2021年5月10日月曜日

シャツ一枚でも

今朝は、9時ごろにリハビリ散歩を始めたので暑かった…(^-^;
途中で上着を脱いでシャツ一枚になりました。
暑がりだけど真夏でも長袖、と言うのも虫よけです(蚊↑がもう飛んでいました)。
和歌山県のスマートフォン用の防災アプリがグランプリ受賞」(関西NHK 5月9日)

「和歌山県防災ナビ」アプリについて〟(和歌山県)

テレビには和歌山県知事はあまり出ないけど実績を上げていますよね。
昨日の県全体の感染者数を見ても私の住んでいる市とあまり変わらない。
はじめ「和歌山県」でなく「和歌山市」の感染者数と勘違いしたくらい

新型コロナ 和歌山県で新たに17人の感染確認 計2359人」(関西NHK 5月9日)

【5月9日】新型コロナウイルス感染症患者の発生及び死亡について」(大阪府)
 平野啓一郎さんのTwitterに

どうしようもない内閣官房参与の更迭なんかより、内閣まるごと退陣すべきだろう。
これだけの失政続きで、何の責任も取ってない。


内閣官房参与のTwitterを見て、こんな人が参与ならコロナ対応が悲惨な状況になるのは必至。

日本はこの程度の「さざ波」。
これで五輪中止とかいうと笑笑

先日亡くなった叔母、従兄弟は見舞いどころか、最後のお別れもできず遺骨との対面になりました。
人の哀しみを感じることができない人間が内閣の相談役なんですから。
かつては大阪市の特別顧問だったようです。

橋下氏の自粛要請に応じず 藤井聡氏の出演「続投」明言 朝日放送 〟(産経新聞 2015年3月18日)
安田菜津紀さんのTwitterに

沖縄での遺骨収集の現場に一緒に取材に行った、福島県大熊町の木村紀夫さんからです。
「命が一番大切と素直に言える世の中になりますように!福島の帰還困難区域から願っています!」

#沖縄の声を運んでください

そして
麻生財務相 “赤木ファイル”の存在「知ったのはかなり前」〟(NHK)
家族の哀しみをなんとも思わない人の集まりだな…
この人がいう「民度」ってどういう意味なんだろう。
個人のプライバシーの保護の観点から、マスキング処理の必要性がある
ご自分と前首相の都合の悪いことは黒塗りなんだろ。
5月10日
 新貨条例が公布され、貨幣の統一がはかられた。 1871(明治4)年

 明治政府が誕生して間もないころは、種々雑多な貨幣が使われていた。
金貨・銀貨もあれば銅銭(どうせん)とか鉄銭(てつせん)もあり、旧藩内だけで使われた紙幣もあった。
材料や形もさまざまで、全国で同じように使うにはたいへん不便であった。
 この日公布された新貨条例は、その弊害をとり除き、金本位制とするためであった。
新貨幣は、単位を円・銭・厘(りん<1円=百銭=千厘>)に統一し、すべて円形にした。
かつての1両を1円とし、純金1.5グラムを1円とした。
 貨幣の種類は、金貨が20円―1円の5種類、銀貨が1円―5銭の5種類、銅貨が1銭・半銭・1厘の3種類であった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

貨幣の歴史学 11 円の誕生」(「にちぎん」No.19 粕谷誠 2009年)
この貨幣の統一には、明治政府の国際的な信用がまるでなかったということがあります。
今回、オリンピックで再び国際的な信用がなくなりそうです。
菅首相“宣言延長は感染高水準で判断”“五輪パラ実現が責務”」(NHK)
廃藩置県
 悪貨・贋貨問題


 鉄道利権といい租借地とい、このように早く回収しておかなかったら、諸外国が最恵国待遇条項により、同様の利権を要求してきたときに拒否するのが困難となり、日本は列国の半植民地化される危険が大きかった。
その危険を早く防いだのは、国辱の現実をありのままにみとめ、ごまかそうとしない新政府の民族的自覚のたまものであった。
外国に対する日本の国権をまもることには、このように敏感であった政府も、日本国内で国民の利益をまもることについては、すこしも誠実ではなかった。
そのために、外交上にも大屈辱を受けることも少なくなかった。
さきにのべた天主教徒問題もそれであるが、二分金・一分銀の贋貨・悪貨問題をめぐる外交はその典型であった。
(『日本の歴史20 明治維新』井上清 中公文庫 2006年改版)
 前にのべたように、元年の戦争中に、政府自身も、薩摩・筑前(ちくぜん)・土佐などの大藩も、さかんに贋貨・悪貨をつくり使用した(155頁参照)が、それは日本国民に大損害を与えたのみでなく、外国商人らにも損害を与えた。
そこで2年正月、パークスとフランス公使ウートレーを先頭に、外交団は、政府に悪貨・贋貨の取締りと、外国人所有のそれらの正貨との引替えを要求してきた。
政府は、それは政府の責任にあらずといいのがれようとしたが、パークスらが承知するわけがない。
はじめにその交渉に当たった外国官知事伊達宗城(だてむねなり)は、パークスにあまりにも罵倒され、どなりつけられる屈辱にたえかねて辞職した(2年5月)。
7月には外交団は、右大臣三条実美(さんじょうさねとみ)・大納言岩倉具視・外務卿沢宣嘉(のぶよし)・同大輔寺島宗則(むねのり)・大蔵大輔大隈重信を同時によびつけて、ただちに問題解決をせまった。
 日本の外交権は中央政府のみにしかないから、諸藩の使った贋貨であろうと、それによって外国人に損害を与えたならば、政府は責任をとらざるをえない。
ついに17日、日本側で通用させた悪貨・贋貨で外国人所持の分は、すべて一対一で正貨と引き換えることを約束した。
当時外国人所有の二分金だけで総額82万8812両のうち、33万4925両が正貨に引き替えられた。
このなかには外国人が急いで安く買い集めた贋貨・悪貨も少なくなかった。
外国公使にどなられるまでもなく、日本政府は国民にたいする責任として、贋貨・悪貨は最初から厳重に取り締まるべきであるのに、それをしないから外国に侮辱され、不当な利益をうばわれるのであった。
 悪貨・贋貨の引替えは、外国人にたいしてだけ行い、日本国民にたいしてはしないというわけにはいかない。
そこで政府は同年10月から翌年3月まで、銀台にめっきした二分金にかぎって、その百両を太政官札三十両に引き替えることにし、期間終了後はその通用を禁止した。
当時、大阪の両替商人はこの措置を批判していう、銀台二分金百両を分析すれば太政官札百二十両に当たる、「もし政府をこれを知らずして(三十両と引替えを)なさば、役人愚にして人民また愚といべし。もし役人密かに知りながらこの布令を出せしならば、愚民を欺き非道の利をむさぼるもの」と。
したがって、この引替えおよび今後の悪貨通用禁止をめぐって、信州の上田(うえだ)・松代(まつしろ)と飯田(いいだ)、美濃の土岐(とき)、豊後の岡(おか)、摂津の高槻(たかつき)など各地に大一揆がおこったのも当然であった。
 なおまた、政府はパークスの勧告により、2年6月、イギリスの東洋銀行と契約して、同行推薦の造幣技師をやといいれ、イギリスから鋳造機械を買い、大阪に造幣所をもうけることにした。
その契約は、「日本政府は東洋銀行および雇傭外国人に報知せずして、造幣所より貨幣を搬出し、もしくは鋳造せざるべし」その他、日本の鋳貨権をイギリスが細部にいたるまで監督する植民地的契約であった。
 この造幣所は3年10月完成した。
そこで新鋳された金・銀・銅貨はみな円形で、金貨は二十円・十円・五円・二円・一円の5種、銀貨は五十銭・二十銭・十銭・五銭の4種、銅貨は一銭・半銭・一厘の3種であった。
日本の通貨で、円・銭・厘の単位と十進法がきまったのは、このときからである。
  このほか外交上の重大問題には、樺太(からふと)・千島(ちしま)における日露の国境画定問題と、朝鮮および清国との国交問題があるが、それらについては後に章を改めてのべることとする。
(『日本の歴史20 明治維新』井上清 中公文庫 2006年改版)
今朝の父の一枚です(^^)v
スズメがなんかのんびりとおしゃべりをしているみたいです。

スズメは昆虫シーズンに子育てをする

 スズメやカワラヒワのように植物を食べる鳥でも、ひなには昆虫など動物質の食べ物を与えるのがほとんどです。
関東地方で繁殖するスズメなら、3月末から4月のはじめくらいから巣づくりをはじめ、卵を産み、温め、5月のはじめごろには卵から孵ったひなたちにせっせと餌を運びます。
 ひなの期間が長いほど敵にねらわれるリスクが高まるので、孵化して2週間ちょっとの期間に、骨をつくり、翼をつくり、筋肉をつくり、成鳥と同じくらいの大きさになって、さらに飛べるようにならなくてはなりません。
そのため、たんぱく質が豊富な動物質の餌が必要で、昆虫がわんさか増える初夏ののころにひなが食べ盛り、というタイミングで繁殖するのです。
食べ盛りの子供がお肉大好きなのは、ヒトも鳥も変わりません。
(後略)
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)