っていたゞく為このようなお姿をされています。
こゝに安置するお地蔵さまは寝たお姿をされていたり立ったり座ったりしておられますがそれぞれに行を修しておられ禅定のお姿で私達を常に守って下さっているのです。
 一言願い地蔵 

このお地蔵さまは 少し首を傾(かし)げられた姿をされていますが
これは悩んでいらっしゃるわけではなく
お参りに来られた方の願いを叶えてあげようか どうしようかと と考えておられるお姿なのです
願いを聞き届けて頂けるかどうかは あなたの信心次第です
欲張らずに一つだけ願い事をして下さい
きっと叶えて下さることでしょう
 親鸞堂 見眞大師(親鸞上人) 

親鸞上人は、建仁元年(1201)二十九歳の時、毎夜叡山を下り、
この六角堂に百日参籠され、
夢中に四旬の偈文を授かり、浄土真宗の開祖となれた。
ここには、夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置する。
柳におみくじが結びつけられています。
というのも「縁結びの六角柳

その柳の下にあるのが
 へそ石 

桓武天皇の延暦12年(793)長岡京より平安京へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったため天皇が遷座を祈願されたところ御堂が自ら15丈(約15m)ばかり北へ退かれたという。
この石はその際に取り残された礎石であると伝える。
六角堂は下京の町衆の寄合の場であり場所も京都のほぼ中央に当たることから人体にたとえて「へそ石」とも「要(かなめ)石」とも呼ばれている。
祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「籤(くじ)取り式」も江戸末期まで六角堂において行われた。
当時は六角通りの中央にあったが、明治期境内に移された。
大香炉を支えている邪鬼たち
ついついご苦労さまと声をかけたくなるρ(^^)q
鴨さんの記事に

 六角堂でひとやすみ(2014年09月21日 日曜日)

今日は朝から快晴!
さわやかな気持ちのいい日になりました。

さて、京都の町の真ん中。
烏丸御池の近くにあります六角堂。
正式名称は頂法寺さん。

とかくご縁があり私のお念珠はこちらでいただいていますが
今日は新風館や千惣さんの用事がてら寄らせていただきました。

ご本尊さまにゆっくりお詣りし
鳩のおみくじを引いて六角柳に結んでひとやすみ。

気持ちのいい時間を過ごしてきました

鳩のおみくじです
次の目的地について写真を撮った後、フッと見ると
なんとその側にあったんだ!!!
びーんず亭
ドキュメント72時間「京都 コーヒー豆スタンドで一息を」(2021年6月25日 放送)

かなり歩いてきたのでホットコーヒーで一息いれてホッとしました(^_^)b
店の向かいで立ち飲みをしたのでふた無し(280円)
目的地は、「伊藤若冲の生家跡」(「伊藤若冲と錦市場」錦市場商店街)
観光客などで一杯でしたので錦市場の中に入るのを諦めました(^_^;

 伊藤若冲生家跡
 若冲と錦市場 


 伊藤若冲が京都錦の青物問屋の生まれという事実は広くしられている。
若冲が描く絵画のなかには蕪、大根、レンコン、茄子、カボチャなどが描かれ、菜蟲譜(さいちゅうふ)という巻物には、野菜だけではなく柘榴や蜜柑、桃といった果物までが描かれている。
 極め付けは、野菜涅槃図で、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図になぞらえて、中央に大根が横たわり、その周囲には、大根の死を嘆くさまざまな野菜や果物たちが描かれている。
このようなユニークな作品は、若冲が青物問屋を生家とすることに由来しているといわれる。
若冲は、次弟に家督を譲って、錦で絵画三昧の生活を送っていたとされていた。
 しかし、近年、あらたな史料が発見されたことにより、錦市場における若冲のイメージが一変した。
その史料とは「京都錦小路青物市場記録」というもので、明和8年(1771)から安永3年(1774)までの錦市場の動向を伝える史料である。
これによると、若冲は、錦市場の営業認可をめぐって、じつに細やかに、かつ、積極的に調整活動をおこなっている。
その結果、錦市場は窮状を脱することになるのだが、若冲のこのような実務的な側面は、これまでまったく知られていなかった。
 若冲は、文字通り青物問屋の主人として錦市場に生きていたのである。
 蛸薬師(たこやくし) 

 正しくは浄瑠璃山永福寺(じょうるりざんえいふくじ)といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像を安置している。
 昔、この寺が二条室町にあったころ、付近に池があったことから、水上(みなかみ)薬師又は澤薬師(たくやくし)と呼ばれ、これが訛(なま)って蛸薬師となったといわれている。
 また、一説には、この寺にいた善光(ぜんこう)という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母のために蛸(たこ)を買って帰るところを町の人に見とがめられ、箱を開けるよう求められたとき、薬師如来に「この難をお助けください」と念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)に変わり、難局を逃れたという。
 その後、母の病気も薬を飲まずに全治し、これは、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして、本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったと伝えられている。
 病気平癒の祈願のために参拝する人々でにぎわった参道は蛸薬師通と呼ばれるようになった。
     京都市

2014年に訪ねたときはなで薬師」を撮せたのですが、「被写体ではありません」と書かれていたので遠慮しました)
商店街の中を出たり入ったりしながら歩いていると
可愛い猫の箸置き「ねこ ごろん」を見つけたので妹と姪にお土産(^_^)b

京錦箸や万作 本店
学生時代などによくこの細い柳小路に入っていました
居酒屋「静」
学生時代、一緒に飲んでいた仲間がいなくなったと思ったら
隣の小さな座敷(?)で踊ったりして騒いでいました(*^▽^*)
2019年3月10日の記事で紹介しましたが中原中也がかって通っていたそうです(「政宗ホール」)
森見登美彦の『聖なる怠け者の冒険』に登場する「八兵衛明神
「静」に飲みにきていた頃、全く気づかなかった(^_^;

柳小路と八兵衛明神」(御二九と八さい はちべー
学生時代などに通っていた喫茶店「みゅーず」が閉店して大部経つ
そしてその横にあった大きな木も伐採されていた
春のような暖かい日差しで、途中、一枚脱ぎました。

30日は義弟の月命日(2008年9月30日)
2008年7月にくも膜下出血で緊急手術をしたのですが、一回目は驚異的な回復
でも、二回目、三回目と再発、長時間の緊急手術がおこなわれ
三回目の時、手術室に向かう義弟の悲しげな目が忘れられません。

そして2014年11月30日に鴨さんが旅立ちました。
鴨さんは余命三年と宣告されていた。
初め2011年9月にblogを読んだ時は、そんなことに気づかずに
京都の人にしか分からない情報を発信してくれていると楽しく読んでいました。

12月の100分de名著は、「キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」

2 件のコメント:

  1. こんにちは~

    今日はお天気予報通りに風が冷たいです。

    11月30日、ほんとうに小春日和で良かったです。(#^.^#)
    六角堂も行かれたのですね。
    西国さんなので、お詣りさせていただいたことがあります。
    びーんず亭、そうそうそうでした。
    72時間ドキュメントで紹介されていて、
    エブリさんにコーヒー豆を買ってもらったのでした。
    ホッとタイムには、格好の場所ですね。

    「ねこ ごろん」、みなさんお慶びになったことと思います。

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    1. カイさんコメントありがとうございます(^^)/
      今日は、本当に寒くて1月並みの寒さだとか…
      11月30日はカイさんも京都散歩をされていて
      小春日和でよかったですよね(^_^)v
      六角堂へは何度かお参りしてますが
      ゆっくりお参りしたのは今回が初めてのような気がします。

      びーんず亭は、テレビで見た後、エブリさんがお土産に買ってきた記事を読んでいつか行きたいなぁと思っていました。
      まさか若冲の生家跡のすぐそばだとは思いませんでした(^-^)

      金曜日に妹が姪を訪ねて神戸に行ったときお菓子をお土産に買ってきたので
      お菓子以外に何かないかなぁと考えていました。
      妹も姪もネコ好きなので買いました(^_^)v

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m