2023年10月14日土曜日

出迎えてくれたのが

ヒンヤリと言うよりも寒いくらいの気温でした。
公園の入口で出迎えてくれたのがキンモクセイの香り
NHKの「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、
先週、放送されたのが
小さな巨人 緒方貞子~命をつなぐ現場主義~

昨日は、「手塚治虫 ブラック・ジャックからの伝言

お二人から、大切なメッセージが託されていたと思います。

大林宣彦さん
「正義っていうのは、戦争で勝った国の正義が正しくて
負けた国の正義が間違っていうことになるのが戦争なんです。
だから僕たち戦争世代は、特に敗戦少年は正義なんて信じやしない。
じゃあ何を信じるかって言ったら戦争という狂気に対する人間の正気
人間が生き物として一番幸せで信じるべき道を人の正気
自分の都合の正義のために生きていたんじゃ加害者にしかならい。」
 国連広報センター

戦争であっても、ルールはあるのです。
国際人道法そして人権法は尊重され、守られなければなりません。
市民は保護され、絶対に盾に使われてはならりません。
ガザで囚われている人質は、直ちに解放されなければなりません。


この人道危機の広がりの規模と速度は想像を絶します。
#ガザ は今にも地獄の入口となり、崩壊の危機に瀕しています。
例外などありません。すべての当事者は戦争法を順守しなければならないのです。

高橋美香さん

電気も止められ、水も止められ、通信も脆弱で、そのうえ「南部に逃げろ、さもなくば…」と脅され、逃げるための手段もなく、なにかを発信できる状況でもなくなってしまった人びとの身に、なにが起きるのか、起きているのか。
あまりに残酷だ。
彼らは「パレスチナ人として、そこに生まれた」だけなのに。
イスラエルとロシア、中国が重なってくる。

高橋美香さんの写真絵本を開いてほしい。
「試し読み YONDEMILL」で読むことができるのですが、転記したいと思います。

……

 そんなある日、村には突然分離壁(ぶんりへき※)がつくられることになった。
その向には入植地(にゅうしょくち※)も。
わたしたちの土地は奪われ、木々は切り倒され、畑はつぶされ、家畜に草を食べさせる場所がなくなっていった。
村では分離壁がつくられる予定の場所で反対デモをはじめたけれど、銃をもった兵士がやってきて、反対運動をするひとは撃たれ、怪我を負わされ、逮捕されて連れ去られた。
うちの息子たちも何度も連れ去られた。
長男ハミースは、頭を撃たれて重傷を負った。

分離壁……「パレスチナ人テロリストの侵入を防ぐ」との名目でイスラエルが建設した高い壁。
 多くの場所で、境界線を越えてパレスチナ側に入り込み、その土地を奪っている。

入植地……イスラエルが占領地に建設する国際法違反のユダヤ人のための住宅地など。
(『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』高橋美香 かもがわ出版 2023年)
  あとがき

 ママとの出会いは2009年、マハとの出会いはその2年後の2011年のことでした。
アブーラハマ家(け)もアワード家もどちらも大家族で、延々とつづく親戚一同の紹介に、最初は人間関係や名前を覚えるだけでも大変でした。
 ビリン村もジェニン難民キャンプも、それぞれ分離壁反対運動とイスラエル軍への抵抗運動という「問題」をかかえていて、それぞれの場所に「撮(と)りたいテーマ」があったことはたしかですが、ママとマハとの出会いとふたりの人間的な魅力と懐(ふところ)の深さがなければ、居候(いそうろう)としてこんなに深くかかわることも、撮影することも、話を聞くこともできなかったでしょう。
ほかの町や村でも滞在させてもらった家庭は少なくないものの、ママとマハの家でのように「家族に一員」になれず、むしろどれだけときが経(た)っても「客」であることから脱しきれず、そこは「帰るべき場所」とはなりませんでした。
「どうしてパレスチナ?」と聞かれることも多いのですが、その答えは、繰り返しこれまでの本(『パレスチナ・そこにある日常』『それでもパレスチナに木を植える』『パレスチナのちいさないとなみ――働いている、生きている』)で語ってきたつもりなので、ぜひともあわせてご一読いただければうれしいです。
それらの本のなかでも繰り返してきたことですが、パレスチナ状況がきちんと日本に伝えられることは少なく、空爆や「テロ」のときだけ一時的に注目されてその部分だけを切り取られて、まるで「突然起きたものごと」ように報じられるということが少なくありません。
根本的な問題である占領・封鎖・入植・人権侵害といった「問題」を押しつけられたまま、公正な解決もされず、そのなかでひとびとのいとなみが続いていること、ましてや、そのいとなみがどんなもんであるかということが報じられることは少ないように思います。
空爆の犠牲者も、「テロリスト」と一方的に断罪されるひとびとも、ただの数ではなく、名前も顔もない「テロリスト」でもなく、わたしたちと同じ時代に生きた個性あるひとびとなのだということを忘れたくありません。
 これらのことを強く思いながら、できるだけ「パレスチナを身近に感じられるように」と言葉を重ねてきましたが、「そうはいっても、やっぱり難しい」といわれることも少なくありませんでした。
そのことをふまえて編集者の天野(あまの)みかさんから、「写真絵本をつくろう」という提案があり、その場に同席してくれた友人の「パレスチナの女性の物語を知りたい」という言葉に応えるように、とくに具体的な構想も考えもなく、なぜか口から「ママとマハ」という言葉がついて出ました。
それがこの本をつくるスタート地点となりました。
 そのさなか、先日またジェニン難民キャンプでイスラエル軍の侵攻があり、一日に4人の青年が射殺されました。
そのうちのひとりムハンマドさんの遺体を病院から運び出す映像が現地から流れてきて、その映像に目を疑いました。
マハの三男ジャマール(ジュジュ)が泣きはらした目で遺体を運んでいる場面でした。
殺されたムハンマドさんの顔写真に、なぜか「このひと見たことがある」という印象をいだいたのは、実際にジュジュの親しい友だちとして、わたしも会ったことがあったからでした。
呆然とその映像を繰り返しみつめなが、マジドやハムザのことを思い出しました。
 パレスチナ状況は底なしの悪化をたどるばかりで希望が見えません。
この本の最後も、なんとか明るい希望を描き出したいと思いながら、やはりそれは「嘘で固めた絵空事」のような気持ちになり、いまのわたしには、そうすることができませんでした。
 以前、『それでもパレスチナに木を植える』に、白血病の少年カルミーとの果たせなかった約束の話を書きましたが、ママとの「三人でお茶を飲もう」という約束もまた果たせませんでした。
滞在の最後の日、別れのたびに「これがもう今生(こんじょう)での最後の別れだろう」と泣いたママの涙のぬくもりを思い出します。
それでも毎回再会できていたので、その最後の別れの涙を重く受け止めなかった自分の浅はかさを悔やみます。
新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で、こんなにも再会が難しくなる日がくるとは想像もしていませんでした。
 この本を、長年の闘病生活の末、今年の三月に天に召されたママと、昨年四月に来るまで帰宅途中にイスラエル軍の検問所で、理由もなく射殺された、友人のお兄さんオサマさんに捧げます。
アッラーイェルハムフム。
どうか安らかに。
 いつか、マハとの「老後はふたりでいっしょにのんびりしようね」という約束は、かなえられるといいな。
そんな吹けば飛ぶような、かすかな淡い希望を胸にいだきながら、いまは筆をおくことにします。
 最後に、この本づくりに力を貸してくださったデザイナーの土屋(つちや)みづほさん、パレスチナ・オリーブの皆川万葉(みながわまよ)さん。編集者の天野みかさん、ありがとうございました。
 「ライオンの巣窟(そうくつ)」から響く咆哮(ほうこう)を聴きながら 高橋美香
(『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』高橋美香 かもがわ出版 2023年)