2022年10月4日火曜日

青空には…

今朝も蒸し暑かったです(^^;
若い人は使ったことがあるかな?
洗濯板を思い出すような波状雲が広がっていたり
様々な姿を見せてくれていました。

「波状雲」大気の波によって雲が発生〟(ウェザーニュース 2022年1月13日)
ことしのノーベル生理学・医学賞に「人類の進化」の研究者〟(NHK)

こなみひでおさんのTwitterに

大事なことなので強調しておきます。
医学生理学賞の対象になったのはまるで儲からない研究です。
しかし人類が進化してきた道を一つ明らかにした。
人間とはなにかという哲学的な問いに答える研究なんです。
ネアンデルタール人のゲノム解読、人類史に光 ノーベル賞のペーボ氏


受賞理由について深く知りたい人はこの本を読まれるといいですよ。
30年の研究の歩みと、偉業の意義がわかる。
解説もわかりやすいです。


ネアンデルタール人は私たちと交配した』スヴァンテ・ペーボ 野中香方子
昨日の「天声人語」に

…前略…

▼今週はノーベル賞の発表が連日予定される。
ここでも注目されるのは国籍だ。
筆者も含め、多くの人が日本人の受賞に期待している。
でも、疑問も浮かぶ。
この場合の日本人とは何を指すのか。
▼長崎出身で英国籍のカズオ・イシグロさんは日本人とされないが、同様に米国籍をとった南部陽一郎さんや真鍋淑郎さんは「日本の受賞者」などと報じられる。
自省をこめて言えば、受賞内容より国籍に一喜一憂し、日本人の受賞数に妙にこだわる風潮はないだろうか。
▼「国籍はその人がいかなる人間かを示す数多い要素のひとつに過ぎない」と陳天璽(チェンテイエンシー)さん。
称賛すべきは偉大な業績であり、栄誉は「世界のもの」と楽しみたい。
理想主義と笑うなかれ。
ノーベルは遺書に記した。
「受賞の際に国籍は一切考慮されてはならない」

インタビュー Vol.6 無国籍者に寄り添う 陳 天璽さん」(UNHCR日本 2015年1月)
なんかいろんな憶測が飛び回っているみたいですね

「気象レーダーの雨雲の切れ目の線はミサイルと無関係」気象庁〟(NHK)

荒木健太郎さんのTwitterにも

雨雲レーダーで北海道に空白帯が見られるのは、レーダーの電波が山で遮られているためです。
ミサイルによるものではありません。
誤情報にお気をつけください。
(「断水の日」つづき)

 水道の止まった日の午(ひる)ごろ、縁側の日向(ひなた)で子供が絵はがきを並べて遊んでいた。
その絵はがきの中に天文や地文に関する図解や写真をコロタイプで印刷した一組のものが目についた。
取り上げてよく見ると、それはずいぶん非科学的な、そして見る人に間違った印象や知識を与えるものであった。
なかんずく月の表面の凹凸(おうとつ)の模様を示すものや太陽の黒点や紅炎やコロナを描いたものなどはまるでうそだらけなものであった。
たとえば妙な紅炎が変にとがった太陽の縁に突出しているところなどは「離れ小島の椰子(やし)の木」とでも言いたかった。
(『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編 岩波文庫 1947年)
 科学の通俗化という事の奨励されるのは誠に結構な事であるが、こういうふうに堕落してまで通俗化されなければならないだろうかと思ってみた。
科学その物のおもしろみは「真」というものに付随しているから、これを知らせる場合に、非科学的な第二義的興味のために肝心の真を犠牲にしてはならないはずである。
しかし実際の科学の通俗的解説には、ややもするとほんとうの科学的興味は閑却されて、不妥当な譬喩(ひゆ)やアナロジーの見当違いな興味が高調されやすいのは惜しい事である。
そうなっては科学のほうは借りもので、結果はただ誤った知識と印象を伝えるばかりである。
私はほんとうに科学を通俗化するとい事はよほどすぐれた第一流の科学者にして初めてできうる事としか思われないのに、事実はこれと反対な傾向にあるのを残念に思う。
 このようにして普及された間に合わせの科学的知識をたよりにしている不安さは、不完全な水道をあてにしている市民の不安さに比べてどちらとも言われないと思った。
そして不愉快な日の不愉快さをもう一つ付け加えられるような気がした。
 水道がこんなぐあいだと、うちでも一つ井戸を掘らなければなるまいとう提議が夕飯の膳(ぜん)で持ち出された。
しかしおそらくこの際同じような事を考える人も多数あるだろう、従って当分は井戸掘りの威勢が強くてとてもわれわれの所へは手が回らないかもしれないという説も出た。
 こんな話をしているうちにも私の連想は妙なほうへ飛んで、欧州大戦当時に従来ドイツから輸入を仰いでた薬品や染料が来なくなり、学術上の雑誌や書籍が来なくなって困った事を思い出した。
そしてドイツ自身も第一にチリ硝石の供給が絶えて困るのを、空気の中の窒素を採って来てどしどし火薬を作り出したあざやかな手ぎわをも思い出した。
 そして、どうしてもやはり、家庭でも国民でも「自分のうちの井戸」がなくては安心できないという結論に落ちて行くのであった。
 翌日も水道はよく出なかった。
そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの木煉瓦(もくれんが)が雨で浮き上がって破損したという記事が出ていた。
多くの新聞はこれと断水といっしょにして市当局の責任を問うような口調を漏らしていた。
私はそれらの記事をもっともと思うと同時にまた当局者の心持ちも思ってみた。
 水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、だれも容認しない事になっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
 長い使用に堪えない間に合わせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証の付いていない公共構造物が至るところに存在するとすれば、その責めを負うべきものは必ずしも製造者や当局者ばかりではない。
 もしも需要者のほうで粗製品を相手にしなければ、そんなものは自然に影を隠してしまうだろう。
そしてごまかしでないほんものが取って代わるに相違ない。
 構造物の材料や構造物に対する検査の方法が完成していれば、たちの悪い請負師(うけおいし)でも手を抜くすきがありそうもない。
そういう検定方法は切実な要求さえあらばいくらでもできるはずであるのにそれが実際にはできていないとすれば、その責任の半分は無検定のものに信頼する世間にもないとは言われないような気がする。
 私が断水の日に経験したいろいろな不便や不愉快の原因をだんだん探って行くと、どうしても今の日本における科学の応用の不徹底であり表面的であるという事に帰着して行くような気がする。
このような障害の根を絶つためには、一般の世間が平素から科学知識の水準をずっと高めてにせ物と本物とを鑑別する目を肥やしそして本物を尊重しにせ物を排斥するような風習を養うのがいちばん近道で有効ではないかと思ってみた。
そういう事が不可能ではない事は日本以外の文明国の実例がこれを証明しているように見える。
 こんな事を考えているとわれわれの周囲の文明というものがだんだん心細くたよりないものに思われて来た。
なんだか炬燵(こたつ)を抱いて氷の上にすわっているような心持ちがする。
そして不平を言い人を責める前にわれわれ自身がもう少ししっかりしなくてはいけないという気がして来た。

 断水はまだいつまで続くかわからないそうである。
 どうしても「うちの井戸」を掘る事にきめるほかはない。
         (大正11年1月、東京・大阪朝日新聞)
(『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編 岩波文庫 1947年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラを写していました。

 ヤマガラ〔山雀〕

 スズメ目シジュウカラ科。
全長14センチ、体重17グラム位。
南千島以南の日本と朝鮮半島南部、台湾などに分布している、世界的に分布の狭い鳥。
日本では小笠原諸島、硫黄列島には分布しないが、それ以外の全国で見られる。
広葉樹林、特に常緑広葉樹林に好んで生息する。
そのために高い山にはすまず、低山地や平野の林にすむ。
渡りはせず、一年中同じ地域で見られる。
黒色、栗褐色、灰色、淡褐色の部分もある、体のわりに頭でっかちな鳥。
餌は虫類のほか木の実をよく食べる。
秋から冬にかけては木の実を隠して保存しておき、冬に利用している。
両足でおさえこんで木の実を割る動作は愛くるしい。
この動作の愛くるしさを見込まれ、おみくじ引きの芸をさせられるものもいる。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)