2023年12月14日木曜日

雲に隠れると

日射しは暑いくらいでしたが、
太陽を雲が隠すと風が吹いてきて寒いくらいでした。
これから雲が空を覆うようになり、天気が崩れるようです。
 昨日、京都の花街では
“おめでとうさんどす” 祇園 芸舞妓が年末恒例の「事始め」〟(京都NHK 12月13日)

 事始め祇園 福玉

 京都の師走を告げる南座のまねき上がり、顔見世の千秋楽、12月下旬までは約ひと月。
祇園では、舞妓(まいこ)さんも芸妓(げいこ)さんもお師匠さんも、みんなみんな大忙し。
花街の年の瀬は賑々(にぎにぎ)しく、華やかに暮れていきます。
(『京都のいちねん――私の暮らしの約束ごと』小林由枝 祥伝社 令和元年)
「おめでとうさんどす」12月13日は「事始め」。
舞妓さんや芸妓さんが芸事のお師匠さんやお茶屋さんを訪ね、少し早い一年のお礼と新年の挨拶をする花街の行事。
この時季になると祇園で売り出される「福玉」が、お店の軒下につられているのがかわいい。
大晦日に、芸舞妓さんが「おことうさんどす」と挨拶に来た時に、一年の労をねぎらって渡す縁起物として、お茶屋さんやご贔屓(ひいき)のお客さんが買い求めます。
もらった福玉を下げて歩く舞妓さんの姿が、またかわいらしい。
除夜の鐘のあとに割ると、中には打ち出の小槌(こづち)や干支の置物などが入っています。
縁起が良いので、おみやげにもいいですよ。
…後略…
(『京都のいちねん――私の暮らしの約束ごと』小林由枝 祥伝社 令和元年)
 朝ドラ「ブギウギ」の冒頭、愛助の部屋の様子に
小夜が「汚え! 何だ この部屋!泥棒 入ったばっかりか!?
スズ子も「あかん。 まずは 掃除や」と言って二人がいきなり片付け始めると
愛助が大慌てで「あ… あかん あかん! これみ~んな 整理して置いてあるんです!
愛助の気持ちよく分かります!親近感が…
という私の部屋も…
でも、どこに置いているかは見当がついているつもりです(^_^;)

それにしても小夜役の富田望生さん、
小夜がこれまでどんな境遇で生きてきたか、
あの土下座して謝る姿や表情などで想像できる。
これからスズ子と生活する中で、人を信じられるようになるといいですね。
一銭五厘たちの横丁」つづき

 店はいま、次男の東二郎さん(49)が継いでいる。
 東二郎さんは二十年五月の入隊だった。
九州の航空隊で終戦をむかえた。
 「どうせ、戦争に負けたんだ、こんなところにいても仕方ない」と思って、八月十五日の真夜中に脱走した。
 「私服の白いワイシャツを着て、汽車はタダ乗りだった」
 夜中に米を盗むと、靴下に入れて、三日がかりで東京にたどりついた。
(『一銭五厘たちの横丁』児玉隆也 著、桑原甲子雄 写真 岩波現代文庫 2000年)
 妹の千枝子さん(47)は、家と通りを隔てた森永製菓に勤めていた。
工場が空襲を受けたとき、直撃弾が落ちた。
千枝子さんはその日だけ品川にある工場で事務ととっていたので、死なずにすんだ。
 母は「あの娘の代りに身代りになって死んでくださった方がいるんですねネ」とだけいった。
どこまでもやさしい母親である。
 戦後もしばらくたって、息子の部隊長が母を訪ねて来た。
辛そうだった。
 「お宅さんの敷居をまたげる義理ではないが……」と、仏前に手をついて謝した。
母は答えるべき言葉がない。
 「とにかく世の中をうらみましたよ。あんな素直ないい子を死なして、可哀そうな時代でした」
 母のくり言を、取材者の私は黙って聞くしかない。
それで気持が晴れるものでもないだろうが、瞬時の慰めにはなるだろう。
 あの子は、脳溢血で死んだ父親の手も握ってあげられなかったと悔むような子でした。
本が好きな子でしてネェ。
自分のものを買いに行けば、私には必ず『主婦の友』を買ってきてくれました。
 休みの日になれば、妹を連れて浅草に遊びに行く、一人遊びなど絶対にしない子でした。
子供たちは、家庭的ないい子ばかりです。
 芳郎には、親として何もしてやれなかった。
出征の日は、家の前に花がいっぱいあって、花輪には〝祝・出征〟の札がついていましたよ。
 出征とお葬いとが一緒だったのですねぇ……。
 わたしは、神信心なんてもうやめました。
 芳郎が帰ってくるようにと、木曾の御嶽さんまで行ったのに、神様にも私の信心が通らないなんて。
 あの子に賭けていたのに。
 あの子は帰ってこないんだもの。
 あの子を忘れるのにずいぶん時間がかかりました。
 公報をもらっても、今日は帰ってくるかしらと首を長くして待っていて、本当に待つことだけしかなかったんだもの。
 もう今になっては、戦友も誰も訪ねてはくれません。
 天皇陛下をうらんでも仕方ないですしネ。
身近にいないんだもの。
三十年もたっているんですもの。
 わたしは、自然に忘れました……。
 いま、三十年たっても還って来ない息子の記憶につながるものは、母の手もとに何もない。
 戦死を確認した日、母は息子を想い出させるもののすべてを焼いてしまったという。
 仏壇には、息子の写真があるだけだという。
写真は、軍服を着ていない。
背広姿である。
 「チャランポランな戦死でした」
という母の、せめてもの主張なのだろう。
…後略…
(『一銭五厘たちの横丁』児玉隆也 著、桑原甲子雄 写真 岩波現代文庫 2000年)

本書は1975年2月、晶文社より刊行されました。
今朝の父の一枚です(^^)/
シジュウカラがナンキンハゼの実を啄んでいました。
それをメジロが「食べても大丈夫なのかな?」と見ているみたい。
というのも…

ナンキンハゼ トウダイグサ科(中国原産)

 ハト類、ツグミ類、アトリ類など
 庭木や公園樹、街路樹などに植栽されている。
紅葉が美しいことから、近年は植えているところが多くなってきた。
 実が熟すのは11月頃で茶色く、それが裂開すると中から白っぽい種子が見える。
それはじつは種子を覆う皮で、その中に本当の種子がある。
種子は人間には有毒と伝えられているが、鳥は平気で採食する。
私が採食を観察した鳥はキジバト、ヒヨドリ、ジョウビタキ、ツグミ、メジロ、イカル、シメ、スズメ。
これらの鳥は毒性に強いのか、毒を中和する機能があるのか、私にはわからない。
(『野鳥と木の実』叶内拓哉 文一総合出版 2006年)