2019年5月15日水曜日

涼しい風が…

今朝は、晴れて暑くなりそうでしたが
時折、涼しい風が吹いてきてなによりの御馳走になりました(^^♪
何気に見たナナホシテントウ
左側の鞘翅(さやばね)がない…
とぶこん虫」(動画)

 「水玉模様の下に隠されたテントウムシの驚きの収納術」(東京大学)
竹はどのように使われてきたか」の続きを転記しますφ(..)
 奈良朝時代(710~748年)から、長岡京時代(784~794年)、
平安京時代(794~1868年)へと時代が移り変わるにつれて、
竹の用途は、ますます高まってくる。
このうち、私の深く印象に残っているのは、
1969年に、京都府向日(むこう)市森本で、
長岡京時代の遺跡調査が行われ、当時、
排水溝に利用された竹(マダケ)が発見されたことである。
この竹は、掘り出した当時は、1200年も経過しながら、
傷まずに残っていたが、
その後の保管方法に手落ちがあって、
原形が崩れてしまったのは残念である。
現在、京都洛西の竹林公園の資料館に展示されている。
(『竹と暮し 小学館創造選書59』
  上田弘一郎編著 小学館 昭和58年)
 これは、当時、パイプとして利用されたものであた。
数年前、タンザニア国から竹を
灌漑(かんがい)の給水用に使いたいとの相談がもちかけられ、
1200年を経た現代においても、
同じ用途を考えている人びとがいることに、
大変、驚き、興味を感じるのである。
 竹は、雨露にさらすと、十数年以内で、腐ってしまうが、
空気を遮断すると長もちする。
その例として、かつて、法隆寺の火災のとき、
取り出された土壁の下地の竹(1200年経過)、
さらに、1642年に建築された桂離宮を1976年に修繕した際、
334年も経過した土壁の下地の竹が、
ぜんぜん傷んでいなかったという事実がある。
 その後、明治時代になり、工業の発達とともに、
竹に替わる日用雑貨類が現われはじめる。
とりわけ、第二次大戦後、
プラスチックなどの化学製品の発明や、
人々の趣向の変化によって、
竹の加工や需給にも変化が起こってきた。
 そのような時代の変動にもかかわらず、注目すべきことは、
竹の加工品のうちには、現代でも重宝であって、
竹以外のものでは、代用しえないものがあることだ。
これは、竹というものが、
いかに優れた特性をもっているかを示しているものといえよう。
 つぎに、竹製品の代表的なものをあげながら古代より現代に至る、
推移例をみてみよう。

 茶道具類

 竹工芸に新たに価値を見い出し、光を当てたのは、
室町末期(1500年代)の茶人たちであった。
茶道に用いられ茶杓(ちゃしゃく)は、もと象牙製であったらしいが、
これが竹を使うようになった。
茶杓は茶人の心を表わすものとして、重要視され、
竹(マダケ)が選ばれたのである。
茶筅(ちゃせん)には、ハチクが用いられ、
直径2センチ内外のものが、80~120等分され、
竹の割裂(かつれつ)性と弾力性の活用で、
竹ならではと痛感させられる。
 そのほか、柄杓(ひしゃく)、蓋置、
炉縁(ろぶち)、茶筒、火吹き竹など、
竹に限られたのである。
現在、日本文化のシンボルとさえいわれる茶道に用いられる道具は、
まさに、竹以外に用を達するものはない。
 剣道の竹刀(しない)

 剣道の起こりは、足利中期(1400年ころ)といわれ、
竹製の胴や、竹刀がはじめて用いられたのは、
慶長5年(1600年)ごろからであった。
盛んとなったのは、宝暦10年(1760年)以降といわれている。
 現代では、剣道は、心身を磨くスポーツの花形であり、
若人の間に、根強い支持を受けている。
剣道の竹刀については、いくら代用品を研究しても、
竹にまさるものは、現在のところまだ出ていない。
ただ、原材料の多くが輸入に頼っているというのは、
剣道の精神からみても、好ましくない。
ぜひ、国産の竹を増産してほしいものだ。
ちなみに、年間の消費量は、現在、500万本以上といわれている。
 弓と矢

 この起こりは、欽明天皇時代(550年ごろ)といわれ、
藤原時代には、兵器として、欠かせないものになった。
第二次大戦後には、心身の鍛錬用のスポーツ用具として、
洋弓が輸入されているにもかかわらず、
日本の弓道を楽しむ人口は、現在、30万人と推定される。
弓の素材としては、主としてマダケが、
矢にはヤダケが用いられている。
  尺八類

 聖徳太子(701~756年)が竹製尺八を吹いたとの記事があるが、
竹製の五孔の普化(ふけ)尺八が、日本に入ってきたのは、
建長6年(1254年)といわれている。
のちに、虚無僧(こむそう)による吹奏(すいそう)が現われたが、
譜化宗は、明治4年に廃止され、宗徒の虚無僧の特権はなくなった。
以来、庶民の楽器として、竹製尺八の妙音と魅力は人々を引きつけ、
吹奏の名手や尺八づくりの名工も増えて、現在に及んでいる。
素材は、妙音を出すマダケに限られる。
 笙、ひちりき、笛

 これらは、古くからのものだが、現代でも雅楽器の三管として、
なくてはならぬものであり、この素材も竹に限られ、
(しょう)にはマダケ、
ひちりきと笛には、メダケが用いらていれる。
 生け花の容器

 華道は、茶道とともに、発達し、容器には、竹以外も用いられるが、
竹花入が侘(わび)茶に最もふさわしいとされている。
容器づくりの先覚者としての千利休が、天正18年(1590年)、
伊豆の韮山(にらやま)の竹で作った
一重切の「園城寺(おんじょうじ)」はとくに有名である。
(『竹と暮し 小学館創造選書59』
  上田弘一郎編著 小学館 昭和58年)
竹一重切花入  銘 園城寺」(東京国立博物館)

続きは後日に転記しますφ(..)
桑の実を見ると美智子さまの歌を思い出します。

てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて(昭和34年)
(『皇后陛下御歌集 瀬音〔新装版〕』大東出版社 2007年)