2020年3月22日日曜日

薄曇りで…

歩いていると暑いというよりも蒸し暑さを感じるほど…
そのせいかな?デデムシに出会った(*´▽`*)
時間をちぢめて見る(カタツムリ)」(小学3年 動画)
ふと見ると、みんなに紛れることなく自己主張をしているクサイチゴがいました(*´▽`*)

SWITCHインタビュー 達人達「ブレイディみかこ×鴻上尚史」
多様性には対応能力が問われること
ブレイディみかこさんは、イギリスの格差社会が抱える問題を保育士として経験された話を、
鴻上尚史さんは、学校現場には演劇教育(表現教育)が必要だと仰っていた。
また、東京芸術大学に美術科や音楽科があるのに演劇科がないと嘆いておられた。
教育現場には、演劇の表現活動が有効だという意見にそうだなと思いました。
3月22日
 ラジオ放送が始まった。 1925(大正14)年
 午前9時半、「JOAK――こちらは東京放送局であります」の声が電波に乗って東京の町に流れた。
わが国ラジオ放送の始まりである。
その前の試験放送の時には、「アー、アー、アー、よく聞こえますか」と言ってから放送を開始していた。
 最初の放送局は、ある学校の図書館の一室を借り、そこに設置された。
やがて、7月には愛宕山(あたごやま 東京都港区内)に放送局が新設された。
当時は「マイクに息を吸いとられると寿命が短くなる」とドラマへの出演を渋る役者もいたということである。
なお、テレビは1953年に本放送を開始した。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

ラジオ放送はじまる」(小学6年 動画)
ラジオ放送の資料が手元にないので
B面昭和史 1926-1945』より「『イ』の一字」を転記したいと思います。
何のことだかわかりますか(^_-)
「イ」の一字
 「……横浜の居留地の本屋の店先でみたフランスの雑誌に、初めてテレビジョンのことがのっていた。ポンチ絵だったんですが、それを見てテレビジョンを研究しようと考えた」(高柳健次郎「テレビ事始」)
(『B面昭和史 1926-1945』半藤一利 平凡社ライブラリー 2019年)
 浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)の教授であった高柳健次郎が、その〝動機〟を語った一文である。
 なるほど、この「ポンチ絵」なる言葉はなんとなく今日のテレビを象徴しているようで、まことに愉快に思える。
といっても、いまの読者にはピンとこないであろう。
ポンチ絵とは、いまでいう漫画であるが、正真正銘の死語で、使う人はほとんどいない。
そもそもが安政年間(1850年代)に来日したイギリス人ワーグマンが The Japan Punch と題する木版英字の月刊漫画雑誌を発行したことに発する。
打撃を意味するパンチがなまってポンチとなり、ポンチ絵という言葉が誕生する。
高柳教授が横浜の外国人居留地の本屋で手にしたのは、間違いなくそのThe Japan Punchの一冊であったのであろう。
 つまり、この言葉がまだ一般的にいわれていたくらいはるか昔に、高柳はその研究を思いたったことがわかる。
もって回らずにあっさりいってしまえば、高柳が全電子方式によるテレビジョンの開発をめざして実験を開始したのは大正13年(1924)のことであったという。
そして2年後の暮、予算もなく、妻の結婚持参金三百円をすべて投じる、という悪戦苦闘をへて受像実験に発成功する。
雲母板の上に墨で書いた字が、ブラウン管上に再生されて映ったのである。
 ここは長々と高柳の手記を引いたほうがいいかと思う。
「忘れもしないその日、暗箱のような受像装置をのぞきこむとイの字がブラウン管の画面上にちゃんと崩れることなく映っているではないか。私は暗箱をとびだし、助手や先生方を大声で呼んで、見てもらった。初めてテレビの画が出たと大喜びで喜んだのだった。もっとも普通の人から見れば、小さな〝イ〟の字が止まってただ映っているだけで、面白くもなんともないものだったかもしれない。しかし、これは私にとって生涯最大の感激の瞬間であった」
 「忘れもしないその日」と高柳がいうその日は、大正15年12月25日。
はたしてブラウン管の画面上に「イ」の一字が映ったのは大正時代であって、残念ながら昭和の開幕が間に合わなかったのか。
じつは、それこそ虚実皮膜の間といったところで、どっちが虚でどっちが実か、絶妙この上ないところである。
当の高柳の手記にもまことに微妙なことが書かれている。
 「私と助手は、夜遅く実験を終えて学校を出た。凍てつく戸外ではちょうど号外の呼び声が、大正天皇のご崩御を伝えていた」
 いかがなものか。
ここは「大正」に目をつむってもらって、開幕を飾る快挙として、世界最初の電子式テレビの誕生は昭和元年ということにしておきたいと思うのであるが。
 この全電子式テレビ受像器は、静岡大学の高柳記念未来技術創造館にいまも残されている。
そしてNHK浜松放送局の玄関わきに、記念の「イ」の字を深く彫りこんだ石碑が立っている。
(『B面昭和史 1926-1945』半藤一利 平凡社ライブラリー 2019年)

 「高柳健次郎アーカイブ」(静岡大学高柳記念未来技術創造館)

ワーグマン日本素描集』(岩波文庫)

テレビ放送開始」(中学・高校 動画)
今朝の父の一枚です(^^)v
昨日、帰ってからサクラが咲き出したと伝えるとさっそく写していました。
母が、一番好きだった季節ですし、花です。
満開が早まりそうですね(*´▽`*)
近畿 気温4月中旬並みの予想」(NHK)