2019年5月27日月曜日

真夏日になるような…

今朝も暑い…(・_・;)
それでも空気がサラッとしているので
風が気持ちよかったです(*´▽`*)
「各地で真夏日 熱中症に十分注意」(NHK)
昨日、早朝の番組を録画して見ていました。
僕は化粧はしないので、
あまり関係ない内容だなと思いながら見ていると
思わず惹きこまれて途中で目がかすんでしまいました。
再放送の予定がないので残念なのですが
予告などを見て「再放送リクエスト」されるといいと思います。
なお、西村宏堂さんは浄土宗僧侶でもあるのですね…
検索するとBBC NEWS JAPANで見ることができます。
 「僧侶でメイクアップアーティストでゲイ、ある日本人男性の信仰
その中で話されていたことの一部ですが…φ(..)

仏教は同性愛を許容するとされています
僧侶として我々は自分自身を受け入れ
自分自身であることで救われ
みなが平等です
宗教が原因で自分のあり方に
罪悪感を持ったり傷つく人がいるなら
仏教はあなた自身を受け入れます
自分が好きなことをして
自信を持って幸せになってほしいです
中学校国語教科書の教材「平家物語」より
扇の的」を転記しますφ(..)
平家物語
「平家物語」は、
約50年にわたる平家一門の興亡のありさまを語って軍記物語である。
漢語を巧みに交えた文章には独特の調子とリズムがあり、
琵琶法師の語る「平曲(へいきょく 平家琵琶)」として広く民衆に親しまれた。
冒頭部分を音読し、言葉の響きを楽しもう。
(『中学校 国語2』光村図書 平成28年版)
祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘の声
諸行(しよぎやう)無常の響きあり
沙羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色
盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜(よ)の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ
 祇園精舎の鐘の響きは、
万物流転(ばんぶつるてん)の常ならぬ世のさまを伝え、
白々と散る沙羅双樹の花の姿は、
栄える者の必ず滅びゆく道理を告げる。
権におごる者の運命は、
春の夜の夢のようにはかない。
武に強い人の身の上もまた、ついには消えうせること、
ひとえに風に吹き飛ぶ塵のようなものだ。
  扇の的――「平家物語」から
 治承(じしょう)4年(1180)8月、源頼朝は伊豆で旗揚げをし、
やがて鎌倉を本拠地に定めた。
その年の9月には、
同じ源氏一族である木曽義仲(きそのよしなか)が信濃で兵を挙げた。
義仲の軍は、北陸の戦いで平家を打ち破り、
寿永(じゅえい)2年(1183)7月、京へ攻め上る。
平家の人々は、これを防ぎ切れず、
都を捨て、西国(さいごく)へと落ちていった。
翌年、ようやく勢力を盛り返して一の谷に陣を構えた平家だったが、
頼朝の弟、義経の率いる平家追討軍の奇襲に遭って、
たちまち敗走し、屋島(やしま)に退いた。
元暦(げんりゃく)2年(1185)2月、
義経は、僅かな手勢と共に嵐をついて海を渡り、
平家の背後から突如として屋島へ攻め寄せた。
慌てた平家は舟を浮かべて海上に逃れ、陸の源氏と相対した。
 日暮れを迎え、双方が陣をひきかけているところへ、
沖の方から、小舟が一そう、みぎわへ向ってこぎ寄せてきた。
「何だろう。」と見ていると、
舟の中から、年若い女房(にょうぼう)が姿を見せ、
扇を竿(さお)の先に付けて舟端に立て、陸に向って手招きをした。
この扇を射落としてみよ、とのことのようであった。
義経は、下野国(しもつけのくに)の住人、
那須与一(なすのよいち)に命じて射させようとする。
与一は、まだ二十歳前後の男であった。
「てまえの力では及びませぬ。」と、
一度は辞退する与一だったが、
義経の命令は絶対であって、辞しがたく、
「しからば、当たり外れはとにかく、
 仰せのとおりつかまつりましょう。」と、
御前を退き、黒のたくましい馬に鞍を置いて、またがった。
弓を取り直し、手綱をかい操り、みぎわへ向って馬を歩ませると、
味方のつわものどもは、
「かの若者ならば、確かに射当てるに相違ない。」と、
その後ろ姿をはるかに見送ったが、それは、義経も同じ思いだった。
矢ごろが少し遠かったので、海へ六間ばかり馬を乗り入れたが、
それでもまだ、扇との間は四十間余りあると見えた。
(『中学校 国語2』光村図書 平成28年版)
一間は約1.8メートル。
続きは、後日転記しますφ(..)
なお、100de名著「平家物語 第4回 死者が語るもの」が
Eテレで今夜、午後10時25分から放送されます。
今朝の父の一枚です。
雲が面白かったと話していました(^^)
徳之島でコーヒー栽培が行われていることを
テレビで放送していたので
今回の帰郷でコーヒー園を訪ねたいと話していました。