2023年10月29日日曜日

秋晴れ

今朝も秋晴れ、公園には大勢の来園者。
自転車で公園に向かうのにウィンドブレーカーに手袋をしてちょうどいいくらい。
一方…

関東甲信越 大気不安定な状態続く見込み 落雷など十分注意」(NHK)
国連広報センター

ガザ爆撃の報告は、極めて悲惨です。
このような状況で患者の避難は不可能です。
安全な場所などを見つかりません。
通信の遮断で救急車は動けません。
#WHO の職員、医療施設との連絡も途絶えたままで、彼らが心配です。
力を持つ人たちへ。
今すぐ停戦してください。


NY中心部 ユダヤ系の人たちがイスラエルに抗議活動」(NHK 10月28日)
ガザの人たちを生かして!
キリスト教を読む
 新約聖書  1福音書
 二 マルコによる福音書

…前略…

 この福音書の15章にローマ総督がイエスに何の罪も見いだせなかったのにユダヤ人の要求でイエスを十字架にかけたとあるのは、ローマ人への宣教を意識して書かれたからだろう。
この記述が結果的に、キリスト教がユダヤ世界から切り離されてローマ世界に広がっていくのを助けたが、同時に現代までつづくヨーロッパ世界の反ユダヤ主義も生んでしまった。
(『キリスト教入門』竹下節子 講談社学術文庫 2023年)
昨日のガリトからメルヴェトへの手紙を読んでユダヤ人は、どういう民族なんだろと思いませんでしたか?

3章・パレスチナ問題の歴史をたどる
 ■コラム① ユダヤ人とは誰か?


 ここまで「ユダヤ人」や「ユダヤ教徒」という言葉が出てきましたが、その定義を説明します。
実は「ユダヤ人とは誰か」という問いには、はっきりした答えはありません。
この問いをめぐり、「ユダヤ人国家」を自称するイスラエルではいまだに議論が続いています。
 イスラエルは現在、ユダヤ人移民を受け入れるにあたって、「ユダヤ人の母親から生まれた人」または「ユダヤ教への改宗を認められた人」であることを条件にしています。
しかしこの定義には異論があります。
ユダヤ人の父親を持つ人も許可するべきではないか、という議論です。
また、何をもってユダヤ教への改宗を認めるかについても意見が分かれています(*1)。
(『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』高橋真樹 現代書館 2017年)
 なぜすっきり決められないのかと言えば、ユダヤ人というのはもともと人種的、民族的な存在ではなく、宗教的な存在だからです。
かつてユダヤ人という言葉は、ユダヤ教信者のことを指していました。
ユダヤ教徒は世界中にいるので、身体的に共通した特徴はいっさいありません。
イスラエルを訪れたらすぐにわかります。
よくイメージされがちな白人だけでなく、中東系やアジア系の人、アフリカ系の人など、さまざまな人種がいて、その全員がユダヤ人です。
 仏教徒に置き換えてみましょう。
日本の仏教徒とインドの仏教徒は、同じ宗教であっても「仏教人」ではありません。
でもイスラエルの定義では、ヨーロッパのユダヤ教徒とアフリカのユダヤ教徒は同じ「ユダヤ人」ということになります。
そのような定義では、いろいろな矛盾が出るのは当たり前です。
なぜ宗教的な存在を同じ民族と扱うようになったのでしょうか?
*1 イスラエルで主流のユダヤ教の宗派は、「正統派」だが、アメリカでは「改革派」や「保守派」が主流となっている。
アメリカで改革派の元で改宗し、イスラエルにユダヤ人として移住しようとしたが、イスラエルの宗教関係者に許可されないという事態が起きて論争になったこともある。
 「ユダヤ人」はつくられた

 「ユダヤ人」という概念を生み出したのは、ヨーロッパのキリスト教社会です。
キリスト教徒が多数派の中世ヨーロッパでは、キリスト教徒は「普通の人間」とみなされました。
そして異教徒であり、イエス・キリストを告発して死に追いやった者の子孫とみなされたユダヤ教徒は、「普通の人間」とは異なる「ユダヤ人」として、差別の対象となりました。
 差別されたユダヤ教徒は、キリスト教徒に許可されている土地の所有権が許されず、農地を耕すことができませんでした。
そのため当時のキリスト教徒が汚い仕事として、やりたがらなかった金貸しなどの仕事に就く人が増えました。
そこで今度はキリスト教徒から「金に汚いユダヤ人」というレッテルを貼られる、という悪循環が起きました。
 中世では、宗教の違いが重要視されましたが、近代に入ると宗教よりも民族が大事にされるようになります。
「フランス人」や「ドイツ人」といった「国民」という意識のもとにまとまって国家をつくる「ナショナリズム(国家主義)」が高まったのです。
それならフランスのユダヤ教徒も、フランス人になれるはずでした。
そして法律的には、実際にフランス人になることができました。
 しかしキリスト教徒たちは長年の差別意識から、ユダヤ教徒を同じ国民とは認めたくありませんでした。
「彼らはフランス人ではなく、ユダヤ人だ」と差別を続けました。
政治家が、政策の失敗をユダヤ人のせいにして差別を助長する、といったこともたびたび行われました。
 中世では、ユダヤ人とされた人たちはほとんどがユダヤ教徒でしたが、近代に入るとユダヤ教の信仰を捨てたり、キリスト教徒に改宗して自国に同化しようと考えたユダヤ人も大勢出ました。
しかし、本人がユダヤ人のアイデンティティを捨てたとしての、周囲から「あいつはユダヤ人だ」とみなされてしまうと(*2)、差別の対象となりました。
近代になってもユダヤ人が差別され続ける状況にショックを受けた人々の中から、シオニズムのような極端な考え方が生まれました。
 ちなみに「ユダヤ人は世界中で差別されてきた」という人がいますが、それは違います。
シオニストがやってくるまで、中東のユダヤ教徒は差別されることはありませんでした。
ユダヤ教という宗教を信じているアラブ人、とみなされだけで、「ユダヤ人」とは扱われませんでした。
差別が続いたのは、ヨーロッパのキリスト教社会においてだけです。
つまり「ユダヤ人」や「シオニズム」といった概念を生み出した背景にあるのは、ヨーロッパのキリスト教社会の根深い差別意識があったのです。

*2 そうした状況を踏まえて、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「ユダヤ人とは、他の人々からユダヤ人と見られる人間のこと」と言った。
(『ぼくの村は壁で囲まれた――パレスチナに生きる子どもたち』高橋真樹 現代書館 2017年)