2023年12月19日火曜日

曇ってくると

歩き始めは青空で風もなくて暖かいなと思っていたら
曇り空になると風が冷たい!
予報ではこれから低気圧が近づいてきて雨が降るみたい…
大阪は、雨なんだけど、最近よく聞く気象用語

大雪の原因  JPCZ=日本海寒帯気団収束帯とは」(NHK 12月1日)

日本海側中心に雪 風強まる 交通影響や暴風、高波に警戒」(NHK 12月18日)
歩いていると時々、気つけ薬みたいにウッとなる痛みが走ります。
でも、少しずつですが痛みはましになっているかな?
昨日まで手を洗う時に片手を支えにして片方ずつ洗っていたのですが
今日は、四股を踏むみたいに腰を落すと両手一緒に洗えるようになりました。
背筋を伸ばせば、しゃがむことができます(前屈はまだできません)。
ぎっくり腰の要因として姿勢が悪いことがあると思います。
明日は、blogを休憩しますが、腰痛のためではなく循環器科の受診日です。
(「戦争に負けますよ」つづき)

 あれは昭和14年のことだったと思います。
『東京ブルース』って歌を吹き込んだ時のこと。
作詞は西条八十先生でした。
当時、西条八十といえば、歌謡界の大物。
大物中の大物だったんです。
 で、西条先生の書いた歌詞の中に「きみが別れに投げキッス」というフレーズがあったの。
でも、「投げキッス」という言葉が私の中ではどうしてもしっくりこない。
なんか田舎くさい。
それで何かほかにいい言葉はないかなって考えて、「きみが別れに投げる花」に変えて歌ってみると、このほうが私にはピンとくる。
(『女の自叙伝 歌わない日はなかった』淡谷のり子 婦人画報社 1988年)
 私は歌詞にはこだわるほうでしたから、何かひっかかる言葉あるといやなんですね。
それでその時も「投げる花」に変更してもらうように西条先生にお願いしたんです。
そうしたら西条先生、お怒りになって、それから二度と西条先生の歌は私に回ってきませんでしたね。
 歌手が大物の先生に注文つけるなんてことは、まあ歌謡界の常識からすればとんでもなく生意気なんですよ。
でも、生意気であろうとなかろうと、私は気に入らないものは気に入らない。
 だいたい権威や権力が大嫌い。
歌謡界の大物であろうと軍部であろうと、意に染まないことを唯々諾々(いいだくだく)受け入れるなんて、私はまっぴらですよ。
 軍だかお巡りだかにしょっちゅう文句つけられる。
「モンペはけ」でしょ。
モンペなんかはけません! それで始末書。
「かかとの高い靴、はくな」「ドレスは着るな」――そんなこと言われても、言うことを聞きませんから、また始末書ですよ。
 いつだったか、あんまりそういうことをうるさく言うもんだから、「そんなことばっかり言ってると、戦争に負けますよ」って言ってやったんです。
あやうく留置場に入れられそうになった。
「戦争に負ける」というの禁句なんですよ。
 始末書はずいぶん書かされました。
敗戦後、GHQに仕事に行ったことがあるんですね。
そうしたら二世の方が、分厚い紙の束を見せて、
「これ、何かわかりますか?」
「さあ、わかりませんが……」
「あなたの始末書ですよ」
 って、ずいぶんたくさんありましたよ。
 戦時にふさわしかざる服装や化粧をやめなさい。
憲兵や警察にはしょっちゅう呼びつけられる。
大物の西条八十には注文をつける。
しかも軍歌は歌わない。
――これじゃ、敬遠され、仕事をホサれるのも当たり前ですよね。
 それでも私は、口紅を引き、ドレスを着て、ハイヒールをはいて、外国ものの歌が禁止になるまではブルースやシャンソンを歌い続けました。
 その頃、故郷の青森で公演をしましたが、その時も軍国調の歌は一切歌わなかったんです。
ブルースやタンゴばっかり。
でもすごい拍手だった。
主催者の方が当局に遠慮して、花束を舞台裏で渡しましょうかと言うのを、遠慮なんかいるものかと思って、堂々とステージで受けましたね。
 そんなことができたのも、ひとつには私が経済的に軍や政府から独立してたからですね。
戦時中に、芸能人は軍の恤兵(じゅっぺい)部ってところに組織されて、そこからなにがしかの給料を支給されて、「皇軍慰問」に行くんです。
私は慰問団に入らなかったんです。
自分で楽団連れて、勝手に興業して歩く。
で、興業先の軍隊から「来てください」って頼まれると、出掛けて行って無料奉仕で歌うんです。
 ほかの芸能人はお上からお金をもらってますから、あそこ行け、ここ行けって指図されて、言われるままに慰問に行かなければならないの。
でも私は独立して、自分の生活は興業で立ててますから、お上であろうと指図は受けない。
それに慰問は頼まれれば無料奉仕でちゃんとやっている。
これなら、誰からも文句つけられる筋合じゃないでしょう。
「ドレスはいかん」だの。「もっと時局にふさわしい歌を歌え」だの、くだらないことをあんまりゴチャゴチャ言われた時には、私も啖呵切ったこともありましたよ。
「そうおっしゃいますけどね、私はびた一文お上からいただかずに、慰問でもなんでもしていますよ。私の歌が聴きたいだったら言ってください。いつでも慰問にうかがいますって言ってますよ。そして実際、無料奉仕してるのをご存知でしょ。することはちょんとしてますよ。だのに、なんでこんなに文句をいわれなきゃならないの!」
 こう言うと、敵もびっくりしたり、あきれたり……。
でも、本当のことだから何も言えないですよ。
「それは承知してます」ぐらいのことしか言えませんでしたね。

…つづく…
(『女の自叙伝 歌わない日はなかった』淡谷のり子 婦人画報社 1988年)
今朝の父の一枚です(^^)/
私もジョウビタキに出会いましたが、50mmのマクロレンズでは遠すぎて写せませんでした(^^ゞ

第3章 公園や人里の鳥――ジョウビタキ
 ✤縄張り生活


 越冬中のジョウビタキの特徴は、単独での縄張り生活である。
オスもメスもそれぞれが分かれて、一定の縄張り内をパトロールしながらエサを物色して移動していく。
単独での縄張り生活という点では、モズと習性がよく似ている。
しかも、杭や有刺鉄線などにとまり、地上にいる小動物を探し、飛び下りて獲物を捕らえるのである。
 縄張りに入ってくるライバルのジョウビタキと、にらみ合ったり、たたかったりすることもある。
窓ガラスや車のサイドミラーに飛びかかることもある。
鏡やガラスに写った自分の姿を、縄張りに入ってきた侵入者と勘違いするのであろう。
ジョウビタキと似たような越冬生活をしているルリビタキとも争うことがある。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)