2022年10月5日水曜日

こわれた…

急に気温が下がって体調が悪くなりそうだなと思いながら葉っぱを撮ると、
シャッター幕が上がったままで次ぎ写せない(-_-;)
今使っているデジイチは、中古で2016年10月に23,000円で購入しました。
修理に出すと購入金額よりも高いだろうなぁ?
場合によっては修理対象の期間を過ぎているかも…
もう一回押すとシャッター幕が下りた。
1被写体につき2回シャッターを押せば写せる。
もう間もなく完全にアウトになるかもしれないけど使える間は使おうと思います。
安田菜津紀さんのTwitterに

座り込みの現場に来て、
わざわざ嘲笑うような発信をする人物が問題であることはもちろんのこと、
後ろからカメラを構えてついていき、
そうした態度に「お墨付き」を与え、煽りに加担するメディアも、
その暴力性を自覚する必要があると思う。

「辺野古を遺骨の混じる土砂で埋め立てないで」遺骨収集ボランティア、靖国神社前でハンスト〟(東京新聞 2022年8月15日)
『今昔物語集』には、こんな話もあるのです。

女はやっぱりしたたか――今昔物語集


 したたかな女の話をもう一つご紹介します。
女盗賊の話です。
 京の夕暮れどきに、三十歳ぐらいで、背がすらっとした侍が町を歩いていました。
王朝時代の侍は烏帽子(えぼし)をつけ、狩衣(かりぎぬ)か水干(すいかん)を着ています。
(わら)の草履を履き、腰には刀をつけていたでしょう。
 とある家の半蔀(はじとみ)――格子戸(こうしど)の上半分を開閉できるようにしたもの――からネズミ鳴きの音がします。
ネズミ鳴きというのは、舌先で音を立てて、人の注意を引くしぐさです。
見ると、女が手招きしています。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』 新潮文庫 2011年)
  侍がそばへ寄っていくと、女は話したいことがあるので、そこの戸から入るように言います。
中に入ると、女は御簾(みす)の内に招きます。
御簾の中に入れるのは、夫や親、兄弟、息子、そういう身内の男たちだけです。
全く見ず知らずの人にそういわれて、青年は困惑したことでしょう。
<「上(あがり)て来(こ)」と云ければ、男上にけり。簾(すだれ)の内に呼入れたれば、糸吉(いとよ)く >
 その次の文字は、どの本でも欠字です。
『今昔物語集』は、話が途中で途切れたり、ところどころ字が欠けているところがあります。
全部で三十一巻なのですが、八巻、十八巻、二十一巻はいまのところ欠巻です。
将来どこかから出てくるかもしれません。
<糸吉く□たる所に、清気(きよげ)なる女の、形ちは愛嬌付(あいぎやうづき)たるが年二十余許(としはたちあまりばかり)なる>。
「清気なる」というのは、美しいと同義語です。
<只独(ただひと)り居て、打咲(うちゑみ)て□ければ、男近く寄にけり。此許(かばかり)女の睦(むつ)びむには、男と成(なり)なむ者の可過(すぐすべ)き様(やう)無ければ、>
 男の人の考えることは、王朝時代も現代も変わりません。
にっこりして、ねえ、なんて言われたら、そのまま見過ごしにはできません。
<遂(つひ)に二人臥(ふし)にけり>
 非常に簡潔な描写で、男が書いたような印象を受けます。
これが『源氏物語』だと、ここへ来るまでには、かなりの文章が費やされます。
 男はすっかり夢中になってしまい、日の暮れるのもわからなくなりました。
そうこうするうちに、門を叩(たた)く人がいます。
ほかには誰もいないので、男が戸を開けると二人の侍、女房のような女、召使の女、この四人が食事を運んできました。
男は、不思議に思います。
女が外に合図した様子も、使いを出した様子もないのに、ころ合いを見計らって食事を持ってきたのです。
しかもちゃんと二人分。
 別の夫がいるのだろうかといぶかりますが、空腹には勝てなくて、男はたくさん食べます。
女も男に遠慮せずよく食べました。
でも、<男にも不憚(はばから)ず物食ふ様(さま)、月無からず>とありますから、見苦しくはなく、似つかわしく見えたのです。
 物を食べる行為が似つかわしいというのは、王朝末期になって生まれた発想です。
清少納言は『枕草子』に、「宮仕えする女房の恋人が、女房の部屋で物を食べるのは、とてもみっともない」と書いています。
つまり、恋の場と物を食べることろは別だったのです。
それが、この時代には、そうでなくなってきているのです。
 二人はふたたび楽しく共寝をします。
朝になり、またもや門がたたかれ、昨夜とは別の人たちが朝食を持ってきます。
引続き、昼の食事も持ってきます。
 当時は一日二食が一般的でした。
けれども、力仕事をする人は三食食べていたようです。
実はこの人たちの力仕事の中身が後でわかるのですが……。
 またたくうちに数日が経(た)ち、楽しいときを過ごしました。
でも、監禁されているわけではありません。
ちょっと行ってきたいところがあると男が言うと、女はきちんとした装束を男に着せ、馬と従者を二、三人つけてくれました。
この従者たちはとても気が利(き)いていました。
男が所用を終えて帰ってくると、女が何も言わなくても、馬も従者もどこかへ去っていきます。
 こんなふうにして二十日ほど過ぎると、女が話しかけます。
「思いも寄らなかったけど、こうなるべき縁があって夫婦になったんだわ。あなた、生きるとも死ぬとも、私の言うことを何でも聞いてくれる?」
 すっかり女のとりこになっていた男が、「生かすも殺すもあなたしだいだ」と答えると、女は男を奥の別棟に連れていきます。
男の髪を縄で縛り、体を板ぎれにくくりつけ、背中をむき出しにさせて、逃げられないように足を曲げて縛ります。
いつの間にか烏帽子に水干という男装姿になった女は、片肌脱いで、笞(むち)で男の背中を八十回打ちます。
「どう?」
「大丈夫だ」
 男は歯をくいしばりながら答えます。
我慢するのが女への愛のあかしように感じていたのです。
「やっぱり素敵だわ。私の思ったとおり」
 女は縛(いまし)めをほどいて、かまどの土をお湯で溶いたものと、上質の酢を男に与えます。
これは血どめ薬だそうです。
介抱して二、三日たち、傷がもとどおりになると、またもや笞で打ちます。
背中を八十回打ったら、肉が破れて、血が流れました。
ふたたび介抱して、四、五日後、同じように背中を打っても平気なので、仰向けにして腹も打ちます。
それでも大丈夫だと答えると、女は大層褒めて、男を懇(ねんご)ろに介抱しました。
この女はサディストなのでしょうか。
 男の傷が癒(い)えると、ある夕暮れ、女は黒い水干を男に着せます。
そして、弓矢、藁沓(わらぐつ)などを与えて、こう言います。
「蓼中御門(たでなかのみかど)のところへ行って弦打(つるうち)をして口笛を吹きなさい。口笛を吹いて応じる人が現れるから、ついて行きなさい。誰だと訊(たず)ねられたら、『侍(はべ)り』とだけ答えるの。ほかのことは一切言ってはだめ。仕事が済んだら船岡山に集合。獲物はそこで分配されるけど、あなたは絶対受け取ってはだめ」
 仕事の内容がなんとなくわかりましたが、ここまで来ては引き返せません。
蓼中御門へ行って、教えられた通りにしました。
連れられて行ったところには、同じような格好をした人が二十人ほど集まっていました。
少し離れて色白で小柄な男がいましたが、皆かしこまった様子でぺこぺこしています。
どうやらあれが大将のようです。
ほかにも手下が二、三十人いました。
 やがてみんなを引き連れて、大きな屋敷へ押し入ろうとします。
事が起ったとき、他所(よそ)から助けが来ないように、近くの屋敷の門の前にも二、三人ずつ立たせます。
男は手強(てごわ)そうな屋敷の門に配置され、中から人が出て来ようとするのを弓で防ぎました。
 盗み終わると、一行は船岡山へ引き揚げ、奪ったものをそれぞれに分配します。
男にも与えられましたが、言われたとおりに断りました。
その返事を聞いて、頭目らしき男はとてもうれしそうでした。
 そういう仕事が二度、三度と重なります。
初めは良心の呵責(かしゃく)を感じていた男も、女への愛に引かれて、いつの間にか麻痺(まひ)してしまいました。
男はだんだん腕を上げ、太刀を持って屋敷へ押し入る役目を言いつけられるようになりました。
 ある日、女は、そういう男に心を許したのか、こう指示します。
「六角小路の北の何々というところに私の蔵があるの。その蔵から、目ぼしいものを選んで荷造りして。そのあたりには車貸しが大勢いるから、それに運ばせてください」
 この時代にもう、運送業者がいたのです。
言われたとおりに行くと、蔵の中に見事な品物がぎっしり積まれています。
男は、そのなかからこれぞと思うのをより出して運んできました。
それを好きなように使って、女と二人で暮らしていました。
 あっという間に一、二年が過ぎ去ります。
ある日、女は心細げに泣いています。
男がどうしたと訊(たず)ねると、
「こうして一緒に暮らしてきたけれど、逢(あ)うは別れの始めって言うじゃない? いつか心ならず分かれるときがくるかもしれないと思うと悲しくて」
「そんなことはない。おれたちは一生こうして一緒にいるよ」
 男はそう慰めましたが、実はそほど気にとめませんでした。
単に女らしい感傷だと思ったのです。
 あるとき、男に用ができて、出かけようとすると、いつものように馬と供の者をつけてくれました。
二、三日帰れそうになかったので、供の者も馬も留め置いたのですが、次の日の夕方になると、お付きの人も馬もどこにもいません。
不審に思い、急いで家へ戻ると、家は跡形もないのです。
夢を見ているような気持ちで、六角小路の蔵のあったところへ行くと、蔵もありませんでした。
 男は女の言葉に思い当たりますが、どうしようもありません。
すっかり習い性になっていたので、男は自分で盗みをするようになりましたが、そのうち捕らえられてしまいます。
取り調べに際し白状したのが、いままでの話です。
男は思います。
「あの女は変化の者だろうか。一晩のうちに家や蔵がなくなる。そんなばかなことがあるはずがない。集まった者達も誰なのかまったく分からない。でも、たった一度だけ、頭目の顔が松明(たいまつ)で見えたことがあった。とても色白だったが、私の妻にそっくりだった」
 まるで日本のアラビアンナイトです。
芥川龍之介、新田次郎、海音寺潮五郎の各氏がこの説話を題材にして小説を書いています。
芥川龍之介の『鼻』や『羅生門』は有名ですけれど、ほかにも幸田露伴、室生犀星(むろうさいせい)、菊池寛など、さまざまな人が『今昔物語集』をヒントにして作品を書いています。

…つづく…
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』 新潮文庫 2011年)