2020年3月4日水曜日

予報どおり雨…

公園に向っている途中で予報どおり雨になりました。
それでも小雨で、風がなかったので歩くことにしました。
父は、月曜日にスギ花粉の飛散量が多かったためか
夜からクシャミを連発していて、ここ数日、散歩を休んでいます。
この時期、花粉症の人は、クシャミをするたびに視線を感じるのだろうな…
こういう私も花粉症なんだけど、現役のころは鼻づまりで寝るのも辛かったけど
病気をして仕事を止めてから、クシャミや目のかゆみはあるのですが
鼻づまりなどで夜中に目が覚めることがなくなりました。
仕事のストレスが花粉症に影響していたのかな?
遠くに見える、あべのハルカスで感染した女性がいます。
感染女性 あべのハルカスで勤務」(NHK)
感染したことを報告するのは勇気がいっただろうな…
症状が軽くすむという報告もあるので黙って症状が治まるのを待つ人もいるかもしれない。
去年、あべのハルカスでは、風疹に感染した人がいましたし災難が続きますね。
新型コロナウイルスもインフルエンザのように正体が解明されて
ワクチンや治療方法が確立されたらこんなふうにニュースにならないのに…
医学が進歩している現代でも、未知のウイルスに出会うと、こうも人は恐怖に陥るのかな?
ウイルスのように強力な感染力のないハンセン氏病や
感染病でない水俣病、イタイイタイ病など
原因が分からないために偏見と差別に苦しめられた人々がどれだけいるか。
3月4日 
 杉田玄白らが千住(せんじゅ)骨ヶ原で腑分(ふわ)けをみた。 1771(明和<めいわ>8)年

 この朝、浅草山谷(さんや)の茶屋で前野良沢(まえのりょうたく)たちとおちあった杉田玄白(すぎたげんぱく)は、良沢がふところからとりだしてみせたオランダ本をみてびっくりした。
『ターヘル・アナトミア』というその解剖の本は、玄白も手に入れたばかりだったからである。
骨ヶ原(小塚原<こづかっぱら>)の刑場で、90歳の非人によってはじめられた解剖を、この本の図とこまごま見くらべながらのぞきこんだかれらは、図の正確なのに驚いてしまった。
その帰り途(みち)、中川淳庵(なかがわじゅんあん)を加えた3人は、胸が一杯になって、「ぼくたちは医者のくせに、人のからだのことも正しく知らず恥ずかしい。なんとか力をあわせてこの本を翻訳しよう」と語りあった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
記者会見とは言えない首相の演説は、国民を不安に陥れ、この不安を利用して権限を強くしようとしている。
これほど国民を混乱させた人が「緊急事態宣言」をしたらどうなるんだろう。
閣僚や専門家などの意見を聞くことなく要請する人なのに
首相 新型ウイルス対策で野党に協力要請へ きょう党首会談」(NHK)

臨時休校撤回『学校で過ごすことが最適』 栃木 茂木町」(NHK)
学校長やPTAなどから意見を聞いて検討した」とあるように
広く意見を聞いて決断するのが本来の行政だと思います。
SNSなどの書き込みを見ていると、首相への批判をせずに
野党への批判を見ることがあります。
首相の強い味方がいるんだなと思います。
首相が全国一斉に休校を決断したおかげで
元気な中・高生は街中のゲームセンターなどで遊んでいるとか
このような事態を引き起こしているのは、
首相の独断のおかげだと思いますがね…
休校中の中高校生 都内繁華街に」(NHK)

敬愛する相田みつをさんの言葉を引用した記事があります。
“うばい合えば足らぬ” 新型コロナウイルス 募る不安が…」(NHK)
記事の中で、昭和48年のトイレットペーパー騒動の写真がありました。

価格の高騰(オイルショック)」(中学・高校)

『世界』主要論文選」に当時のパニックを分析した
経済学者の宮崎義一氏の「パニックの社会経済構造」という論文が載っています。
長文で数式も載っているので、全文、転記することはできませんが
抜粋しながら紹介したいと思いますφ(..)
当時(1973年)と現在と状況が非常に似ていますが、
一番の違いはSNSでデマが一気に広がるということと、
買いだめした商品をネットを使って高値で販売することが違う。

私には懐かしい言葉が出てきますが、若い人は知らないだろうな…
興味のある方は、調べてみてくださいp(^^)q
●1974年(昭和49年)7月号
 パニックの社会経済構造 宮崎義一

  優れた芸術が現実よりももつと現実的であるやうに、優れた流言蜚語といふものがあるとすれば、それは現実に与へられてゐる以上の真実味を深く堪へたものでなければならぬ。
  (清水幾太郎『流言蜚語』)
(「『世界』主要論文選」『世界』主要論文選編集委員会 岩波書店 1995年)
 1 日本列島を蔽う不安感
「1972年の後半から73年にかけての日本は、どこか狂っているように見える。」
これは『世界』昨年3月号に発表した拙稿「〝経営者支配〟の理念と現実」の書き出しの一節である。
そしてそこでは、当時の状況を〝花見酒に酔う日本経済〟と規定した。
ところが、1年経過して1973年の晩秋から今年にかけての日本列島は、様相を一変し、あたかも不安感の暗雲にすっぽり蔽われてしまったかに見える。
 朝日新聞社が、昨年11月27、28日の両日行った全国世論調査において、「あなたはこれからの先の世の中に、何か不安を感じますか」という質問に対して、「感じる」と答えたものが実に75パーセントに及んでいる。
また、「いまの世の中をあらわすには、どんな言葉がふさわしいか」との質問に対して、〝混乱〟を選んだのが4割、〝不公平〟を選んだのが3割弱に達した。
まさに、〝不安と不満に蔽わ〟れた日本列島といっても過言ではないだろう。
 このような不安感は、たんに日本人の心の内部にひそかに抱かれているだけではない。
その不安感が出口を見出して爆発し、それを外部にあらわす行動をひきおこした。
昨年暮れの三つのパニックがそれである。
一つは、10月末から11月初めにかけてのトイレットペーパー・パニックと、それにつづく洗剤・砂糖・塩等の〝買いだめパニック〟であり、二は、11月20日の〝生活安定法パニック〟であり、三は、12月13~15日の豊川信金のパニックである。
これらについては、のちに詳述することとして、ここでは、これらのパニックが不安感と密接に関連していることを示すいくつかの証言をあげておこう。
①~⑦(新聞記事に載った市民の談話ですが、省略)
 以上の談話は、いずれもパニック的行動に走らざるを得なかった主婦の心理を伝えている。
〝心配で心配で〟とか〝とても安心して家へ引き返せない〟とか〝不安で不安で〟とか、〝ゾーッとした〟とか、〝これで間に合うかしら〟とか、〝どうなるのかわからないけれど〟とか〝ジッとしていられなくなる〟とかは、明らかに押えきれない不安感を示している。
 もっとも、パニックと不安感の関係を示す証言は、かならずしも、以上のような断片的な談話に限られるものではない。
東京都物価局が稲葉三千男東大教授らの協力を得て高島平団地とひばりが丘団地の主婦1800人を対象に、今年1月7日から15日までに実施した調査によっても、そのことが明らかにされている。
その調査によると、「90%以上が居住年数〝1~2年〟の高島平団地では29%がトイレットペーパーを〝買いだめした〟と答えているのに対して、居住年数の長いひばりが丘団地(居住年数6年以上が61%に達している)では、〝買いだめした〟が21%である」ことが明らかになっている。
このことは「日ごろ、日用品などを購入するとき近所になじみの店があるかないかの差、つまり購買状態の安定度」の差違が買いだめ比率の差と密接に関連していることを示している。
いうまでもなく居住年数が長くなるにつれてなじみの店がふえる。
したがって、以上の調査結果を分析すると、なじみの店もなく買いもの行動が定着していないために不安感の強い消費者ほど買いだめに走ったことになり、買いだめは消費者の〝不安の心理〟の反映ということになる。
また同調査は、『日本列島改造論』や政府の高度成長政策、公害や物価行政に不満足を表わし、日本の将来に対して暗い見通しを持つ人ほど買いだめに走ったという結果もあわせ発表している。
2 団地ミニマムと目玉商品
 一般的にいってパニックというのは、平常時ならば、人びとが安心して自分をまかせている慣行的な行動様式に対して不安と不満を感じ、それに従っているだけではみずからの期待や願望を実現できないと判断したときに、やむを得ず採用する非慣行的行動の習合的な結果である(藤竹暁『パニック――流言蜚語と社会不安』日経新書、1974年、186ページを参照)。
「〝パニック〟( Panic )ということばは、もともとギリシャ神話のパーン( Pan )という神の名からとったものである。
パーンは上半身が人間、下半身が羊の姿をしている半人半獣の神で、この神は昼寝をしているときに、誰かに邪魔されると、それを怒って恐怖を人間の世界に送る。
そして、パーンの神が送る恐怖に逃げまどう人たちの行動を、パニックとよぶようになった。
パニック行動は、人びとの群れでる群衆が、一時的に乱れた状態におちいった乱衆行動の一種である。」(南博『社会不安――その日本的構造』23ページ)
 このような民衆の非慣行的な集合行動としてのパニック現象は、戦前の日本にもあった。
代表的なものをあげると大正7年7月22日夜、富山・魚津町で起こった〝女一揆〟といわれる米騒動であり、関東大震災における〝朝鮮人来襲デマ〟によるパニックであり、昭和2年3月14日衆議院予算総会における片岡直温蔵相の軽率な発言によって点火された「東京渡辺銀行」取付け騒ぎとそれに端を発する金融恐慌である。
また太平洋戦争中にもデマによるパニック現象は見られた。
最近ではそれほど広範囲に及ばなかったが昨年千葉県木更津に発生した〝6月11日関東大震災〟の流言蜚語もあった。
これらは、いずれも大きな社会不安の中で発生している。
 しかし、昨年暮れのように、種類を異にする三つのパニックが短い期間に集中的に襲った例は珍しいことといわねばならない。
これら三つのパニックに共通する背景となった現代日本の社会不安の実体は何か。
それらのパニック現象は、よかれあしかれ、現代日本社会の投影であることは間違いない以上、そこに投影された現代日本の社会構造は如何なるものか。
これらの諸点に注目しながら、それぞれの具体的なケースについて立入った検討を加えてみよう。
 まず、トイレットペーパー・パニックから。
 主要な新聞(縮刷版)は、トイレットペーパー・パニックについて次の如く第一報を送っている。
 ①(『毎日新聞』1973年11月2日朝刊 省略)
 ②(『日経新聞』1973年11月3日朝刊 省略)
 その他、朝日と読売の2紙は、いずれも11月3日付朝刊で、あとで述べる通産省事務次官の談話との関連でケガ人まで出るに至った大阪神戸のトイレットペーパー・パニックをはじめて記事にして紹介しているにとどまっている。
 以上によって明らかなように、少なくとも縮刷版に関する限り毎日新聞を例外として、トイレットペーパー・パニックのとり上げ方は、どちらかといえば遅く、控え目であり、やっと11月3日になって、ケガ人が出るに及んでニュースとなったようである。
ところで、前掲の毎日新聞の記述によるとパニック発生日は11月1日のようにも受けとれるが、実際はその前日10月31日であったようである。
千里ニュータウンの中央地区にある大丸ピーコックの紙製品コーナーの清水暉人主任(30)は、〝その日〟を次のように語っている。
「30日に売り出しのチラシをまきました。品物は70か80品目ありましたか……。31日の開店前に200人ぐらい並んでいるんですよ。いつもチラシをまいても50人ぐらいだから〝今日はよく効いたなあ、何が売れるんだろう〟なんて話してたんです」
――トビラが開くと、エスカレーター、階段を伝って客は3階の催しもの会場へ押し寄せた。
売り出し7百パック、2階にある通常の品7百パック、計千4百パックが1時間で消えた。
平常の4倍に近い売れ方である。
「それからもう、毎日えらい騒ぎで……」(『朝日新聞』1974年3月20日朝刊)
 ところで、このトイレットペーパー・パニックについては、通産省は、いちはやく、11月2日、一般消費者に向けて、「トイレットペーパーは十分あります。心配はないので買い急ぎを慎んで下さい」という異例の山下事務次官談話を発表している。
これがパニックに対する政府の公式見解を示している。
また少し遅れて、日本消費者連盟が、日本製紙連合会、石鹼・洗剤工業会、石油連盟、日本製糖工業会など関係10業界団体に出した公開質問状に対する業界からの回答にも、「品不足の心配はない。一時の異常事態は消費者の買い急ぎが原因である」と指摘されている。
これら政府と業界の見解は、生産にも流通にも別段異常がみられなかったから、パニック現象は、もっぱら「消費者の買い急ぎ」が原因で起こったもので、いわば〝賢くない消費者〟が巻き起こした〝奇妙な騒ぎ〟、〝おかしな出来事〟にすぎないとみなすという点において両者全く軌を一にしている。
はたして、このパニックをそのような消費者の群集心理にもとづく〝偶然的な〟、〝奇妙な〟習合的行動と規定するだけで放置しておいてよいだろうか。
むしろそこには、現代社会の論理の貫徹が見られるのではないだろうか。
これらの疑問がわれわれをしてトイレットペーパー・パニックの構造分析にかりたてる。
 この〝パニック〟がとりわけ注目に値するのは、それが、大阪府千里ニュータウンのスーパーマーケットで発生した点であろう。
 千里ニュータウンといえば、人口14万人(約3万7千世帯)、日本有数の大団地である。
そこの住民は、男子の平均年齢32歳前後、女子の平均年齢27歳前後といわれている。
サラリーマン家庭がほとんどで、男子の学歴は大学卒、女子は高卒もしくは短大卒以上である。
(以下省略)
 その上、重要なことは、スーパーマーケットにおける人間関係である。
スーパーマーケット経営上の要点はお客のセルフサービスにあるといわれる。
「一人がいくら頑張っても、せいぜい1日に2万円しか売れない。注文を聞いて袋に詰めて計算して……の繰り返しでは2万円が限度である。このままでは身体がまいってしまう。それではと、初めから袋に詰めておくことにした。あらかじ計算し、袋に詰めて値段を書いておく。これがセルフサービスの始まりである」(中内功『わが安売りの哲学』155-6ページ)。
かくて、スーパーマーケットにおいては、顧客のセルフサービスが基本前提であり、主婦は自分の好みにあったものを、広い売場の棚からただ黙々として、かごの中に入れるだけである。
主婦が売手の人間に接するのは、代金を支払うレジ係だけであって、商品について売手と親しく対話をかわす機会は皆無に近い。
 戦前の住宅地のように、小住宅がならんでおり、そこに、その狭い地域だけの顧客を対象とする小規模な小売店がある場合には、たしかにスーパーマーケットにくらべるとお世辞にも効率的とはいえないけれども、地域住民は、小売店主とはたいてい顔なじみであり、近所の主婦は「値切るし、店のアルジも〝今日のイカはあまりよくないよ〟とマイナスのアドバイスまでした。売る側にも買う側にも同じ土地に住む人間としての信頼感があった。」(『朝日新聞』1974年3月20日)
 スーパーマーケットは、このような客と小売店主との間の親しい対話を断ちきろうとするところに構造的特徴をもつ。
主婦に語りかけてくるのは血のかよった人間ではなく、直接棚の上の商品の質と量と価格である。
したがって、ある日突然、その棚の上がカラッポになっているのを見た主婦が、頭の中で、あたかも大阪中のスーパーマーケットから一斉にトイレットペーパーや砂糖や洗剤が姿を消しさったかのように想像し、ゾーッとしたとしても何の不思議もないであろう。
 総理府の家計調査報告によっても、このことがうらづけられている。
表1(省略)は、48年8月と12月に一世帯当り洗剤の購入金額がどのように変化したかを示している。
 これによって、明らかなように、大都市の12月は、8月の2.7倍の金額を洗剤購入に使っているのに、町村では1.4倍にすぎないのである。
8月の統計から明らかなように、平常時の千載購入金額には、都市の人口規模別格差は全く見られないにもかかわらず、パニック現象のあらわれ方の濃淡が、人口規模にほぼきれいに相関している。
これは色々の観点から説明が可能であろうが、売り手が大スーパーマーケットであるか、小規模小売店であるかの相違によるものと見ることも可能であろう。
 以上に明らかにしてきたスーパーマーケットの特徴と前述の団地ミニマムの組合せによって、トイレットペーパー・パニックとそれにつづく洗剤・砂糖パニックは起こるべくして起こったといってよいだろう。
したがって、「買いだめすればモノがなくなることは、自分でもわかっているの。でも、心配で心配で。やっぱり、走ってしまう」という主婦の気持をいちがいに、不合理な群集心理であるとか、賢くない消費者行動であると、速断することは許されないだろう。
(「『世界』主要論文選」 編者『世界』主要論文選編集委員会 岩波書店 1995年)
 続きは、後日、転記したいと思います。