2019年5月12日日曜日

母の日

今日は、母の日ですね(*´▽`*)
σ(^^)にとって母の日は5月5日
母に感謝する」日ですし
母の誕生日(^^)v

今日の日曜美術館「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~
番組の中で田中泯さんがこんなことを仰っていました。

言葉を平気で裏切る人たちが
どんどん世の中に出回ってきている時代に
言葉をとりますか 体をとりますか
という質問が 今こそ大きな意味を持っている

カニグモ科の仲間のように見える
キハダカニグモかな?
命綱をつけています(^_-)
以下の説明は「ハエトリグモの仲間」についてですが

ところで、葉の上をぴょんぴょんとはねまわっている彼らは、
足をすべらせて落ちることはないのだろうか。
実は彼らの足の先には,細かな毛の束があり、
その先がさらに細かくなってすべり止めになっている。
さらに、いつもおしりから糸を出して固定しながら歩いているので、
もし足をすべらせても下まで落ちないですむのだ。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
 昨日、朝日新聞の朝刊「ひと
有吉立さんのことが紹介されていました。
有吉さんは製薬会社を支える「害虫飼育」を20年続けるているそうです。
でも、もともとは虫嫌い。
何事も慣れです。でも、今でも虫はあまり好きではありません。
 仕事です
と言いながら、 飼育しているのはゴキブリ100万匹、
蚊とハエあわせて10万匹、ダニ1億匹などだそうです。。
これも既存品のリニューアルや、
新商品開発に必要な虫を滞りなく提供するため。
気持ちは飼育ではなく、虫の生産だそうです。
検索するとこんな記事もありました。
アース製薬の“害虫飼育女子”が教える「ゴキブリとの戦い方」〟(日経)
σ(^-^;も虫の撮影をしていますが、本当は苦手です…
でも、生態などを知ることで少しは苦手意識が軽減しているような…
昨日の記事で「チコちゃんに叱られる」にあった
「屯食(とんじき)」について紹介しましたが
石川県中能登町で
 「日本最古のおにぎりが出土(杉谷チャノバタケ遺跡 )
チコちゃんの
おにぎりの三角は神様が宿りやすいとの説はなるほどと思いました。
諸説あるなかで柳田国男が『食物と心臓』にこんな説を書いています。
(旧漢字を新漢字にしたりしていて原文通りではありません)
   食物と心臓

    七
 餅の食物としての特殊性の一つは、
容易に好みの形を指定し得ることでは無かつたかと思ふ。
式の日の料理には羊羹類やよせ物、
薯や大根を以て色々の形をこしらへる風が今もあるが、
此等は大抵は後に加はつた材料であつた。
古くからの食物では餅以外に、
さう言つた要求に応じ得るものは稀であつた。
餅だけは柔らかなものが軈(やが)て固まるのだから、
最も造り物には便であつたわけで、只まん丸なだけの鏡餅とても、
考へて見れば人の意思無しにはあゝは成らなかつたので、
従うて何故に鏡餅は丸いかといふ疑問なども、
亦思つたほど愚問では無いのである。
さうして其答は今日もまだ確定して居ない。
(『定本 柳田國男集第十四巻(新装版)』筑摩書房 昭和44年)
私の注意して居るのは、所謂おそなへの重ねられること、
もしくは出来るだけまん中を高くしよとすることである。
都会風の重ねは二つであるが、それでも其頂点に橙などを載せて居り、
田舎に行くとまだ折々は三つ重ねたものが見られる。
是は「御飾り」であつて見た目を悦ばす為ともいへるが、
一つづゝの場合にも成るべく腰の高いのを心地よしとする我々の心理は、
原因が無くてはならぬと思ふ。
 餅のこの円錐形は握飯の三角と、
或は考へ合すべきものでは無かつたらうか。
握飯の方言はヤキメシ・ヤクママが最も多く、
焼いて何時でも食べられ、
従うて又家庭の共同飲食から、
自在に独立し得られる点も餅と稍稍似て居る。
最も三角に結ぶのは手の自然の動かし方によるものと、
何でも無く解して居る人が有るか知らぬが、
さうでない証拠には俵形のものも作られ、
単に箸無しに多人数に分配する為ならば、
別に又切飯や押出しの方法もあるので、
仮に無意識に三角な恰好が出来るにしても、
斯ういふ手の癖を発達せしめた何かの原因はあつたわけである。
三角な握飯の最も正式に用ゐられるのは、
信州などにも行はれて居る年取の晩の供物、
即ちミタマ様の飯と称して、歳棚の片端又は一段と低い処に、
平年は十二個とか又は家の人の数だけとか拵へて、
皿を折敷(をしき)に載せて上げて置くおのであるが、
是とやゝ似たことを盆の魂棚にもする土地がある。
ミタマは御霊といふ漢字の元の訓で、
今日中元の際に限って精霊と呼び、
又は唯ホトケサマとも謂つて居るものと、
同じ語であるに相異ないのだけれども、
それに此様な形式を以て食物を供へる理由は、
今日では既に不明に帰して居る。
或は家の御先祖の後に附いて、此日訪れて来る無縁ボトケの為に、
別に是だけの用意をするやうに考へて居る者もあつて、
問題それ自身が神道からも仏道からも、
共に説明せられない無縁の状態に在るのである。
 東北の方へ行つて見ると、
このミタマの飯の製法が少しづゝ変つて居る。
或は生米やオカラコを笹の葉に包んで、
人間が食ふ時ばかり後で煮るやうになつて居るものもあるが、
斯ういふ場合に於ても其包み方はやはり三角である。
今日は理由を語り得る者が無いだけで、
此形は我々の守らねばならぬ一つの要件であつたかと思はれる。
節供の食物では三月の菱餅もそれらしいが、
五月には殊にこの約束が厳重である。
南は九州のアクマキから、北は羽越一帯の笹まきガツギ巻、
もしくは菱巻とも鬼の角巻ともいふものは、
何れもその巻き方が三角で、
尖つた方に緒を付けて下げるやうに出来て居る。
沖縄の鬼餅は十二月八日であるが、
是も我々の粽と同様に、
サニンやクバの葉を用ゐて其形を三角ならしめて居る。
それから東京などで祝の日に配る餅が、
名は鶴の子と称して実は一端尖り、
必ずしも卵の形と同じで無いのも、
偶然にあゝなつたのでは無ささうであるし、
羽後で宇賀の餅と名づけて、
正月に家族の数だけ作つて居たものが、
瓢箪に稍稍似て中程をわざと窪せて居たといふなども、
元は恐らく一つの趣旨に出たものと思はれる。
それで私は今後この類の式の日の餅の形を、
あまり変化してしまはぬうちに
詳しく記述して置きたいと念ずるのであるが、
其前に自分の想像を言つて見るならば、
是は人間の心臓の形を、
象どつて居たものでは無いかといふのである。
食物が人の形體を作るものとすれば、
最も重要なる食物が最も大切なる部分を、
構成するのであらうといふのが古人の推理で、
仍つて其信念を心強くする為に、
最初から其形を目途の方に近づけようとして居たのでは無いか。
是は仮説であつて勿論重々の検討を必要とするが、
私は今まで色々の場合に、
上の尖つた三角形がいつも人生の大事を表徴して居るやうに感じて居る。
心臓が我々の胸の左に在るといふことは、
何か事有るたびにいち早く動くのがここであるから、
さう思つたのにも一通りの理由はある。
さうして何かの折に其形が稍稍円錐形であることを知つて、
特に之を養はんとする食物を、
成るだけ其恰好に似せやうとしたのも、
単純なる人の願ひであつたらう。
しかも今日の生理学によつて、
それは悉く誤つた認識から出て居ることが判つても、
なほ握飯を三角とし鏡餅を中高とし、
多くの土地で斯うしたものが無いと、
正月のやうな気がせぬといふことは、
単なる忘れ残りといふ以上に、
亦一つの未だ究められざる力では無かつたらうか。
(『定本 柳田國男集第十四巻(新装版)』筑摩書房 昭和44年)

一つの説だけでなく色んな考えがあることを知るのは楽しいなと思います。
もう夏が来たような暑さですが
「夏至」の時に「半夏生(はんげしょうず)」(7月2日頃~7日頃)があります。
その「半夏」はドクダミ科のハンゲショウではなくて
サトイモ科のカラスビシャクのことだそうです。