2021年5月23日日曜日

今朝も…

今朝もパソコンを起動させると重いなと思って設定をみると
あるはあるは…(-_-;)
インストールをしている時間が長いだろうとリハビリ散歩に出かけました。
いつもより短めにして帰ってくると再起動待ちでした。
やっと終わって、夕方に記事をアップする用意をしていると今度は「トロイの木馬」の警告…
ケーブルを外してフルスキャンを実行しました。
何も見つからなかったら自動で終了するボタンをクリックしました。
夜中にチェックするとシャットダウンしていて、朝に確認すると感染していませんでした。
(昨日アップする予定だったので日付は23日です)
カルガモの親子がいる池のそばを通ると、後で来る仲間に両手で大きな丸を合図している方がいました。
毎年、カルガモの親子に会えるのを楽しみにしているのですが
カラスにヒナがやられてしまっています。
今朝、鳥の撮影をしている方にお話を聞くと、はじめはヒナが8羽いたそうです。
SWITCHインタビュー 達人達「伍代夏子×高砂淳二
伍代夏子さんが写真を撮っているのを知らなかったけど、一緒に録画を見ていた父が感動していました。
伍代夏子さんのインスタグラムには素敵な写真がいっぱいです。
伍代さんが「だるまさんがころんだ」と言いながら楽しそうに撮っていたのはツグミだと思います。
それにしてもあの細腕で超望遠レンズを手持ち撮影されているのはスゴイ!
公園で見かける女性の野鳥愛好家のみなさんも超望遠レンズを手持ちで撮影されている。
私は90mmマクロレンズでも重いのに(^^;

高砂淳二さんの話も興味深かったなぁ。
これまた父と一緒に感動していました。
番組の最後のほうで高砂さんが話していたのは
(カナダのセントローレンス湾で出会ったタテゴトアザラシの赤ちゃんについて)

「目の所に涙がピュッとあって。うわあ…これ何か泣いているわと。
本当に悲しくて泣いてるんじゃないんですけど
何か、まあ、泣いてるなって人は思うじゃないですか。
まあ、乗っかってるのは氷…流氷なんですね。
下は海で、そこに浮いている氷なんですけれども。
最近の温暖化でね。氷が、どんどん、どんどん、とけて。
このときも、結局、最終的には…
この子たちが巣立っていくまでに4週間、氷が必要なんですけど2週間ぐらいで、氷がもうなくなっちゃって
それで、この子たちは、たぶん、そのあと死んじゃっただろうっていわれているんですね。
そういう…本当、毎年毎年、だんだんそういう問題が、どんどんひどくなって。
今年は、この氷が、全然なかったらしいんですね。」
 疣
   三

 町にはいると、二人は、じぶんたちが、きふにみすぼらしくなつてしまつたやうに思へました。
 これでは帽子の徽章を見なくても、山家(やまが)から出て来たことはわかるでせう。
第一、町の人は、こんなふうに、魂をぬかれたやうに、きよろんきよろんとあたりを見てゐたり、荷馬車にぶつかりさうになつてどなりつけられたりはしません。
ところが、この、きよろんきよろんが二人ともやめられないのでした。
(『校定 新美南吉全集 第二巻』大日本図書株式会社 1980年)
 二人は、心の中では一つの不安を感じてゐました。
それは町の子供につかまつて、いじめられやしないか、といふことでした。
だから二人は心をはりつめ、びくびくし、なるべく、子供のゐないやうなところを選んでいきました。
 同盟書林(どうめいしよりん)といふ大きな本屋の前を通りすぎて、少しいつてから、東へはいるせまい露路(ろぢ)中に克巳の家はありました。
そこで、同盟書林をすぎると二人は、首を鵝鳥(がてう)のやうにのばして、どんな細い露路ものぞきこみました。
路もない、たゞ家と家の間になつてゐるところまでのぞきこみました。
 そのうちに、杉作が、
「あツ、こゝだ。」
と、落した財布(さいふ)でも見つけたやうに叫びました。
なるほどその小路の中程に、紅と白のねぢ飴の形をした床屋の看板が見えました――克巳の家は床屋さんでした。
 二人は、幸運のしつぽを、たしかに掴(つか)んだ人のやうに、あわてずに、すゝんでいきました。
竹切れはぬいてすてました。
重箱は松吉が持ちました。
松吉は口の中で、向かふで言ふやうに、お母さんから教へられて来たことを復習しました。
 店の前までくると、入口の擦硝子(すりがらす)の大戸の前には、冬の午後の、かじかんだ日ざしをうけて、一つ一つの葉の先に、刺(とげ)のある蘭(らん)の小さな鉢が二つおいてありました。
蘭の根もとには卵の殻(から)が伏せてあつて、それに道の埃がつもつて、うそ寒いやうに見えました。
しかし店の中は、擦硝子で、よくは見えませんが、温かさうな湯気が立つてゐます。
そこには、優しいをばさん、をぢさん、懐(なつか)しい克巳がゐるのです。
 重い硝子戸をあけて中にはいりますと、をぢさんがひとり、畳のしいてあるところに、仰向けにひつくりかへつて、新聞を読んでゐました。
こちらの方では、丸い銀の頭をぴかぴかに磨きあげられたタオル蒸しが、ひとりで、ジユーン、ジユーンと湯気をふいてゐました。
 をじさんは新聞を読みながら、うとうとしてゐたらしく、しばらく、そのままでゐましたが、やがて、人のけはひに驚いて、ガバツと新聞をはねのけ、起き上がりました。
それを見て二人はびつくりしました。
をぢさんではなかつのです。
  それは二人の村の、鍛冶屋(かぢや)の三男の小平(こへい)さんでした。
小平さんはその前の年の春頃、学校を卒業しました。
さういへば、いつか、小平さんが町の床屋さんへ小僧に行つた、といふことをきいたやうな気もします。
 二人は、つくづくと小平さんの顔と姿をうちながめました。
 小平さんは何となく大人くさくなりました。
色が白くなり、あごのあたりが肥えて来たやうでした。
頭も、床屋に来たからでせうが、四角なかつかうにきれいに刈りこんでゐます。
もとから、あまり口をきないで、眼を細くしてにこにこしてゐました。
そのくせ、人のうしろから、よくいたづらをしました。
いちど松吉は耳の中へ小豆を入れられてこまつたことがありました。
あゝいふことを、小平さんはいまでも覚えてるかしらん、忘れてしまつたかしらん――ともかくいまも小平さんは、白いうはつぱりのポケツトに両手を入れて、二人を見ながら、にこにこしてゐます。
(『校定 新美南吉全集 第二巻』大日本図書株式会社 1980年)

つづく…