妹の話では普段、子どもや高齢者が多いのに
咳をした若い人が何人かいたそうです。
ここ数日の寒さで風邪(インフルエンザ?)に罹る人が多いのでしょうね。
今朝は、寒さがやわらぎ、小さなヒイラギの花が咲いていました。営業で回っている方かな?
ズボンに一杯ひっつき虫(アレチヌスビトハギ?)を付けてしまって取るのに苦労している方がいたから
ティッシュで拭くと意外と取れますよと声をかけました。
私も駐車場に戻りズボンくっついたひっつき虫をティッシュで軽く拭くと取れました。
(ウェットティッシュの方が効果があるようです)
服の生地にもよると思いますが…アレチヌスビトハギは外来種
NHKアカデミア「五箇公一(後編)ダニ博士が語る“人間社会の多様性”」
「外来種バスター」などの異名をもつ五箇公一(ごかこういち)さんの話
本当にそうだなと思った言葉をいくつか
「人間社会そのものは生物多様性なくしては持続的な発展はありえない」
「文化や社会を発展させる力」
現代は「異質性の排除」というのが簡単に黙認されるようになってしまっている。
「未来をつくるのは失われつつある人間の“利他性”」
再放送があります(11月25日 午後3:05~)ので、番組をご覧下さい(^^)/先日、「餅寅」で「光秀饅頭」をお土産に買いました。
以前、粒餡の方を食べたので今回は抹茶(白味噌餡)をいただきました(^_-)
「光秀饅頭と明智光秀の首塚」(吉村晋弥 京都旅屋 2012年7月5日)
服の生地にもよると思いますが…アレチヌスビトハギは外来種
NHKアカデミア「五箇公一(後編)ダニ博士が語る“人間社会の多様性”」
「外来種バスター」などの異名をもつ五箇公一(ごかこういち)さんの話
本当にそうだなと思った言葉をいくつか
「人間社会そのものは生物多様性なくしては持続的な発展はありえない」
「文化や社会を発展させる力」
現代は「異質性の排除」というのが簡単に黙認されるようになってしまっている。
「未来をつくるのは失われつつある人間の“利他性”」
再放送があります(11月25日 午後3:05~)ので、番組をご覧下さい(^^)/先日、「餅寅」で「光秀饅頭」をお土産に買いました。
以前、粒餡の方を食べたので今回は抹茶(白味噌餡)をいただきました(^_-)
「光秀饅頭と明智光秀の首塚」(吉村晋弥 京都旅屋 2012年7月5日)
石塔(首塚)ではなく祠を撮していました(^_^;
餡について
第3章 公家の流儀、武家の暮らし
京の菓子
餡と小倉餡
餡は多くの場合、菓子のなかに包み込まれている。
楊枝(ようじ)で切ってはじめてなかの餡がわかる。
予想どおりの色の餡のこともあれば、よい意味で期待が裏切られる色の餡が出てくるときもある。
また、柏餅のように餡の一部が「チラ見え」していたり、求肥(ぎゅうひ)を通して色が透けてみえたりするのも楽しい。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』佐藤洋一 中公新書 2022年) 和菓子の街だけのことはあって、京都には餡を作る店が多くある。
もちろん自分で餡を作る和菓子店、餅屋もあるが、小さな菓匠にはここに餡の製造を依頼しているところも多い。
むろん店や商品によって餡の性質は変わるので生産は受注生産のようなものである。 餡を使う和菓子は多岐に及ぶ。
茶席で使われる主菓子はもちろん、最中(もなか)、あんみつ、麩饅頭(ふまんじゅう)、餡餅、おはぎやぼたもち、団子、饅頭、などなど。
これらに使われる餡にはそれぞれ特徴がある。
これらに使われる餡にはそれぞれ特徴がある。
たとえば麩饅頭の餡はだいたいが水分を多く含み、どろどろの形状していて、食べるとき弾力のある生麩から餡がこぼれないような注意が要る。 こし餡、粒餡の区別もある。
粒餡とは、アズキの皮が破れないようによく煮詰めて砂糖などの甘みを加えたものをいう。
こし餡は、柔らかく煮たアズキを布で漉して皮などをとり除き、得られた汁を煮詰めたものをいう。
それぞれに用途が異なり、また好みも人それぞれだが、作るのに手間暇のかかる食品のひとつである。 粒餡を小倉餡と呼ぶことがある。
京都で小倉餡と呼ばれるようになったことには砂糖の普及が関係しているようで、だとすれば餡のおこりは中世末ころのことになる。
小倉餡の発祥はいつだろうか。
京都市右京区の小倉山のふもとにある天台宗の寺院「二尊院」の境内にある「小倉餡発祥地」の碑には、そのおこりが9世紀にまでさかのぼると書かれている。
碑の建立は2005年(平成17年)3月。
建てたのは市内で銘菓「八ッ橋」を作る店のひとつ「井筒(いづつ)八ッ橋」の第六代目社長津田佐兵衛(つださへえ)氏である。
二尊院から南に歩いて数分のところには、京都市が管理している畑があって、そこでNPOが大納言(だいなごん)という品種のアズキを栽培している。
大納言アズキで作った餡を残すための取り組みである。 小倉餡のおこりにはもうひとつ説がある。
「小倉野(おぐらの)」という生菓子がある。
餡玉、または求肥でくるんだ餡玉の周囲に蜜で煮たアズキなどをびっしりと張り付けたものだ(虎屋<とらや>のウェブサイトなどによる)。
餡と煮小豆が混ざるわけで、それが「小倉餡」の名の由来になったということだろう。
ただし、小倉野の名前の由来がシカの斑点(はんてん<鹿の子(かのこ)>)に似ていることにあるのだとすれば、それはやはり小倉という地名に関連があるということになりそうだ。
というのも、古代から中世の京にあっては、シカといえば小倉山の代名詞であった。
小倉山峰たちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき
紀貫之(きのつらゆき) 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
猿丸太夫(さるまるだゆう)
猿丸太夫のこの歌の舞台は「奥山」であるが、この歌は小倉百人一首にも選ばれた名歌で、シカと小倉山は密接な関係にあったことがわかる。
百人一首を選んだ藤原定家(ふじわらのさだいえ)の庵(いおり)も、小倉山の山中にあった。
どちらの説も根拠となる記録に乏しく、本当のところはわからない。 なお、餡の原料となるアズキはいまは大半が輸入されているが、一部では北海道産のアズキが使われている。
京都にも、規模は小さいながら産地があり、そこでは「大納言」という品種のが栽培されている。
それらは「丹波大納言」という名で流通しているが、丹波大納言のなかでも亀岡市馬路(うまじ)地区で生産されるアズキは「馬路大納言」と呼ばれる名品とされる。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』佐藤洋一 中公新書 2022年)
「馬路大納言とは」(馬路大納言活性化委員会)今朝の父の一枚です(^^)/
今年のカキは、シワシワの実になっていると嘆いていました。
これは、今年の猛暑と少雨のためだと思いますし、
猛暑と降水量が少なかったことも原因していると思うのが
〝広島「かき大量死」 農水相 “原因究明 経営支援に全力”〟(NHK)
クマの出没も温暖化が影響していると思うのですが
「ブナ 実りの周期変化 クマの個体数増加に影響か」(NHK 11月13日)
「巻の四 鵼」つづき
この入道が一代の名誉としたところは、およそ三十年前にあたる近衛(このえ)天皇時代の仁平(にんぺい)の頃、天皇が夜ごとにおびえて気絶することがあった。
祈禱(きとう)に効験のある高僧や貴僧をよんで、大法、秘法といった修法をおこなわせたが、一向にしるしがない。
主上のお悩みは丑(うし)の剋(こく)、午前二時頃にかぎってのことだが、東三条の森の方角から一むらの黒雲が御殿の屋根に飛来して覆(おお)いかぶさるとみる間に、きまって主上のおびえがはじまる。
それで公卿(くぎょう)達が会議をひらいて相談した。
むかし寛治(かんじ)のころ堀河天皇のお時分、おなじく天皇が夜な夜なおびえなされることがあった。
時の将軍義家朝臣(よしいえあそん)は、紫宸殿(ししんでん)の広縁に祗候(しこう)していたが、御悩の刻限がくると、弓のつるをひき鳴らすこと三度の後、大音声(おんじょう)をあげ、「前陸奥守源義家(さきのむつのかみみなもとのよしいえ)」と呼ばわると、人々はその声に身の毛の総立つ感じがしたが、同時に主上のお悩みもやんだ。
…つづく…
(『日本文学全集4 平家物語』中山義秀訳 河出書房 昭和42年)
餡について
第3章 公家の流儀、武家の暮らし
京の菓子
餡と小倉餡
餡は多くの場合、菓子のなかに包み込まれている。
楊枝(ようじ)で切ってはじめてなかの餡がわかる。
予想どおりの色の餡のこともあれば、よい意味で期待が裏切られる色の餡が出てくるときもある。
また、柏餅のように餡の一部が「チラ見え」していたり、求肥(ぎゅうひ)を通して色が透けてみえたりするのも楽しい。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』佐藤洋一 中公新書 2022年) 和菓子の街だけのことはあって、京都には餡を作る店が多くある。
もちろん自分で餡を作る和菓子店、餅屋もあるが、小さな菓匠にはここに餡の製造を依頼しているところも多い。
むろん店や商品によって餡の性質は変わるので生産は受注生産のようなものである。 餡を使う和菓子は多岐に及ぶ。
茶席で使われる主菓子はもちろん、最中(もなか)、あんみつ、麩饅頭(ふまんじゅう)、餡餅、おはぎやぼたもち、団子、饅頭、などなど。
これらに使われる餡にはそれぞれ特徴がある。
これらに使われる餡にはそれぞれ特徴がある。
たとえば麩饅頭の餡はだいたいが水分を多く含み、どろどろの形状していて、食べるとき弾力のある生麩から餡がこぼれないような注意が要る。 こし餡、粒餡の区別もある。
粒餡とは、アズキの皮が破れないようによく煮詰めて砂糖などの甘みを加えたものをいう。
こし餡は、柔らかく煮たアズキを布で漉して皮などをとり除き、得られた汁を煮詰めたものをいう。
それぞれに用途が異なり、また好みも人それぞれだが、作るのに手間暇のかかる食品のひとつである。 粒餡を小倉餡と呼ぶことがある。
京都で小倉餡と呼ばれるようになったことには砂糖の普及が関係しているようで、だとすれば餡のおこりは中世末ころのことになる。
小倉餡の発祥はいつだろうか。
京都市右京区の小倉山のふもとにある天台宗の寺院「二尊院」の境内にある「小倉餡発祥地」の碑には、そのおこりが9世紀にまでさかのぼると書かれている。
碑の建立は2005年(平成17年)3月。
建てたのは市内で銘菓「八ッ橋」を作る店のひとつ「井筒(いづつ)八ッ橋」の第六代目社長津田佐兵衛(つださへえ)氏である。
二尊院から南に歩いて数分のところには、京都市が管理している畑があって、そこでNPOが大納言(だいなごん)という品種のアズキを栽培している。
大納言アズキで作った餡を残すための取り組みである。 小倉餡のおこりにはもうひとつ説がある。
「小倉野(おぐらの)」という生菓子がある。
餡玉、または求肥でくるんだ餡玉の周囲に蜜で煮たアズキなどをびっしりと張り付けたものだ(虎屋<とらや>のウェブサイトなどによる)。
餡と煮小豆が混ざるわけで、それが「小倉餡」の名の由来になったということだろう。
ただし、小倉野の名前の由来がシカの斑点(はんてん<鹿の子(かのこ)>)に似ていることにあるのだとすれば、それはやはり小倉という地名に関連があるということになりそうだ。
というのも、古代から中世の京にあっては、シカといえば小倉山の代名詞であった。
小倉山峰たちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき
紀貫之(きのつらゆき) 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
猿丸太夫(さるまるだゆう)
猿丸太夫のこの歌の舞台は「奥山」であるが、この歌は小倉百人一首にも選ばれた名歌で、シカと小倉山は密接な関係にあったことがわかる。
百人一首を選んだ藤原定家(ふじわらのさだいえ)の庵(いおり)も、小倉山の山中にあった。
どちらの説も根拠となる記録に乏しく、本当のところはわからない。 なお、餡の原料となるアズキはいまは大半が輸入されているが、一部では北海道産のアズキが使われている。
京都にも、規模は小さいながら産地があり、そこでは「大納言」という品種のが栽培されている。
それらは「丹波大納言」という名で流通しているが、丹波大納言のなかでも亀岡市馬路(うまじ)地区で生産されるアズキは「馬路大納言」と呼ばれる名品とされる。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』佐藤洋一 中公新書 2022年)
「馬路大納言とは」(馬路大納言活性化委員会)今朝の父の一枚です(^^)/
今年のカキは、シワシワの実になっていると嘆いていました。
これは、今年の猛暑と少雨のためだと思いますし、
猛暑と降水量が少なかったことも原因していると思うのが
〝広島「かき大量死」 農水相 “原因究明 経営支援に全力”〟(NHK)
クマの出没も温暖化が影響していると思うのですが
「ブナ 実りの周期変化 クマの個体数増加に影響か」(NHK 11月13日)
「巻の四 鵼」つづき
この入道が一代の名誉としたところは、およそ三十年前にあたる近衛(このえ)天皇時代の仁平(にんぺい)の頃、天皇が夜ごとにおびえて気絶することがあった。
祈禱(きとう)に効験のある高僧や貴僧をよんで、大法、秘法といった修法をおこなわせたが、一向にしるしがない。
主上のお悩みは丑(うし)の剋(こく)、午前二時頃にかぎってのことだが、東三条の森の方角から一むらの黒雲が御殿の屋根に飛来して覆(おお)いかぶさるとみる間に、きまって主上のおびえがはじまる。
それで公卿(くぎょう)達が会議をひらいて相談した。
むかし寛治(かんじ)のころ堀河天皇のお時分、おなじく天皇が夜な夜なおびえなされることがあった。
時の将軍義家朝臣(よしいえあそん)は、紫宸殿(ししんでん)の広縁に祗候(しこう)していたが、御悩の刻限がくると、弓のつるをひき鳴らすこと三度の後、大音声(おんじょう)をあげ、「前陸奥守源義家(さきのむつのかみみなもとのよしいえ)」と呼ばわると、人々はその声に身の毛の総立つ感じがしたが、同時に主上のお悩みもやんだ。
…つづく…
(『日本文学全集4 平家物語』中山義秀訳 河出書房 昭和42年)










