2020年3月9日月曜日

今日が…

昨日の予報では、朝の気温が低いと言っていたけど
朝から暖かかったです。
ムラサキシジミに今年、初めて出会った。
5日が啓蟄(けいちつ)でしたが、あの日は、寒かったので、
今日が啓蟄みたいでした(*´▽`*)
おかげで花粉の飛散量も多い。
6日、土曜日に歯科を受診した時、
先生に「花粉症なのでクシャミが出そうになったら手を上げますと」と自己申告しました(^-^;
同じ土曜日だけど首相も事前に告知していたら誤解されずに済んだ。
それにしても人に言ってもらうことかな?
せき込む首相、議場ざわざわ…」(朝日新聞)
新型ウイルス 感染力に差がある2つの型に分類 中国研究チーム」(NHK)
インフルエンザは、A型、B型、C型があり、一度かかった人でも再度、発病するよね。
若い人が軽く済むというけど、中には重篤な人もいる。
(若者の中には、自分たちは軽くすむと信じているのが多いのと違うかな?)
また、陰性になった人が陽性になったことも
2つの型があるというのであれば納得できる。

【A型・B型・C型】インフルエンザの種類とそれぞれの症状について」(明治)
3月9日 
 わが国ではじめて記念切手が発行された。 1894(明治27)年
 明治天皇の銀婚式を記念してこの日、わが国ではじめての記念切手が発行された。
切手は2種類、両方とも図案は同じで、色だけがちがった。
この切手は、ある外国人が新聞に、「天皇陛下の銀婚式を記念して、わずかな代金でだれでも入手できる切手を発行したらどうか」と投書がきっかけとなり、短期間で作られた。
記念切手を求めるために各郵便局には徹夜の行列ができ、当日発行分は午前7時前後には売り切れた。
戦前の記念切手は、皇室関係のものが大部分を占めたが、この切手は「明治銀婚」と呼ばれ珍重されている。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

切手の豆知識 記念切手」(切手の博物館)
3月6日の記事の中で去年、自殺された方が2万人ほどと書きました。
顔見知りの方が、以前は、3万人もいたことを覚えておられた。
自殺対策支援センターライフリンク 「自殺者統計」
この公園でも自殺された方がいます。
2013年10月22日の記事
ジェンダーの心理学(旧版)』に載っていたのが

男は黙って死んでいく
 表5-2(出所:厚生省「平成9年人口動態統計」より…省略)は、1997年の男女の死亡原因を示したものである。
死因の上位3位は、男女ともに、悪性新生物(ガン)、心疾患、脳血管疾患が占めている。
しかし、表には示してないが、細かく見ていくと肺ガン、胃ガン、肝ガンで死ぬ男性は女性の2倍前後いるし、肝硬変、心筋こうそくなどでも男性の方がたくさん死んでいる。
一方、男性よりも女性に多い死因には老衰があげられる。
このような性差は、生物学的な違いに基づくところもあるだろう。
しかし、会社人間として仕事に追われストレスをため、病院に行く時間もないほど「男らしさ」を追求しようとする男性と、そうした「男らしさ」を要求されない女性の、生活スタイルの違いを反映しているところも大きい。
また、男性が「体調が悪い」などと言うことは肉体的なタフさの基準に反しているため、病院に行ったときは手遅れであったという理由も考えられる。
 ところで、男女で大きく異なる死因の一つに不慮の事故や自殺がある。
1994年の男性の自殺率は、人口10万人に対して23.1、女性は10.9である。
特に、中高年の自殺率はかなり男女差が大きい。
例えば、35歳から44歳では男性が24.1であるのに対して、女性は8.2、45歳から54歳では男性が35.6であるのに対して、女性は12.0となっている(厚生統計協会『国民衛生の動向(1996)年』より)。
このように、男性は女性の2~3倍多く自殺している。
伊藤(『男性学入門』 作品社 1996)は、男性がステレオタイプに縛られあえいでいる様子を「男らしさの鎧」という言葉で表している。
男性は「男らしさの鎧」を身にまとい、泣き言も言えず、誰かに頼ることもできず、追い詰められて、死という手段をとってしまうのであろう。
(『ジェンダーの心理学(旧版)』青野篤子他 ミネルヴァ書房 1999年)

 「人口動態統計(確定数)の概況」(厚生労働省)
昨日、雨で散歩を休んだので紹介できませんでしたが

3月8日 
  国際婦人デーの日本最初の集会が東京でひらかれた。 1923(大正12)年
 午後7時、東京神田の青年会館で日本ではじめて国際婦人デーの集会がもたれた。
山川菊枝(きくえ)など社会主義者の婦人有志が中心で種蒔(たねま)き社が後援したこの会は、1万枚のビラや7百枚のポスターの宣伝も利いて、会場は立錐(りっすい)の余地もないほどの盛況であった。
1902年、アメリカの婦人労働者がパンと参政権を要求して行なったデモを記念してはじまったこの行事で、労働組合の代表や女子学生が婦人の現状について訴えた。
しかし警官の制止で、会はわずか40分で解散させられた。
雑誌『種蒔く人』は「新しい芽は既に重苦しい岩石の下から力強く頭を擡(もた)げた」と、この日の意義を記した。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

関連して岩波書店のTwitter

「若い女性が環境保護運動の担い手として登場したのは素晴らしいこと」「嘆き、愛し、希望を持つ、そんな気持ちにさせる呼びかけ」
VOGUEに『これがすべてを変える―資本主義VS.気候変動』著者ナオミ・クラインのインタビューが掲載されました。

インタビュー記事は多くの人に読んでほしいな!
女性たちの気候危機に対する活動に目を向けて」(BY EMILY CHAN VOGUE)
マラソン五輪内定 一山が会見『スピード持続力をつけたい』」(NHK)
オリンピックに向けて調整している選手のみなさんはやきもきしているだろうな…
前から、東京で真夏にオリンピックを開催することについて無茶だと書いてきたけど
4年に一度の大会に向けて努力してきた選手のことを思うと気の毒になる。
浅田真央さんが年齢制限でトリノ五輪に出場できなかった。
あの時に出場出来たら金メダルだったかもしれない。
また、ソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議してモスクワ大会をボイコットしたこともある。

あれから37年… モスクワ五輪ボイコットとその後」(日経新聞 2017年10月25日)
プレゼンテーションでアンダーコントロールできているとホラを吹いた首相。
三浦英之さんの3月8日のTwitterを読むと、首相は、正確な発信をしたそうです。
原発事故で苦しんでいる人たちの中で活動している記者は
ジャーナリストとして何が必要なのかを自覚されていると思います。
首相が東京高等検察庁の検事長の定年延長をしたがるのは
田中角栄氏のように逮捕されないためにしているのだと思う。
こんな情けない状況を見るたびに市川房枝さんのことを思う。
市川房枝――平等なくして平和なし
 与謝野晶子、平塚雷鳥の時代には、女性の生き方は自立というよりは一家を支えていくといった形での道が何よりも大切とされていました。
しかし婦人参政権の獲得に身を投じた女性たちは、ある意味では家庭、出産とどのように両立させうるか、そのあたりが問題となって運動から遠ざかった者もいます。
逆にそれを克服していったタイプも少なからず存在するのですが、市川房枝はどのようなタイプというべきでしょうか。
(『NHKこころをよむ 近代日本人の精神史』保阪正康 NHK出版 2018年)
 市川は雷鳥より7歳ほど若いのですが、女性の権利獲得運動にその名がのこっているのにはふたつの理由があるのではないかと思います。
ひとつは参政権獲得に徹しきったことです。
もうひとつは、戦後日本にあって女性議員として常に清潔な選挙運動を行なったことがあげられます。
この二点をもって、市川は女性の地位向上の活動そのものより議会活動の点で、歴史に刻まれているといえるでしょう。
 市川は明治26年に愛知県で農家の三女として生まれ、父親が教育熱心なため愛知女子師範学校で学び、一時は教員生活を、その後新聞記者生活を体験しています。
こうした経歴からもわかるように、女性は家庭に入り良妻賢母に徹するべきといった考えには、少女期から反発していました。
その後、平塚雷鳥のもとに駆けつけ、新婦人協会を設立し、大正14年の普通選挙法が成立した折りには、婦選獲得同盟を設立して、女性にも参政権をと主張しています。
 女性にも参政権をと訴えるその精神には、議会政治そのものを肯定し、立法府の健全なる形こそが女性の幸せにつながるといった考えが根底にあります。
市川の軌跡は、戦前、戦時下には国策に協力するといった方向にむかっています。
むろんこのとについては戦後になって市川自身自省の言葉を漏らしています。
再軍備反対などを訴え続けていたことは、そのあらわれということもできるでしょう。
 戦後は参議院議員として5期25年にわたり、その議員生活を続けました。
組織に頼らず、選挙運動には、支援者個人が手弁当で参加していますが、その姿は「理想選挙」とも言われました。
87歳の高齢にもかかわらず支援者に求められて参議院の全国区で最高得票の当選を果たしています。
そのエネルギーを大政党とは一線を引いた議会活動にひたすら投入したといえるでしょう。
 市川のこうした軌跡の中に、私たちは何を見るべきでしょうか。
もとより与謝野晶子、平塚雷鳥と同様に、市川とて政治的、歴史的には時流にのみこまれてしまったところもありますが、しかし女性の地位を封建的枠から解放するためにその人生を懸けて、そして自らの行動をもってその意思を示した点は充分に汲みとることができます。
このような先達がいなかったら、戦後、日本の女性が国の内外で活躍することはできなかったでしょう。
 東京・代々木にある「市川房枝記念会女性と政治センター」は、市川の信念であった「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」を具現化しようと今も活動を続けています。
 私たちはその精神をしっかりと見つめておくとが必要になるでしょう。
(『NHKこころをよむ 近代日本人の精神史』保阪正康 NHK出版 2018年)

市川房枝記念会女性と政治センター
今朝の父の一枚です。
メジロがバトルをしていたみたいだと話していました。
メジロは意外と気が強いですよ(*´▽`*)
メジロを観察するとき知っておきたい6つのこと【ベランダ野鳥観察のすすめ】」(柿川鮎子 サライ)

夕刊の記事
あんたと二人、終の棲家は…俳優に復帰の河合美智子さん」(朝日新聞)
脳出血で倒れた後、生きがいを見つけておられる。
河合美智子さんと峯村純一さん、お二人の写真を見ていると、幸せな気持ちになります。